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『イエスタデイ』村上春樹

村上春樹著の短編集『女のいない男たち』の中の二作目。なぜ二作目かというと、たぶん一作目にはあまり共感のできるところがなかったからだと思う。

ではこの『イエスタデイ』はどうだったのかというと、村上さんらしい作品だった。村上春樹ファンのわたしから見て実に好ましく作られた作品。

主人公は『普通の』、そして孤独な大学生。バイト先で知り合った木樽という、生まれも育ちも田園調布なのに完璧な関西弁を喋る男と友達になる。ちなみに、主人公は神戸の芦屋出身の関西人だが、上京して一ヶ月で気がつけば標準語を話していたという、よくあるケース。

わたしの通っていた大学にはそれこそ全国から学生が来ていたが、訛りの強い人というのはそれをアイデンティティとして持ってる人がほとんどで、残りはどうしても抜けないという感じで、ほとんどは標準語だった。

それにしても木樽があまりに見事な関西弁を喋り、またどのようにしてそれに至ったのかを聞き、主人公は木樽に惹かれ親交を深めていく。

この木樽が歌う『イエスタデイ』が、「昨日は一昨日の明日で」というめちゃくちゃな歌詞なのが表題のひとつの意味。なかなか面白いと思う。確かに昨日は一昨日から見たらまだ明日だったんだ。でもそれって、よく考えてみると『明日』だった時にやるべきだったことをなおざりにしたんじゃないかとも受け取れる·····。

その木樽には完璧な彼女がいて、彼女は上智大学にストレート合格、かたや木樽は早稲田に二浪しながらもほとんど勉強しない。

ここで話は一転して、木樽は主人公に彼女と付き合ってもらえないかと提案してくる。木樽は彼女と小学校からの付き合いで、とても好きなのだけど、浪人中は控えめに付き合うという約束をしている。ここで村上春樹的、性的な話になるのだけど、木樽は彼女の服を脱がすなんて考えられないという。そんなことはとてもできないと。

ここでわたしが思い出したのは、先日、わたしの小説をいつも読んでくれている読者さんが教えてくれた「男は本当に好きな女は神聖視してしまう。風が吹いてスカートがめくれれば相手がおばさんでも目がいくのに、好きな女の子のスカートの中は覗けない」という話。要するに木樽は服を脱がせることを考えられないくらい彼女が好きだということがわかる。

そのせいで彼はふたりの交際を控えようと言い、また引き裂かれるようにもう一方では大学で他の男と付き合っているのではないかと心配している。

大胆でおよそ普通から外れているように見える木樽は臆病で繊細な男なのだとわかる。

そして木樽は妄想の中で彼女が誰かと付き合うくらいなら、主人公に、彼女と付き合ってもらえないかと頼んでくるのだが·····。

この小説の中で目を引くのは木樽という存在だけだ。彼は一般に『普通ではない』。自分でそうしておきながら、おそらく『普通』の自分を殺して生きるタイプの男だ。物語の中で彼女が「彼は天才肌なの」というシーンがあるのだけど、彼自身、その枠をはみ出してはいけないと、変わった行いをすることで『普通』を隠しているのではないか? というのがわたしの印象。

高校生の時、推薦入学に口頭試験があり(ちなみに連絡ミスで私だけそれを知らなかった)、ある男の子が百科事典を抱えきれないほど持って現れた。彼はちょっと見た感じ、風変わりで、天才肌なのではないかと思った。

わたしは口頭試験でミスをして一般試験で合格したのだけど、彼は堂々、推薦で入学したらしい。いまなら流行らないバンカラな校風に合わせたスタイルの彼は教室でも多少浮くテンションの高さで、みんなもそういう人だと認識していたのだと思う。しかし彼は、三年生の大学見学にたまたまふたりで行くことになった時には(他に志望者がいなかった)、すっかり気弱な、歩く時も斜め下を見る人になっていた。高校の教室には、各校からやってきた能力の突出した学生がちらほらいた。

木樽は中学から成績が落ちてきたそうだが、わたしのその同級生は高校でいつしか埋もれてしまった。もしかすると突出したものを見つけられなかったのかもしれない。でも本当はそこでもがいて、自分の手で突出したなにかを手にするべきなのだろうけど、そういう人たちはそうするにはあまりに繊細なのだ。

だからいつも自問自答するのかもしれない。そして彼女を友人と付き合わせようと思うのかもしれない。

あくの強い木樽をめぐる、普通である僕と、笑顔が美しい彼女。

ここで恋の鞘当てが始まるのが普通の小説で、村上春樹ともなるとなぜか話は読者を置いて十六年後までぽーんと飛ぶ(これ、わたしには使えないテクニックだな)。

十六年後も変わらない美しい彼女と再開した僕が知るのは――。繊細だった僕の友人のした選択は――。

十六年飛ばすことで短編の枚数に収めてしまうところがやっぱりすごいなと思う。同じ短編集の一話目『ドライビングマイカー』では過去語りが延々と続くのだが、わたしにはそれは少し冗長で、少し飽きてしまった。物語の核心に着くまでの回り道が遠く感じたから。

その点『イエスタデイ』は一息に読んでしまいたい流れの良さがあったと思う。「それで? それから?」となる。そんなわけで皆さんに良かったらオススメしたい一作だ。

『女のいない男たち』。この作品では、素晴らしすぎる彼女を自分のものにしておくことに躊躇する男が、自分から彼女との距離を置く話だった。『女のいない』といってもいろいろあるものだなぁと思う。『男のいない女』もいろいろあるだろうけど。

もっともわたしが小説公開しているサイトなら、ラノベ主流なので『女が絶滅した、もしくは最後の一人』という作品が乱立しそうなものだ。ちなみに『女が絶滅しかけた世界』の作品なら、マンガではあるが萩尾望都の『マージナル』を推したいと思う。

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