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泥書房で瀬戸夏子を読む

この3連休初日の17日は、久しぶりに泥書房へ。

松村正直先生の『踊り場からの眺め』に出てきた、石川美南の短歌と、それにまつわる2つの記事(「短歌年鑑」と「コスモス」)の原本を確認したかったのが、まず目的のその1。さすが泥書房、どちらの記事もすぐに見つかり、確認できた。

甘夏のさみしき輸送 零れたら受け止めるしかないね身体は

石川美南(「短歌年鑑」平成29年版の特別企画「大学短歌会誌上歌会」収録)

目的その2は、瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』を読むこと。木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』で紹介されていた30人の歌人(30冊の歌集)の中で、まだ手に取ることが出来ていなかった歌集の1冊をやっと読むことが出来た(まだ途中までだけれども)。

瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』密林社

ここまで読み解きが難しい歌集は初めての経験だった。

まず、目次をみると、最初に収録されているのは「すべてが可能なわたしの家で(20首)」とある。20首連作なのだろうと思いつつ、ページをめくる。

出てくるのは散文詩である。

もうこの時点でくらくらくる。理解がすぐに追いつかない。気を取り直して、構造を探ろうとする。どうやら、20の散文詩が収録されているようだ。散文詩を読んでいってみる。すると、その中に五七五七七(もしくはそれに近い韻律)のフレーズがあることに気づく。1つの散文詩の中に1首ずつ短歌が潜んでいる、ということだろうか。

そこからは、散文詩の中から掘り/彫り起こすように短歌を探していく。字余り・字足らず・破調の短歌もあるようだから、自分の韻律感覚を信じて掘り/彫り起こしていくしかない。夏目漱石『夢十夜』の「第六夜」の気分である。

そうして掘り/彫り起こした「20首の短歌」を私はメモしてきた。今手元にそれはある。しかし、私は未だ確信が持てないままだ。ほんとうにこれでいいのだろうか、と。

絶版で入手困難なのがかえすがえすも悔しい。手元において折々で読み解きを試みたい歌集である。

(あと、口に出して読んでみると、でたらめなような散文詩がほんとうに心地よいのですよね……そういう意味でも、手元に、というか自分の家において、そして、事あるごとに音読したい歌集です。)

土曜日で半分ほどしか読めなかった。残り半分はまた後日、泥書房に読みに行こうと思う。

天気予報 しらべようにもわたしたちの、住んでいる場所は多すぎて

瀬戸夏子「すべてが可能なわたしの家で」(『そのなかに心臓をつくって住みなさい』収録)




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