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Return to Sender vol.11 | myski

ふわりと漂う香りから、ある情景や過去の心情がリアルに蘇る––、そんな経験がありませんか。目には見えない”香り”ですが、記憶を生々しく呼び起こす不思議な力があります。
石本藤雄さんがマリメッコでデザインしたテキスタイルの中にも、実は香りの名前がついたものがあります。それは、なんとも色っぽくミステリアスな雰囲気の漂う「Myski(麝香・じゃこう)」。
今回の連載「Return and Snder」は、この「Myski(麝香)」がテーマ。エディターのミズモトアキラさんが、麝香の香りから始まり、いつの間にか音楽の世界に誘ってくれます。後半は、Mustakiviの黒川がこのテキスタイルにまつわるエピソードを解説。目に見えないものを形にしようとしている、それぞれの表現をお届けします。

Myski

Text by Akira Mizumoto

1939年、スイスの化学者レオポルト・ルジチカが、画期的な研究成果によってノーベル化学賞を受賞した。その成果とは、ムスコン───すなわち、香りの王様《麝香》の元になっている物質の構造を解明し、1934年に化学合成にも成功したことだった。

麝香は、オスの麝香鹿を殺し、腹部にある香嚢という器官から取り出されていた。今はもちろん麝香を採取するために鹿を殺めることだけでなく、天然の麝香の取引自体がワシントン条約で禁止されている。現在、香料などで出回っているムスクは、こうした研究成果にもとづいて化学的に合成されたものだ。

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たまたま持っていた諸江辰男『香りの歳時記』(1985年・東洋経済新報社)という本のなかに「麝香」に関する記述を見つけた。著者の諸江は高砂香料という日本最大の香料メーカーで、半世紀以上、研究活動をしていた香りのオーソリティだ。

動物のメスたちに激しい性的興奮を与えるとされる麝香だが、人間は男女問わず、異性を惑わせる香料や媚薬としてムスクを用いてきた。その歴史は有史以前まで遡ることができる。麝香は鹿だけでなく、さまざまな動物が持っている。もっとも有名なのは麝香猫。肛門近くの分泌腺から麝香のような成分を放つ。インドネシアでは麝香猫のフンから、彼らが食べた未消化の珈琲豆を採取して、洗浄〜焙煎されたものを「コピ・ルアク」という高級銘柄として販売している。値段は100gあたり1万円くらい。日本のコーヒー専門店で見かけることがあるけれど試したことはない。ちなみに日本の住宅街にもしばしば出没して、生ゴミを漁ったり、畑を荒らしたりするハクビシンもジャコウネコ科だ。

猫の他にも麝香鼠、麝香牛、麝香蜂なんてのもいるらしいし、麝香人(ビト)もいたそうだ。『香りの歳時記』に、中国の四大美女に数えられる西施(せいし)が身体から麝香を放ったと書いてあった。

俳聖芭蕉の『奥の細道』に、東北地方で詠った「象潟や 雨に西施がねむの花」という有名な句がある。句中の西施は、古代中国の越国の王勾践の愛妃で悲惨な最後を遂げたと伝えられる稀代の美人を指している。西施はただ美しいだけではなく、挙体芳香すなわち全身よりかぐわしい蘭謝の香を発したという世にも珍しい香女でもあった。西施が入浴した後の湯は移り香で芳香を放ち、人みな争ってその湯を汲み化粧水としたという。(香りの歳時記)

なんだか、お風呂のお湯を信者に売っていた新興宗教の教祖を思い出されるエピソードだな。

ぼくは天然の麝香はおろか、ムスクの匂いも嗅いだことはないけれど、香嚢から取り出したばかりの麝香は、強烈なアンモニア臭がして、むしろ不快らしい。それが乾燥や稀釈などのプロセスを経て、蠱惑的な香料に変わる。

そして、ここでぼくはジャズのことを考えてしまう。

もともとは自然界に存在する音に端を発し、やがて楽器が誕生して、それらを調律するルールが生まれ、音符という記号が発明されると、それを規則正しく配置し、整然とした響きや表現が追求された結果として、西洋音楽が完成した。そこに原始的な楽器の伴奏やチャント(合唱)で演奏されていたアフリカの音楽の、自由で開放的なリズム、グルーヴ、即興性などを、西洋音楽の合理性を使って加工することで、ジャズという音楽になった。香嚢から取り出したばかりの動物的な麝香の香りを、エチルアルコールなどで希釈したりして、洋服や身体にふりかけやすくしたのがムスクであり、音楽で言えばジャズだ、というのがぼくのイメージである。


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特に《ブルー・ノート》と呼ばれる、ジャズやブルーズ独特の楽音は、半音単位で表記される西洋音楽の楽譜では表現できない野性味、そして憂い(ブルー)のフィーリングを含んでいる。

このように旋律と和音を、西洋音楽理論の場合のように同次元のものとして捉えられない理由は、ジャズ、あるいはブルースがその発生の時以来常に黒人と白人の両方の音楽要素は衝突することの上に成り立ってきているからである。(山下洋輔「ブルー・ノート研究」『風雲ジャズ帖』より)

異なる文化の音楽的衝突が生み出したものがブルー・ノートの響きなら、石本藤雄さんがフィンランドで作ってきたテキスタイルや陶器作品からも、ブルー・ノートのような異文化の衝突が生んだ香りを感じるのだが、みなさんはどう思われるだろうか。

そして、最後にここまで書いてきた文章の前提をひっくり返すようなことを書く。

麝香=ムスク=フェロモンが人間に与える効果は、専門家たちの多くが疑義を唱えているみたいだ。本物の麝香が手に入らない以上、その効果を立証する手段が無い、ということ。もうひとつは、フェロモンに誘導される哺乳類には「鋤鼻器」(じょびき)というフェロモン専用のセンサーと、その刺激を処理する「副嗅球」という器官を備えていることがわかった。じゃあ、人間はどうかというと、鋤鼻器はほとんど退化していて使い物にならず、副嗅球にいたっては持ってさえいない、という。

要するに、異性の醸すフェロモンに惑わされるというのは、まったくのプラシーボに過ぎないというのが、現代の専門家たちの意見である───ふうむ、なんだか夢がありませんね。

ところで、石本さんはフィンランド語でムスクという意味の《Myski》を、カラフルな花の図柄に与えている。鹿とか猫とか鼠……あるいはヒトといった、麝香を放つ動物がモチーフでないのはなぜだろう。それとも《Myski》というタイトルには、なにか知られざる意味が含まれているのだろうか? このへんはぜひ黒川さんの解説を楽しみにしたい。

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余談だが───このなんとも絶妙なタイミングで、小沢健二のアルバム『Eclectic』(2002年)がSpotifyほか各種サブスクリプションでデジタル配信された。

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このアルバムの3曲目に入ってるのが「麝香」という曲。

"Eclectic"とは日本語でいうと《折衷》───つまり「相異なる哲学・思想体系のうちから真理、あるいは長所と思われるものを抽出し、折衷・調和させて新しい体系を作り出そうとする主義・立場」(from ウィキペディア)のこと。なんとなく今回のぼくのテキストと響き合う感じがしないだろうか?

アートワークも《折衷》というタイトルにぴったりで、ぼくは昔からすごく好きだ。デザインはNico Schweiserというスイス出身のアート・ディレクター。雑誌『The New Yorker』や『I.D. magazine』なども手掛けている。


あとがき:

Text by Eisaku Kurokawa (Mustakivi)

ミズモトさんとの連載企画・第11弾のテーマは、石本藤雄さんによって1997年にデザインされ、マリメッコ社からリリースされた《ミュスキ》(Myski/じゃこう(香り))だった。確認できているカラーバリエーションは4種

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描かれている「花」の形は、1983年にデザインされたTaivalから採用されており、石本藤雄さんの他のテキスタイルデザインにもみられる豊かな発想力、色彩で”ガラリと”雰囲気を変える力を感じる名作だと思う。

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《ミュスキ》(Myski/じゃこう(香り))というタイトルは、教会(ロシア正教)の儀式で用いられる「お香」の煙の様子(煙が昇る様子)を、花が散りばめられている動きやリズムと重ねたことからと伺った。また、カラーリングもロシア正教の教会に多く用いられる金の装飾品をイメージして花の色には金色を主に採用したとも聞き、深く納得した。

と、ここまでがさらっと《ミュスキ》のデザインについての紹介となるが、今回は併せて触れておきたいことは二つあって、「石本藤雄さんのデザインは”グラフィック”的」ということと、「石本藤雄さんのデザインに対する考え方の中に”情報伝達”という要素がある」ということだ。

先日、ある記者の方が石本さんに取材する場に立ち会った際、石本さんが語られていて特に印象的だったことが、「僕の作風はグラフィック的…」「僕のデザインとは”情報伝達”なのかもしれない…」と語られていた言葉がずっと頭に残っている。

今までも、東京藝術大学でグラフィックを専攻されていたということは知っていても、石本藤雄さんの作風との関係性については頭の中で繋がっていなかったので、とてもハッとされた心境になった。

”グラフィック的”という言葉の解釈は人それぞれだと思うが、私的に石本藤雄さんが考える”グラフィック的”という言葉は、とある形や色を「分解(部分的に採用)」、「拡大・縮小」、「リピート」といった”視点や発想”のことだと解釈している。石本藤雄さんのデザインをそういった観点で観ると、改めて気づかされることは多い。

”グラフィック的”である前の、他と違うオリジナリティーのある「着眼点」の才能も勿論大きいと思うし、そういった構図的な手法での「情報伝達」を、さらにさらに強調するのが類まれな「色彩感覚」だとも思う。

「美大専門の予備校に通っていた時に、教科書に出ている配色とも異なり、一般の受験生の表現とも異なる配色を担当講師の二人が高く評価してくれて、優秀作品として掲示された」「色彩の授業で独自の才能を大きく開花させた」というエピソードも重要なファクターだと思うので、今度更に詳しく伺ってみたいと思う。

ではでは、そういった「石本藤雄さんの類まれな感覚は”どこから来たのだろうか?”」

まだまだ理解が浅いと思うけど、僕には半ば…人生の大きな研究テーマであり、共に仕事をさせていただく日々のやりとり、その中での些細な言葉や空気感の端々が、記憶として、感覚として、少しずつ心に積もっている心境でもある。

僕の考える「”石本藤雄”はどこから来たのか?」を僭越ながら現状認識の”記録”という趣旨で記しておくと、まず「実現したいと願い続ける力、行動し続けられる力があること」が巨大(異常)な要素だという考えに行き着く。

つまり、弛まない努力がベースにあって、その上での感性の豊かさだと思う。言葉にすると、使い古された言葉の印象に陥ってしまうかもしれないが、言葉の重みを感じて頂けることを願いたい。

多くの人を魅了する独特な色彩感覚やフォルムをつくりだす感性には、勿論幼少期の経験や故郷の原風景が影響していることも事実、東京藝大での様々な学び、就職先での和装の分野に携わった経験、その後のフィンランドでの「デザイン黄金期」ともいえる時代から、第一線で活動しつづけた経験が影響しているのは紛れもない事実だと思うけど、日々一緒に仕事をさせて頂きながら、僕の中で”確定的”になってきた凄さ「願い続ける力、そのために行動し続けらる力」だと強く思う。「自分自身の中から湧き上がる本物の”
”希望”を抱き続ける力」
とも言い換えられるかもしれない。

「類い稀な色彩感覚とグラフィックのセンスが合わさる情報伝達力」x「願い続ける力」が現時点で僕なりに抱いている「”石本藤雄”はどこから来たのか?」の解だと思う。 甚だ浅はかだが、これからも更に学んでいき、追加、更新し、ディテールを深めていきたいと思う。

スクリーンショット (50)

そういったエッセンスを、Mustakiviのモノとして、コトとして、これからも皆さんに伝えさせて貰えればと思うし、きっと、心に届く“彩り”や”希望”のような価値があると信じているので、スタッフやチームのメンバー共々、純粋に頑張っていきたいと思う。


以上、今月も最後までお読みいただきありがとうございました。来月もお楽しみに。ミズモトさん、来月も宜しくお願いします。

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