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「短歌はまだカタコトといえるほど語彙の偏りがある」

短歌初心者の私は、未だ著名な歌人でも知らない方々・その短歌を読んでいない方々が数多く、歌集(のあとがきや解説)や評論などを読みながら、少しずつ知見を広めているところである。

先日、歌人・東直子の歌集『春原さんのリコーダー』に収録された(単行本出版当時の)小林恭二による栞文を読んでいたら、高柳蕗子という名の歌人を知った。

ネットで調べたりしているうちに、高柳蕗子がTwitterのアカウント持っていることを知り、そこをのぞいてみたら、氏のbio欄にこのフレーズが書いてあったのだ。

短歌はまだカタコトといえるほど語彙の偏りがある
(高柳蕗子Twitterのbio欄より引用)

それだ!と思わず膝を打つ。いや、もちろん私は短歌のことをまだ詳しくは知らないのだけれども、明らかに、短歌で扱われやすい単語というのが存在してそうだな、というのは感じている。そこを、著名な歌人に言語化してもらった気分だ。

どうやら、高柳蕗子は、近現代短歌俳句川柳のデータベースを制作(育成)しているらしい。その名は「闇鍋」。21年12月現在、短歌の収録数は約11万9千首。

量的な分析だけが正義では決してないが、量的な分析から見えてくるものも必ずある。だからこの取り組みはものすごく興味深い。

それこそ、カタコトだからこそ(つまり語彙が偏っているからこそ)、短歌は短歌であり続けていられるのかもしれないし、逆にカタコトを脱した時に、短歌は新たな地平に立つのかもしれない。

おそらくこの言語学的、数量分析的に短歌にアプローチをかけている歌人・評論家・研究者は他にもいることだろう。が、まずはこの高柳蕗子という歌人のアウトプットをチェックしていこうと思っている。なにより、第一歌集を手に入れて読んでみたい(どうやら絶版中……)。

それにしても、やっぱりニューウェーブの時代に生きてきた人は面白いなあ、その横断的な思考はやっぱり叶わんものがある。

最後に。くだんの歌人・高柳蕗子のTwitterアカウントはこちらです。氏の運営しているサイトへのリンク情報もあります。
https://twitter.com/fuusumire


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