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一首評:穂村弘「シンジケート」より

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ

穂村弘「シンジケート」より(『シンジケート』収録)

雪が降った日には、Twitterの短歌界隈ではもはや慣例のように「ゆひら」という言葉が飛び交う

この言葉は、いうまでもなく穂村弘の第一歌集『シンジケート』(1990)に収録された、穂村の代表歌のひとつであるこの短歌からの引用である。

30年以上前に発表されたこの短歌は、ここ最近のTwitterでも何度も何度も引用され、「ゆひら」という言葉も(まあちょっと良くない言葉で言えば)食傷気味になるほどこすられている。

にも関わらず。

わたしはこの短歌をいつ読んでも、もう何度も読んでいるのに(言い方は適切ではないが「オチ」はわかっているのに)、「雪のことかよの結句の鮮烈さが失われないのだ。

何度読んでも「ああ!『ゆひら』って『雪だ』って言ってたのかあ、このひとは!」って思ってしまい、その瞬間エモーショナルな感情が立ち上がるのだ。

この理由をいつも考えているのだけど、答えは出ない。

ひとつには、「ゆひら」という言葉の中に、それ自体の音の美しさ、そして「雪だ」からの絶妙な(かつリアリティのある)ずらし方が、奇跡のように存在しているせいなのかな、と思う。

あるいは、三句目までで必要最小限の言葉で「冬、一緒に暮らすパートナーが熱を出し体温計を加えて、その熱を冷やすために冷たい窓に額を押し付けている様子」がリアリティを持って描かれていて、次の四句目で「ゆひら」という謎の言葉、そしてすかさず結句で「答え合わせ」を放つ……この語順とタイミングの完璧さのせいかもしれない。

正直、自分の今の技量ではこのうたになぜ何度も鮮やかさを感じるのか、わからない

わからないけれども。

何が起こるのかわかっていても何度でも見たくなる手品、オチがわかっていてもずっと聴いていたくなる落語、大好きで繰り返し観たくなる映画……わたしにとって、この短歌はまさにそんなうたなのである。

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