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五月の記憶

 近所のモッコウバラもジャスミンの花も散って葉だけになっている。花屋の店頭にはアジサイが並ぶ。もうそんな季節、五月も終わる。
 ここしばらくはアプリの「連続投稿を継続しませんか?」という誘いに応じて毎月ひとつ何かを書き上げる。何を書こうから始まって少しずつ書き進め今月もすべり込みセーフだ。

 ロミロミの施術を受ける際に前回初めてロミロミを受けた日の朝に見た夢の話をした。私の見立ては夢の中の奇妙な訪問者が私の元から去った悪しき何か、というもの。「それはご自身で作ったものかもしれませんね」といったようなことを言われた。「人間とはそういうものですから」といったようなことも。
 その会話は施術が終わってしばらく経った今も私の中に強く残っている。「もしかしたならば私を苦しめているものは私自身かもしれない」、それは普段の思考の外へ出た瞬間だった。今まで当たり前すぎて知覚できなかったことが見えてくる。確かにあるものが見えなくなることは事実あるのだ。それは能力の問題もあれば心理的に遮蔽物が生じてしまうこともある。また逆にありもしないものが見えることもある。
 もうひとつ私の中に強く存在するキーワード、「イメージ」。夢中になって見たアニメの中で「魔法はイメージの世界」という話が出てきた。イメージできなければ魔法は使えない。このイメージは現実の世界にもいえることではないか。イメージできないものは具現化できない。

 大雑把にまとめると私は不安や恐れから勝手に悪いものを生成しそれらによって苦しんでいた。その悪を断ち切るために良いイメージを創り出す必要がある。根本の考え方は「不安や恐れを抱いても仕方ない」、「なんとかなる」。「私にはできない、無理だ」という考えは手放す。手放した上で自分は何がしたいのか、どういう状況を望むのかを自分に対して聞いてみる。
 正直特に何がしたいかは思い浮かばない。私が欲しいものは困窮せず生活できる経済力とそこそこの愛情。今はひとり息子と暮らす日々。中二になってますますお母さんにべったりなため私の愛情ゲージはいい感じで溜まっている。そのためどちらかというと不安や恐れを感じた時に「なるようになる」と言い聞かせる方が大変だ。それほど日常生活には危険な要素が多分にある。
 病気、事故、他人からの妬み嫉み、八つ当たり、いじめ、天災、それらが私や息子に降りかかってしまったならば一体どうすればいいのか。そういうきっかけになりそうな出来事があると私は黙って不安や恐れと闘うことになる。わりと毎日不安と闘う。悪いものを食べて体調を崩してしまわないかが断トツで多い。気を付けて過ごしていても不安や恐れの力は大きいと言わざるを得ない。尖った神経をハーブティーで宥めつつ、「なんとかなる」と自分に言い聞かせる。何も変わっていないように見えて少しずつ変化している。今の私が今までのベストだ。

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