モーツァルトの光と闇
モーツァルトは無邪気だとか快活だとか言われるたびに考え込んでしまう自分がいた。そうしているうちに煮詰まっていく。
パリのオペラ座は斬新な演出が好きだ。
スタイリッシュともいうしモダンともいうし、キラキラを排除したダークさをも感じた。
当日券で行けば、5~10ユーロで観劇できるので、パリにいた頃はよくオペラにも足を運んだ。
度肝を抜かれたのは何といってもマダム・バタフライのモノクロームな演出だ。「禅・静・闇」といったところだろうか。最初から最後まで不気味(不吉)さを保ち、聴衆の戸惑いを誘った。
椿姫にしてもカルメンにしても舞台は現代だった。劇中の彼らはスマホを使い、SNSまで駆使していた。トスカは飛びおりない。それはかえって、息苦しいほどの憎悪が残った。
モーツァルトも斬新だったが、その新しさと同じくらい、魅力的だった。
魔笛は白と黒の衣装で光と闇を象徴し、簡素とも見えるステージは、メルヘンチックになりがちな世界に「生と死」という重たい存在感を残した。
ドン・ジョバンニでもそうだ。精神的な心理戦へ目を向けるように、視覚的華やかさを抑え、どうしようもないプレイボーイの妖艶な歌声はあまりにも色っぽく響いた。
陰に隠れがちのコシファントゥッテ。これは歌手とダンサーの二人で、一人の役を演じていた。つまり舞台上には二倍の登場人物がいて、歌い手の心情をコンテンポラリーな踊りで表現する。殺風景な白を基調としたステージに、シンプルだがお洒落な色彩の衣装が不思議と香った。
モーツァルトは「光と闇」、ある意味仮面的な二面性を持った音楽に思った。
現代におけるフォルテピアノのモーツァルト研究は、これまでの日本での伝統的スタイルとは違う。
賛否両論あることと思うが、暗い情緒や人間的な黒さが、典雅を上回るようなスタイルもヨーロッパでは増えてきた。
それはモーツァルトの「闇」であると感じる。
そんなこんなの体験を汲みながら、新しい、そしてより本質的なモーツァルトに迫ってみたいと願っている。
こちらは留学中のリサイタルやジュネーヴでの国際コンクールなどで演奏してきた思い出のモーツァルト。
さまざまなアプローチを許容し、いつまでも人々を翻弄させるモーツァルトは、本当に天才だと思う。
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/