見出し画像

【続】一首評:仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』より

夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで
(仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』収録)

先日、仙波龍英(1952-2000)のこの短歌についての一首評を書いた。

ここで私はこの短歌を、当時の渋谷PARCOが「渋谷という都市の墓標のように」見えた一瞬を描いている、と読んだ。

しかし今日、もう少しだけ別の読み方もあるかもしれないと思い始めた。というのも、今朝偶然こんな短歌を知ったからだ。

たゝかひは見じと 目とづる白塔に、西日しぐれぬ。人死ぬゆふべ
与謝野晶子『舞姫』より

歌人・与謝野晶子が明治三十九年に発表した歌集『舞姫』に収録されているこの短歌は、しかし岩波文庫から出ている自選の『与謝野晶子歌集』には収録されてない。折口信夫の『短歌女流史』を読んでいて見つけたものだ。

ちなみに歌集『舞姫』全文は、青空文庫で読むことができる。

折口信夫は『短歌女流史』の中でこの短歌を、チベット仏教の白塔が見える満州あたりで日露戦争によって夕べに死んでいくものたちに思いを馳せている歌として読んでいる(日露戦争はこの歌集が発表された年の前年まで続いていた)。

西日に照らされる塔と死というイメージ。

ここで私は、仙波龍英がこの与謝野晶子の短歌を知っていて、その上で上述の短歌「夕照は……」を詠んだ可能性を考えてみたいのだ。

もしそうだとすると仙波龍英はこの歌に、「都市の墓標」といったような抽象的なイメージ以上に、「都市生活の中で夢破れて社会的にあるいは本当に死んでいった者達への祈り」を思い描いていたのではないだろうか。

以上は現段階では完全に私の想像(妄想といってもいい)である。明確に「いやそれは違う」という反論があれば、どなたからでもいただきたい。

そして私は、仙波龍英の歌集を手に入れて彼の他の短歌を読む機会を得たのちに、また考えてみたいところである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?