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子どもを食い物にする大人たち

ある意味このテーマを書いている時が一番と言っていいくらい、胸糞悪い気分にさせてくれます。日本でも、インドでも、世界中で起こる様々な犯罪にはこの類のものがあります。ものによっては犯罪とすらされていない国もあるくらいです。

実に多くの子どもが被害に遭い、実に多くの子どもが騙され、実に多くの子どもが傷つけられ、実に多くの子どもが命を失い、そうした現実には目もくれず、一部の悪い大人たちがこの社会を生きています。


自己責任論はどこまで認めるべきか?

少し角度を変えた話になりますが、例えばアメリカでは黒人やヒスパニックの犯罪率が極めて高いと言われています。言われているというより、現に数字上顕著にそれが現れています。この感覚ばかりは単一民族の私たちには少し分かりづらいですが、なぜそうしたデータが人種別にあるのか、それ自体がやや不思議ではあります。

日本では、今ではすっかり観光大国の一員となり、近年の人手不足の影響や純粋な日本への興味から海外の人たちが訪れたり、移住したり、働いたりとすることも増えました。そうした中で反対派も常にいて、もちろん自国民の職や所得水準の維持などの経済的観点で論ずる人もいれば、恐らくほぼ何となく「犯罪が増えるから」と言う論調で反対する人もいます。

ところで、産まれた瞬間から犯罪者になるDNA、産まれた瞬間から悪人になる血統、そんなものはあるのでしょうか?私は科学には疎いのでよく知りませんし、その上でこの発言にあまり責任は持てないですが…たぶんないと思います。もちろん、身体的な、生理的な原因が作用することも部分的にはあると思いますが、決定的だとは思えません。

とすると、必ずそうさせている外部要因があるはずです。前述の話に戻れば、黒人やヒスパニック、アジア人含めた人種に対しての社会のあり方や移民に対しての見方、そうしたものが形成する力が作用している感は否めないでしょう。日本の例も同様で、「これだから〇〇人は」や「〇〇人なんてどうせ」とさも全員犯罪者のように一まとまりに決めつけたりする見方もそれに通づる部分があるでしょう。あくまで、だから移民は全面的に受け入れた方がいいとか、海外の人をもっと…という立場に立って推奨しているのではなく、そうした思想が自然発生的に作り出す社会の受け皿側に疑問と問題意識を抱いているだけです。

そうした話に限らず、最近でも子どもの過ちや失敗、そこまでと言わずとも出来ないことに対しても最近ではこれでもかと言わんばかりに叩かないと気が済まないという風潮があるようです。「こんなやつ一回刑務所入れないと分からない」「2度と人前を歩くな」など、暇な大人なのか同じ子どもなのか、心無い書き込みをしたりもします。一部には事実なところもあるでしょうし、あくまで感情論的にはもちろん分からなくもないです。

でも、そうしたことも含めて子どもをさらに追いやり、孤独にし、感情を歪め、更なる悪者づくりに加担していると言う自覚も持たなければいけないのではないかと思います。大人も大人で都合のいい時は「ガキのくせに」と言い、都合の悪い時は「もういい歳なんだから」と使い分けます。そりゃ、大人は嘘つきと言われてしまうはずです。

こう見てみると、子どもの過ちも大人も含めた失敗や過ちも自己責任論だけで片付けるのはとんでもなく暴論だと思いますし、それそのものが罪とすら思えます。自己の責任もあるでしょう。でも、それだけじゃないのも事実でしょう。

弱みにつけ込む人たち

日本では、最近トー横キッズと称される歌舞伎町界隈に集まる未成年者たちが問題視されていたりします。彼ら彼女らはコロナ禍を境に増えたとされていますが、素性を考えれば別に大昔からいた子どもたちが単にそこに何かを求めて集まったに過ぎません。

学校での人間関係やSNS上での誹謗中傷、親との関係やそれはもう様々な悩みや内なる闇に苦悩して、困っていたりして、本当にどうしていいか分からなかったりする人たちも多いはずです。別に大人に期待してないし…と彼ら彼女らは思っているかも知れないですが、居場所や心の拠り所など含めて本来であれば大人が、社会が守ることを考えないといけないはずです。

しかしながら、お金がなかったり、心を病んでいることにつけ込んで一部の大人は往々にして食い物にしようとしてしまいます。薬物に手を染めさせたり、体を売らせたり、何やら分からない闇バイトに加担させたりと様々です。

インドではどうでしょう?

以前も触れた通り、例えば人身売買などは最たる例です。人身売買と聞くと、現代の日本人は『恐ろしい裏社会のなにか』『どこか貧しい国で起きていること』と思われるかも知れません。ただし、特に売春目的での人身売買たるものはこの日本にもほんの1世紀と少し遡れば当たり前にあったシステムです。いや、現代においても形は違えど決して0ではありません。

オーストラリアに本拠地を置くWalk freeは国際人権団体であり、現代の奴隷制度を終わらせることをミッションに置いて活動しています。彼らが2016年に出した報告書によると、人身売買によって性奴隷になった人や生まれながらに奴隷になっている人などを含む人数において、世界で総数4,600万人、その中で世界1位が推定1,840万人でインドであるとしています。貧困の数といい、毎度不名誉なランキングで常連になってしまいます。

人身売買で言えば、拉致や誘拐などもあれば、仕事の斡旋などから始まるものまで様々です。もちろん、大人同士が契約して売り払うケースもあります。そうしたターゲットになる子どもたちは、何も必ずしも貧困層というわけでもないですが、やはりその割合は多いです。また、日本に比べれば十分な教育を受けていない傾向にあるので、正しい判断なく搾取されることが横行しています。

『この話を信じれば今より楽な生活ができるかも』『今の生活より楽しいものが待っているかも』そんなささやかな希望さえも胸に持ちながら、いや、大人たちが言葉巧みに持たせながら、人が商品のように扱われるのです。そうした先には、薬物漬けにされたり、逃れられない環境を作り、そこで一生を奴隷として生きていくことになります。生きた心地や人生の希望などないでしょう。昼は物乞いとして、見せ物として、夜は体を売り…そうして価値がなくなったと判断されれば、障害を負わされたり、臓器売買の道具に使われたりと悲惨な実態です。

悩ましい構造的な課題

どこもかしこも弱みにつけ込み搾取する構造は変わりません。ただ、だとするとそれを行う側の構造も共通点はあるはずです。

世界にはマフィアとされる組織もあれば、それぞれの国家でマフィアとしては認識されていないものの違法行為などを繰り返す組織やプロジェクト単位の集まりがあります。これらはいずれも、多くが大人になる過程でその組織に加入することになるきっかけや、はたまた付き合いがあって流れでそうなってしまうこともあると思います。中には幼少期から生活の面倒を見ることで傭兵を作っていく組織もあると思います。

ただ、冒頭に立ち返れば、そうした犯罪者たち、悪人たちも産まれながらに血も涙もないことなんてことは考えづらいですし、やはり環境がそうさせているのだと思います。こうした課題も構造が複雑すぎる上に解決の手段など見つかってはいないはずです。例えば、日本のケースでも今から30年ほど前に施行された暴力団対策法はこうした“悪い人たちが集まる組織の不当な行為を取り締まろう”と試みたものでしたが、見ての通り日本社会において悪が無くなったわけでもなく、むしろ組織構造や犯罪の手口も多様化し、さらに悪い奴が出てきたとさえ言われています。

犯罪に手を染める、ましてやその中でも判断力の乏しい子どもを利用するといったことをする人たちの心情は測りかねます。ただ、彼ら彼女らの中には自身もまたそうなる過程で様々な力や言葉の暴力や金や権力の呪いのようなものや孤独などに苦しんだ人もいるでしょう。

犯罪に手を染める人たちを擁護する気はないですが、一方で見放すことも違う気がします。否定的な考えを持つ方もいるかも知れないですが、それは、実際に犯罪に至らなくても、10代前半や後半でも、どんなに生意気でどんなに個人的に気に障っても、見放すことや執拗に攻撃することは新たな悪を生む可能性があることを改めて理解してほしいなと感じています。

現在、当団体では実際に人身売買に遭った人、加担した人、保護する人などからの聞き取りを進め本当の原因や課題が何か?や、どうすればこの負の連鎖に歯止めを効かせられるのかを探る調査活動を進めています。近日中にその実態を公開できればと思います。

また新たな子どもが被害に遭わないためにも。

Written by Tatsuya

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