インストールするふたりの歌人が決められない
「え?まだそんなところで迷ってるの??」と言われてしまいそうですが……
私は、木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』がきっかけで歌人を名乗り、そこに書いてあることをひとりの「師」としてここまで短歌に取り組んできた。
この著作の中に、次のような一節がある。
これ。これがまだ決められずにいるのだ。この本を読んでからもう2年近くが経とうとしているのに!
まず私には好みの歌人、好みの歌集があまりに多い。多すぎると言ってもいい。加えて、その時その時の自分のモードによっても、好みが多少入れ替わる。そんなこんなでまったく絞り込めない状況に陥っている。
それでも何人かインストールしたい歌人は絞り込もうとしている。以下、敬称略にて。
まず、鈴木晴香。句跨りによって生み出されるリズムが本当に好き。しかもあの、筒井康隆の文体にも通じるようなハードボイルド(この形容は歌人・奥田亡羊によるものをお借りしている。本当に言い得て妙な形容)さは真似したくなる。
次に、千種創一。助詞の意図的な混乱から自然な語り口が生み出されていく手法や、複数の語りのモードが混じるうた、そして描写の精緻さ。最近作の連作「つぐ」のようなリアリティの生み出し方も憧れる。
それから、笹公人。SFやオカルトと短歌の融合はこの人の右に出る人はいない。ユーモアと郷愁、適度な湿度、そしてなによりもポップさ。ポップであることに尊敬する私はいつも笹公人のポップさにやられてしまう。
ぐっと時代を遡って、佐藤佐太郎。短歌としての格調の高さ、時代を超えて共感を呼ぶ切り口、描写の確かさ、そして「低さ」へのこだわりという視点の面白さ。
戦後短歌ではそれこそ多士済々で迷うばかりだけど、そのような中でも最近心惹かれているのは、大西民子。ささやかな生活の中での景色や感情をうたううちに現出してくる幻想と狂気。「悪意」への鋭敏なアンテナ。間違いなく私の好みである。
それから渡辺松男。歌集がなかなか手に入らなくてその特徴や全貌がなかなか掴めないのだけれど、それでもあの、他の誰とも違う自然の描写のありようや、作者の見え方に読者を取り込んでいく感じ。あの「力」が欲しいと憧れる。
歌集を(おそらく)出しているわけでもないけれども、日経歌壇によく投稿されている藤原建一も憧れの歌人だ。妄執といってもいい作者の幻想に巻き込んでいく感じ、切り口の奇妙さ、多少の字余りなど粗に感じさせない説得力。
そして松村正直。歌集を読み、講座を受講し、時評や評論も読み、その思想やありようさえ真似をしたいと感じている歌人。連作のありようを一番真似したいのもこの松村正直だ。特に歌集『紫のひと』収録の連作は、なんとかものにしたいとここのところずっと思っている。
ここに先日、大辻隆弘が加わった。自分が文語で短歌をかけるようになるかどうかわからないが、文語を使うならばこの高みまで持っていきたい。それから社会詠の批評性の鋭さと美しさ。韻律の美しい社会詠の範にしたい。
……ね?
ここに、一首(あるいは數首)だけだが、それが強烈に気に入っている歌人は、もう数えだしたらキリがない。
いったい私はどうしたらいいのでしょう……
まあ、流石に近いうちに決めようと思います。