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一首評:山田富士郎「パルジファル」より

なにかリッチなこと歌ふらしユーミンの煎餅ぶとんのやうなるこゑが

山田富士郎「パルジファル」より(『羚羊譚』収録)

「それだ!!」と思わず唸ってしまった比喩が魅力の短歌。

「ユーミン」こと松任谷由実(あるいは荒井由実)の歌声は、とても個性的だ。魅力的に聴こえるときもあればなにかが潰れたように聴こえるときもある。ただ、それをひと言で表現する言葉がこれまで思い浮かばなかった。

そこにきて「煎餅ぶとんのやうなるこゑ」である。あの、朗々と歌い包み込むようでいて常に平板さが付きまとうような声質の表現でこれを超えるものを、もう私は思いつけそうにない。

しかもその「煎餅ぶとんのやうなるこゑ」で、「なにかリッチなこと」を歌うという食い合わせの悪さ。

この短歌が詠まれたのは90年代。松任谷由実の第三次ブームと呼ばれる頃の作品群といえば、『恋人がサンタクロース』や『サーフ天国、スキー天国』、人気ドラマの主題曲の『真夏の夜の夢』や『春よ、来い』などだ。確かにこれらの楽曲は、「なにかリッチなこと歌ふらし」と言われそうである。

さらに松任谷由実のデビュー当時の楽曲を思い返せば、『あの日にかえりたい』や『ひこうき雲』など、ニューミュージックというジャンルに属するとはいえ、歌詞にはフォークの匂いが残る。

「貧乏くささ」とまでは決して言わないが、かつてユーミンの楽曲は「煎餅ぶとん」の身の丈にあったような楽曲であったことも、この短歌の背後で効いている。

もう少し踏み込んでいえば、70年代から、80年代・90年代へと時代が進む中で、実態や実像と乖離していく日本人のありようを、ユーミンの「煎餅ぶとんのやうなるこゑ」で喩えている、とも読めるのではないだろうか。


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