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性別の壁

LGBT法案が通され、その是非はあるものの性の線引きやあり方が再考される昨今、とりわけ男女の平等などは日本においても注目されることが多くあります。

そうは言っても、本質的な議論というよりは半ばパフォーマンスのようなことも多く、「女性管理職の割合」がどうだとか、「女性議員の割合」がどうだとか、そんなことから定義することに何か意味があるのだろうか?と問いたくなることは多々あります。

そもそも、たまたま性染色体のXだのYだののまさにガチャによって決まるだけの違いであって、上も下もないのは言うまでもありません。ましてや、動物学的にはその2種に分類されるものの、性格や個性と言われるものの類のようにその違いが千差万別というのも当たり前の話で、分かりやすく分けたのが男女という2択に過ぎないのだと思います。

しかしながら、人類史的にも近代史的にも、そしてそれぞれの国の文化や風習を見てもそこには明確に違いがあります。これもまた部分的には当たり前で、部分的には旧時代の考えと思えるものです。ようは、生物として明確に違いとしてあるものは差異として捉えればよく、それ以上、必要以上に違いを押し付けることや差別と捉えられることが出てくると首を傾げ始めるのです。

ただし、これは国や宗教が変われば、私たちのなんとなくの常識も根底から覆される次元のものになります。今まさに、結び出ではインドの女性の実態を深く調査しているため、ご存知の方も多いかも知れませんが、まずは表面的にどういう立ち位置にいるか?をご紹介していきます。

決して望まれることのない性別

以前の記事でも何度か触れていますが、インドにおいては女性が望まれて生まれることはほとんどないです。もちろん、インドの中でも海外の文化や異なる宗教、莫大な資産がある家庭などその限りでない例外はあります。あくまで一般論としてであることはご留意ください。

ではなぜか?女性を産むことでその家計に与える影響が多いことが最も大きい理由であり、かつ様々な側面で男性優位な社会であるからこそ、求められないという理由もあります。だからこそ、女性として生まれることすら許されない人がいるというのも以前触れました。

女性にとって、生まれることができないこともとてつもない苦痛です。が、生まれてからも多くの苦痛と困難が待っています。こうした壁にぶち当たるのは、中流階級においても未だに見られることですが、貧困層(=教育を受けていない層)となると十中八九です。

どういったことがあるか?これはもしかすると地域によっても若干の違いや傾向があるのかも知れませんが、以下のようなことが挙げられます。

(男性に比べて)

  • 教育、就業の機会が限られる

  • 自由に自分の人生を歩むことが限られる

  • 自分の意見を持つことや発信することが限られる

もう少し具体の話になると、家事や雑用は女性に押し付けられる、女性だけ厳しめの門限が設けられる、家族旅行でも留守番させられる…と意外にもかなり歪な制約も存在します。

結婚すると当たり前に仕事を辞め、家庭で配偶者の世話をすることを強いられる…と、簡単に言えば強く男女差別があるわけです。これらを下支えするインド独自の習慣についていくつかご紹介します。

ダウリー

さて、前段で触れた通り、家計への影響というのが一番の原因なのですが、それがこのダウリーという習慣故のものです。ダウリーとは結婚の際に新婦側の家庭が新郎側の家庭に金品等の贈呈を行う習慣を指します。ただしこの習慣は、1961年には、違法ということで禁止されるに至っています。

しかしながら、どこでもそれが当たり前に残っており、今なおそれに苦しむケースが多くあるのです。なぜそこまでそれを重たく捉える必要があるか?にも明確に理由があります。十分な金品が与えられない場合に、結婚後に不憫な思いをしたり、最悪な場合殺されてしまうこともあるくらいに財布にも心理的にも重荷になるものなのです。

ダウリーが禁止になった一番の理由はこれによって中絶などが問題となったからであり、それに伴い、出生診断も同じように禁じられています。

ちなみに「こりゃ酷いな…」と感じる方もいるかも知れませんが、日本でも結納など似たような習慣も残っていますが、これもまた当時の時代背景を引きずる男女差別とも捉えられるものがあるわけですので、決して他人事でもない話です。

サティ

ダウリーはどことなく日本も知る範囲の習慣ですが、サティは異なります。サティとは、夫が死んだ後に妻が焼身自殺する習慣を指します。これもまた現代では禁止され、違法とされています。

ちなみに、心の底から夫を想い、後を追うというそんな話ではありません。基本的には配偶者家族から強いられることが多いのです。言うまでもなく、その逆があるかというとありません。

夫が死んだから「女性らしさの証として」自分も命を断つと言うのは全くといっていいほど理解のできない習慣です。

ガオゴル

女性はその身体の構造上、一定年齢から月経を経験し、閉経までの間その生理現象が続きます。ガオゴルとは、この月経”中”の女性を不浄な者として捉えて、隔離したりする風習を指します。これはすべての地域に共通してと言うわけではありませんが、今なお一部では行われております。

女性はその期間中、誰とも接点を持つことができずに小屋やいわば牢屋のような空間に隔離され、月経を終えるまでの間を不衛生な環境下で過ごすことを強いられます。そうすることで、感染症に罹ってしまったり、もちろん最悪の場合は命を失うこともあるわけです。

インドでは、ナプキンの利用率が都市部でも3-4割くらいと言うデータがあります。多くは布を用いたりしており、もちろん経済的な理由もありますが、そうした知識や物資にオープンにはならない社会的な風潮がありました。日本の会社としては、ユニ・チャームがインドに進出して以降、オムツの普及のみならず生理用品の普及にも日々様々な努力をしていますが、それでもなおこうした古き悪しき文化に阻まれることが非常に多いと言います。こうした風習も、近年社会活動家の動きや様々な場所での情報発信が徐々に功を奏し、女性のみならず男性に対しても正しい知識というのが広がりつつあります。

枚挙にいとまがない差別

これらはごく一部の習慣であり、そのほかにも性暴力や暴力、教育の問題など挙げればキリがないほどです。

そうした環境に生まれた女性は、夢を持つことはもちろん、その手前でまともに教育を受けることもなければ比較対象となる選択肢を知らされることすらないことが多くあります。当たり前の幸せや人生観といったものも日本のそれとは180度違います。

『ここに産まれたから』に限らずどこに産まれても『女性として生まれただけで』こうして可能性が閉ざされることも私たちが少しでも解消していかなければならない課題なのです。

Written by Tatsuya

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