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一首評:枡野浩一『てのりくじら』より
結婚はめでたいことだ 臨終はかなしいことだ まちがえるなよ
「そうだよね、本当にそうだよね」という声が心に聞こえてくるような歌。
歌の構造としては初句と二句の五七でワンセット、三句と四句で五七でワンセット、ここでリフレインの効果を生んでいる。そして結句の七音で「まちがえるなよ」と語りかけるかのように終わる。うたとして記憶に残りやすい構造だ。
さて。結句七音にある「まちがえるなよ」。ここに来る七音のフレーズはいろんなものが考えられるはずだ。だがここで「まちがえるなよ」というフレーズが選ばれ、告げられることで、読み手はひとつのことに気づかされる。
「そうだ、我々はこのことをまちがえやすい生き物なんだ」ということに。
自分のことにしろ友人など他の人のことにしろ、結婚という事象があった時に、めでたいという感情に別の感情が混ざることは、ある。臨終の時に、かなしさ以外の感情がよぎることは、ある。それは時には文学を生む。そんなテーマの短歌だってきっとあるだろう。この短歌を詠んだ歌人・枡野浩一もそれを否定したりはしないはずだ。
それでも、そういうことを差し置いても「結婚はめでたいこと」であり「臨終はかなしいこと」である、と語りかける。まちがえやすいことかもしれないけれども、忘れないようにと語りかける。これもまたきっと文学だ。
そして、最後の「まちがえるなよ」の「よ」が良い。力強くもあるが押し付けがましいわけではない。語りかけている相手は、読み手のようでもあり、この短歌を詠んだ歌人自身かもしれない。
そんな語り口のおかげでだろう、読んだ人の心にこのメッセージは、きっとすっと入ってくるに違いない。
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