春風
風は目に見えないけれど、私達のすぐそばに、いつもいます。
夏は、ひゅう、と吹いて、私達を涼しくしてくれたり、冬はびゅうぅと吹いて、私達を凍らせるくらい冷たくしたり、風はいつも気まぐれ。
風にはいろいろ、いろんな風があるけれど、まだ幼い、ぼうやの風がいました。
季節は春。
さくらが、町のあちこちに咲いていました。
この町には…いくつなのでしょうか、大木のしだれざくらのおばあさんがいました…と言っているのが、ばれたら、
「ふんっ、わたしゃ、まだまだおばあさんなんかじゃないね!」
と言いそうな気位の高い方なのですが。
そのしだれざくらのおばあさんのすぐそばに、今年、芽吹いたばかりの、小さなさくらの木がいました。ほんとうにとても小さくて、可愛らしい女の子でした。
風のぼうやは、春なのに、ふーっと冷たい風を吹かせて、私達を寒がらせたり、女の子のスカートをめくったり、しようもないことばかりしていました。
「ふふん、みんなを困らせるのは楽しいなあ。」
風のぼうやは、しだれざくらのおばあさんのところを、ひゅん、と通りがかりました。
「こら、ぼうず。今日もいたずらばかりしているようじゃな。」
しだれざくらのおばあさんが風のぼうやを呼び止めました。
「おまえは、おまえのじいさんにそっくりじゃ。おまえのじいさんも小さいころ、いたずらばかりしていたよ。おまえと同じで。」
「うるせえな、ばあさん。」
「なまいきな口ききおって。目上の者は敬えと教わらなかったか。」
ふと、ぼうやの目に、小さなさくらの木が入ってきました。
小さなさくらの女の子は、はずかしがりやだったので、ただじっとぼうやのことを見ていました。
「…ばあさん、この小さいのはだれ?」
「こないだ、芽吹いたばかりのうちの孫じゃ。うちの孫に変なちょっかいだしたら百代先まで呪うぞ。」
「ぶっそうなばあさんだな。」
ぼうやは言いながら、小さなさくらの女の子が気になってしょうがありませんでした。
(かわいいな。)
と、ぼうやは思いました。
一方、小さなさくらの女の子のほうは、おばあさんとぼうやの会話に、すっかりおどろいてびくびくしていました。
…こわーい…
と、さくらの女の子は思いました。
さて、私達人間は、さくらの花が咲くと、お花見をしようと、ビニールシートをひろげたりして、場所とりをして、お酒を呑んだり、お弁当を食べたりします。
しだれざくらのおばあさんは人気者でした。どのさくらの木よりも早く、おばあさんの周りは、ビニールシートでいっぱいになりました。さくらの女の子の周りも当然、人がいっぱいでした。
女の子は、春のお花見が初めてだったので、緊張していました。
「おばあちゃんはすごいわね。みんなが、きれい、って言っているわ。」
「大丈夫、おまえも今に大きくなるよ。」
一方、風達は、そろそろ、春風を吹かせようということになりました。春風を吹かせることは、季節を知らせるうえで、風達の重要な役割です。
「おまえも、もう、北風を吹かせるいたずらはおしまいだぞ。」
風のぼうやのお父さんが言いました。
「はいはい。」
「はい、は一回でいい。」
「はいはい。」
お父さんが怒りだしたのを感じて、風のぼうやは逃げだしました。
春“風”かぁ…
ぼうやは、しだれざくらのおばあさんと、小さなさくらの女の子の前の人間達を見ていました。
おれも人間だったら、こうやってずっと見ていられるのになあ。
風が吹いたら、さくらは散ってしまいます。
小さなさくらの女の子を見ながら、風のぼうやは思いました。
ずっとこのまま見ていたい。
「おや、ぼうず、どうした? 今日は元気がないな。」
しだれざくらのおばあさんが風のぼうやを見つけて言いました。
「春風を吹かせろって、言われたんだ。」
風のぼうやは言いました。
「でも、おれが吹いたら、ばあさん達は散っちゃうだろ。…そこの小さいのも。」
「ふうむ。」
しだれざくらのおばあさんは含み笑いをして言いました。そこへ、
「こらぁ、逃げるなあ!」
ぼうやのお父さんがやってきました。
「あ、こんにちは、しだれざくらの大奥さま。」
「丁度良かった。私に向かって春風を吹いておくれ。」
ぼうやのお父さんは、ふーっと辺りに春風を吹かせました。
すると、辺り一面に、しだれざくらのおばあさんの花吹雪が舞いました。
「おおっ!」
花見客の人間達が歓声を上げました。
「どうじゃ、ぼうず。散るさまも美しいとは思わないか?」
しだれざくらのおばあさんが言いました。
「でも、性格がばあさんじゃな…」
「うるさい‼」
風のぼうやは、さくらの女の子にたずねました。
「…吹いてもいいかい?」
さくらの女の子は、
「はい。」
とはずかしそうに言いました。
風のぼうやは、春風を、ふーっと、小さい女の子に吹きました。
はらはらと、女の子は、花びらを散らせました。
「花見のピークは、今日かも知れないな。」
人間達が言いました。
そのうち、小さなさくらの女の子は、青々とした葉を茂らせて、太陽のおかげでぐんぐん大きくなっていきました。来年は、もっときれいな花を咲かせることでしょう。
風のぼうやも、その頃にはもう少し紳士になっていればいいですね。
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