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宵々山

今、京都は祇園祭—祇園会(ぎおんえ)ともいうが—の真っ只中。そして昨夜は「宵々山」と呼ばれる夜だった。

遅い時間になってからだったが、妻と東京から来た友人とともに、その「宵々山」へと出かけ、しばしそぞろ歩きを楽しんだ。

夜の京都市の街中に、提灯の明かりに照らされた山や鉾が浮かび上がる。普段は車通りの多い四条通りをはじめ、多くの通りが歩行者天国となり、さらに非日常な空間へとなっていく。

太子山
蟷螂山、カマキリのギミックで知られる
宵々山からは屋台も出ていた
月鉾

太子山や蟷螂山を眺め、屋台の出店をすり抜け、高くそびえる月鉾を見上げ、人混みの中で、長刀鉾から流れるコンコンチキの音色を聴いた時、急に感極まってしまった。

そうか、わたしは本当はこの2年半、自分の住む街からハレが奪われていた2年半の間に、心が参っていたのだな、とその時気付いた。

祭りが(いつもの形で)行われない日々は、季節の区切りや節目を感じ難く、ただ漫然と時間が過ぎていき、記憶にも刻まれにくかった。この2年半は時間泥棒に奪われたような時間だったのだ。

久々の喧噪の中、山や鉾の光を浴びた夜。帰る頃には人波も少なくなり、静かな夜の道を歩いて帰った。

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