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意味を超えて響く声、詩そして信仰—『Tokyo Poetry Crossing』を観て

昨夜は、この配信ライブを堪能した夜だった。

詩人・村田活彦が主催をつとめたポエトリーリーディングの配信ライブ『Tokyo Poetry Crossing〜Small Planet, Tiny Voices〜』。国内外の詩人11人による競演。

歌人を名乗るようになってから、「詩とはなんなのだろう」ということをよく考えるようになった。昨夜のライブで改めて、詩となることで人の心に届くものはなにか、言語の違いも超えて、意味も超えて届くものは何なのか、ということを考えさせられた。

それほど、昨夜出演された11人のパフォーマーが、各々の言葉、詩、魅力、声を持っていた、ということでもある。

その中でも特に、パキスタン系4世でオーストラリア出身、現在ロンドン在住のZohab Zee Khan のパフォーマンスが圧巻だった。滑舌よくリズミカルに繰り出される言葉のグルーヴ感、気持ちよさ、でもその背後に潜む現代への疑問や怒りが、(言語はわからないのに)伝わるものがあって、本当に素晴らしかった。

そして、ここからは私の思い込みでしかないのだけれども、Zohab Zee Khan のパフォーマンスの背後にとても強い「信仰」を感じたのだ。それを持つもの特有の言葉の力強さ、とでも言おうか。

ここで私が書いた「信仰」とは、特定の宗教に対するそれに限らない。言語化は難しいが、「大いなるもの」に対して心身の一部を預けている感覚、とでもいおうか。

もちろん、パフォーマーの声の良さ、魅力がそう思わせたのかもしれない。しれないが、私はこの「信仰を背景にもつ言葉の力強さ」の有無をやはり重視したい。

それは、私が自分の言葉、自分の短歌にも持たせたいものだ。

自分の短歌をより良いものにしていくために、短歌の技術の向上はもちろん引き続き進めていく。が、もう一つの軸として、「自分の声の背後にある信仰とは何なのか」ということを念頭に置き続けたい。

そんなことを考えていたら、昨夜から今朝にかけて無性に(翻訳されたものではあるが)海外のがっつりした詩を読みたくなった。というわけで、昨夜から今朝にかけて、こんな本を読み始めた。

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これもまた、素晴らしいライブを観たあとならではの余波である。


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