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書評:かすかな痛みの声をとらえる|星野いのり『疼痛』(『文藝春秋』2021年8月号収録)

俳人・星野いのりによる俳句連作『疼痛』が掲載されていると知り、現在発売中の『文藝春秋』2021年8月号を購入してきた。この文芸誌を購入するのは初めてかもしれない。

俳句連作『疼痛』は7句からなる。短歌も始めたばかりの私にとって、俳句はなおさら素人も素人、どのように読めばいいのかわからない。以下、とても感覚的になってしまうが、感想を書かせてもらおうと思う。

この連作を貫く通奏低音はタイトルの通り「痛み」である。どの句も、生命力溢れる夏という季節を舞台にしながら、なにがしかの「痛み」が描かれ、差し込まれていく。それぞれの句での「痛み」は、(自分のものであれ他者のものであれ)ほんとうにかすかな疼きであり、自らの感覚が鈍ければ気づくことすらできないようなものばかり。でも、そのかすかな痛みに、星野いのりの俳句は迫っていく。

作品の性質上、すべての句を引用するわけにはいかないので、私が一番好きな俳句を引用して感想を書かせてもらおうと思う。

コンビニの弁当浅き溽暑かな

コンビニの弁当をはじめとして、様々な商品のステルス値上げ(シュリンクフレーション)が問題視されて久しい。日本経済の衰退を象徴するかのような話だ。それをふと感じる瞬間が、溽暑(じょくしょ)の日に訪れる。そんな俳句だ。

「溽暑」とは、じっとりと蒸し暑いことを指す言葉(陰暦6月の異称でもある)であり、夏の季語。浅学ゆえ、この言葉を私はさっきまで知らなかったが、少し調べてみたら、俳人・岡本圭岳の俳句に、

庭山​は埃汚れの溽暑かな

というものがあるようだ。「酷暑」などの言葉よりも、蒸し暑さの不快感を際立たせる言葉だ。

この、身体にまとわりつくじっとりとした不快感は、そのまま今の日本社会に少しずつ少しずつ浸透しまとわりついている閉塞感とつながっている。その社会で生きる我々がうっすらと感じる、まさに現代的な「痛み」の描写だ。

他の俳句も、読みようによっては、「夏の一瞬の情景」とも読めるかもしれない。しかし、私が感じたところでは、総じて、2021年の日本において、詠まれるべき、個人と、そして社会の「痛み」を描こうとしているのではないだろうか(1句だけ、少し微笑ましい「痛み」もあるのだが)。

そう、この連作俳句は、短歌で言うところの「機会詠」なのではないだろうか。

人によっては、「俳句は自然描写担当、川柳は社会描写担当」というようなことを言うだろう。そういう意味では、もしかするとこの連作俳句は、「俳句ではない」などと批判されたりするのかもしれない。

でも、私はこの連作俳句がとても好きだ。今、ほんとうに今、詠まれなければいけない俳句が、ここにはあると思う。

さて。この連作の掉尾を飾る俳句、「引用はひとつまで」と決めてこの文章を書き始めたので、引用はしないでおく(ぜひ『文藝春秋』を手にとって読んでいただきたい)が、この句こそ、晩夏の描写に見せかけた、今の日本への警鐘、あるいはもしかすると諦めにも似た作者の焦燥の吐露ではないだろうか。私は少なくともそう読んだ。

他の読者のみなさまはどう読むだろうか。

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