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書評:連作の魅力|工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』短歌研究社/2020

歌人・工藤吉生の第一歌集。工藤吉生は、1979年千葉県生まれで、宮城県在住。2018年に「この人を追う」(30首)で第61回短歌研究新人賞受賞、あと同年、車にはねられている。

木下龍也の『天才による凡人のための短歌教室』の中で、「短歌の今後を背負っていく星たち」の一人として(そしてその歌集として)紹介されていたこともあり、京都の一乗寺の恵文社にて購入。

この歌集で一番印象に残ったのは、「連作」というものの面白さ。私はまだ、歌集を読み込んだ経験が少ないので、「連作」という形態がどのような効果を産むのか、また歌人によってそれはどのように変わるのかわからない。ただ、一首一首が単体でも面白い上に、連作の中の「この」並びであるがゆえに、新たな意味や面白さが浮かび上がる、というのが、一つの理想なのではないか、とは思っている。

そういった観点で、この歌集の連作の中で一番唸ったのは、「おもらしクン」という題名の連作だ。この連作の最後に収録されている歌はこれだ。

眠るため消した電気だ。悲しみを思い返して泣くためじゃない

この歌単独でももちろん好きだ。過去に自分が過ごした、何かに苛まれながら眠りにつかなければいけない幾つもの夜を思い出させてくれる。そんな夜を過ごすのは私だけではないと知らせてくれる。でも、この歌の直前に並ぶ歌はこれだ。

早く早くとドアを叩いてそののちに漏らして泣いた夜を忘れず

これがあるものだから「あれ?もしかしてこのあとの歌に出てくる『悲しみ』って、そういう感じのヤツのことなの?漏らしたとか、そういうレベルの??」と、思えてくる。「悲しみ」という言葉に潜むおかしみが前景化する。

でも、と再び翻って考える。結局、今の自分を苦しめていたり、曲げてしまったりしているものって、そんな他人から見たら(下手したら今の自分から見ても)些細なことだったりするし、それらが泣くほど悲しいことにも、嘘はひとつもないんじゃないのかな。

そうして、連作全体を読み返してみると、そこにはプロ野球カードで望まないカードばかり出る悲しみも歌われていれば、家族の中にいてふと感じた疎外感も歌われている。そんなこんなで、連作の中に並ぶ短歌を行き来しているうちに、ふと思う。人にとっての、そして私にとっての「悲しみ」って、なんなんだろうね、と。

これは単体の短歌では、味わえない感覚だったと思う。

いつか私も短歌の連作に挑戦してみたい。そしてこんな面白さの多重性を潜ませてみたい。

この歌集、他にも好きな歌がたくさんあった。それらについてはまたの機会に。

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