見出し画像

書のための茶室(三)遠山邸見学(中)

応接室

一同、母屋の2階にやってきました。

依田:2階は、普段は非公開としています。こちらは応接室です。欄干の向こうに茅葺き屋根が見えるという、彩色豊かな景色となっています。窓枠は、色ガラスを木材の中にはめ込んでいます。ステンドグラスは鉛を使うから重苦しい、それなら色ガラスにして軽くしようという設計意図です。床は箱根細工、それに合わせて段通も専用の品です。
昌:箱根細工と言えば寄木の箱やコースターを見たことがあります。床に使うこともできるんですね。

応接室

依田:この飾り棚を、僕は現存する前田南斎の作品のうちの最高傑作だと思っています。

前田南斎の飾り棚

依田:遠山元一は、前田の工房を2年あまり借り切って、約30点の作品を作らせました。材は島桑と言う、茶杓一本材で30万円すると言われる江戸指物の最上位材、御蔵島産の鼈甲色の素晴らしい桑を惜しげもなく使っています。江戸指物の家は、島桑をどれだけ持っているかがステイタスなんですけども、持っている材の一番いい部分をふんだんに使ったのでしょう。その宝石のような材をかんなで削るという、なんとも贅沢な使い方をしています。

飾り棚内部

昌:内側にも。なんとかわいらしい・・。
依田:表面の花や鳥、蝶の模様は、珊瑚や鼈甲、白蝶貝を埋め込んでいます。この技術を象嵌(ぞうがん)と言いますが、正倉院国宝のレプリカを作った木内省古の技です。

飾り棚内部

依田:金具の文様の下に小さい丸文様が密集しているのが見えますか?これは魚子地(ななこじ)と言って、先が丸くなった鏨(たがね)を一つずつ打って作るんですが、他に類を見ない細かさで、まさに神技と言ってよいでしょう。

魚子地(ななこじ)の技法

すごいのは、これを作った人間の名前が伝わっていないことで、下町の前田南斎付き合いの錺師(かざりし)がこういう技術を持っているんです。戦前の東京というのはそういう技術を持っていたんだということを、思い知らされます。

崇:見るからにすごい扉ですね。

桐材の一枚扉

007:僕はこれが祖父から聞いたこの家で最高の建材だと思っているんだけど・・
依田:4尺間口の桐材をカットしています。このレリーフは付けたものではなく、桐材の表面から削って作っているんです。
知:はじめにこれをカットする人、緊張したでしょうね。
007: 木目を出すために割れと言われたけど、大工の棟梁がなかなか思い切れなくて、酒の勢いを借りて割ったと聞いています。偶然いい木目が出て良かったですが・・。

依田:奥にはベッドルームがあります。朝香宮様が軍事演習で来臨された時にお泊まりになりました。ここはデザインがアールデコ調になっています。朝香宮様というと東京都庭園美術館のアールデコ建築で有名な方ですね。おそらくそれを意識されたんでしょう。

依田:部屋のデザインは高島屋の美術部が手がけたそうなので、装飾パターンは高島屋です。それを指示通りに大工が削ったのでしょう。当時の最高の腕利きを全国から集めて、近所の農家に寝泊まりさせながら作ったんです。
崇:利益を考えず、持てる技術を全て注ぎ込んだとは、夢のような話ですよね。
007:東京から遠かったために戦後GHQが来なくて、家具や調度品を徴収されなかったのが幸いしました。

西棟

依田:では西棟に移動しましょう。棟を横断して書院造から数寄屋作りに移行していくのですが、床高が違うのでそれを相殺するため、ここの渡り廊下は、ゆるやかなスロープになっています。片側の壁は角柱、反対側が丸柱で、書院造から数寄屋造に移ることが暗示されています。

この無双窓も見どころです。すっと動きます。この窓もそうですが、職人さんが見学に来ると、築80年経っているのに、柱と壁の隙間が一切ないことに驚愕されます。

すっと開く無双窓

依田:さて、西棟は、みっつの数寄屋座敷と仏間から構成されています。3つの座敷が真行草になっていると言われていて、この部屋は行とされています。

行の座敷

依田:この部屋の特徴は何と言っても天井で、板目の杉の間に網代を挟んだという非常にデザイン性の高いものです。

板目の杉と網代の天井

依田:次の部屋が草の茶室。半分土間で瓦敷になっています。ですから僕らは瓦間って呼んでますね。3枚の障子が一箇所にまとまることによって90度の角度で庭を見られるというのも特徴です。壁が黒くなっていて、経年で白く中の抜き文様が浮かび上がるようになっています。濃淡のある壁は「墨差し天王寺(すみさしてんのうじ)」という名前が付いています。

墨差し天王寺と呼ばれる壁

依田:落としがけがたるまないように柄を使っている。それが浮かび上がっているのがここですね。

次の間が真行草の真の座敷で、床の間が2畳の深い床の間になっていて、襖が菊、こちらの襖も光輪菊、そして上の欄間が桐材のすかしになっていることで「菊桐」になります。

桐材の透し彫り

007:ここは祖母の部屋として作ったので一番いいものを使っているんですね。
依田:天井が極上の薩摩杉と言われています。この材には言われがあって、総監督遠山芳雄が、大工の棟梁清次郎を連れて大阪の材木屋に入っていって、開口一番、「一番高い材を出せ」と言って出てきたのがこれだったそうです。三菱グループの岩崎家が買うのを諦めた値段がついていたらしいんですが、言い値でそれを買ってきました。材木屋の方が驚いて、「持っていかないでくれ」と泣きついたらしいですが、「商人が値段をつけて、その額を出されたら絶対に譲れ」と奪ってきたらしいです。非常に密度の高いすさまじい材ですね。
崇:材木屋さんも、まさか買わないだろうと思ってふっかけたんだろうね。

仏間

依田:さて、こちらが仏間です。ここだけ床が高麗縁になって格式をあげています。

仏間

依田:今日は特別に仏間を開けてお見せしましょう。台座が中尊寺風、高台が法隆寺の橘夫人念持仏厨子、天蓋はおそらく平等院鳳凰堂風ではないかと思っているのです。こちらの側面に飛天が飛んでいます。法隆寺の金堂風ですね。
知:いろんなものがオマージュされているんですね。
依田:上は格天井になっています。中が深くて広い。
知:お寺がまるごと一個ここに納まっているような感じですね。奥を覗くと、自分が小さくなって、お堂の中にいるような気持ちになります。

仏間のなか

崇:砂子で雲も描かれているんですね。
依田:本来は金属で作られるものを全て木材で実現するという、すごい技術なんですよね。桑材で、金属の黒さや光沢を表現したんです。

お手洗い

依田:さて最後に超絶技術を盛り込んだお手洗いをご紹介しましょう。便座周りがヒノキの一枚板です。
昌:私だったらもったいなくて使えず、隣の家に借りに行ってしまいそうです。
崇:ヒノキだから消臭効果も兼ねているのかな。
依田:この壁が、紅差し大津磨(べにさしおおつみがき)」の最高級の塗り壁です。
昌:紅差し、というのは・・?
依田:ベンガラを混ぜて赤くしているから紅差しです。大津磨は工程が多くて、一日1m2しか塗れないと言われているんです。驚くべきは、どこから光を当てても左官のコテ跡が見えないということです。

全国の左官屋さんが見に来るというお手洗い

依田:大津磨きは工程的に時間をかければできるんですが、この面積を、コテ跡を見せないのが人間的に不可能なんです。基本動作をひたすらやっていけばここまで辿り着けるはずだ、ということが示されている見本です。
知:人間の到達できる最高の境地を示しているんですね。
依田:これは左官屋さんが見るとショックを受けるそうで、全国の左官屋さんが見学に訪れます。左官業界で遠山記念館と言えばここ、ということになっているそうです。

知:いやあ・・見ましたね。
昌:数々の超絶技巧をね。
崇:呆然としますね・・。
昌:予算が限られているからいい建物が建てられないという話はよく聞きますが、予算があってもここまで想像力を働かせられるかというと、難しいですよね。
依田:同時代の、ここと同等かそれ以上のお金をつぎこんだ建物もありますが、ここまでの技術とアイディアを盛り込めた例は少ないように思います。遠山芳雄の情熱とアイディアが盛り込まれ、それを当時最高の職人が具現化できた、幸福な例なのでしょう。
昌:そして、愛情とね。

知:最近の建物やデザインはシンプルに、ミニマルになる方向にありますが、この建物を見てしまうと、想像力がないことへの甘えなんじゃないかと感じてしまいました。
崇:建築の視点から見ると、技術の進歩によって、シンプルに建てられるようになったという要素もあるんですよね。ただ、技術を知った上でミニマルな設計を選択するのと、知識や想像力の素地がなく、ただミニマルなのとでは意味が違いますよね。
昌:根本さんもご自身の茶室にアイディアを盛り込まないと。
知:今はなんにも考えられません・・。打ちのめされたような感じです。

昌:じゃ、帰りましょうか・・。
依田:では離れの茶室にご案内いたします。
昌:はっ。これから茶室だった!!

次回に続きます。→コチラから!

文:山平 昌子
写真:山平 敦史


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?