プログラムノート-2023.04.23.山手ゲーテ座 リサイタル
お礼
2023年4月23日(日)に岩崎ミュージアム・山手ゲーテ座でのリサイタルにお越しいただきました皆さま、配信をご視聴いただきました皆さま、本当にありがとうございました!
配信をご覧いただいた方々に向けて、こちらでプログラムノートを添付させていただきます。MCの内容とかみ合わせて、演奏(アーカイブ1か月間)をお聴きいただけましたら幸いです。
ご来場orご視聴の方にはチケット料金をお支払いいただいております。プログラムノートは「購入者ならではの楽しみ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。そのため、こちらの記事は一般公開の形にしていますが、配慮のための金額を付けさせていただきました。ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
プログラム
フリードリヒ・グルダ:アリア
ロベルト・シューマン:森の情景-ピアノのための9つの小品- 作品82
1.森の入り口
2.茂みの中の狩人
3.孤独な花
4.気味の悪いところ
5.親しみのある風景
6.宿
7.予言の鳥
8.狩の歌
9.別れ
モーリス・ラヴェル:鏡
1.夜の蝶
2.悲しき鳥たち
3.洋上の小舟
4.道化師の朝の歌
5.鐘の谷
プログラムノート
比喩の織りなすもの
いつか並べて取り上げてみたいと思ってきた作品『森の情景』と『鏡』をようやく皆さまと共有できることを嬉しく思います。ふたつに共通する「鳥」は自然界の鳥であると同時に「人間」の比喩でもあります。直接的でないことにより、奥行きをもって本質的な感覚が呼び起こされる-その矛盾的な一瞬は、極めて豊かな時間です。
冒頭の詩はドイツ・ロマン派の小説家アイヒェンドルフの一節です。彼はハイネやホフマン、シュレーゲルのように、文学要素の濃いシューマンに大きな影響を与えたひとりであり、近年『森の情景』との関わりも濃厚であるとされています。文学との関わりというと、「世界観の再現」が通常であると思います。シューマンに至ってはそれ以上に「作品の設計」にまで関連性が見受けられ、彼の栄養となった文学作品の数々を知らずしてその音楽に向き合うことは、いささか憚られます。
さて、「予言の鳥」はそれこそ森の奥深くに迷い込んだような不思議な感覚を持つのではないでしょうか。なにより感動的なのは、曲の真ん中に現れる4小節間の旋律です。それは彼が生涯意識し続けた(その偉大さに葛藤し苦悩し続けることにもなった)ベートーヴェンの歌曲にも通じ、シューベルトの彼岸へ足を踏み入れるようでもあり、バッハのモチーフまでも含んでいます。シューマンの「天にまで届きゆかせたい想い」の凝縮された美しい瞬間です。
同じく不思議な世界観を持つ「悲しき鳥たち」は、静謐な響きにラヴェルならではの表現が冴えわたっています。これは「都会に生きる人々の孤独」を投影した音楽でもあります。お洒落で紳士的なパリジャンだったラヴェルは、人間関係においてやや潔癖症のところがあったと言われています。彼は私生活でも女性の影がほとんどなかったように、恋愛的視点から作品を書いていることが少なく、好んだ文学や絵画も趣が違っています。彼が好んだ詩人はベルトランやレニエ、あるいは当時まだ無名だったポー(いずれもやや怪奇的…)、かと思えば哲学書や機械工学の本でした。どこか人との関わりに一線を引くような敏感な感性から見た世界は、時に強烈すぎて孤独だったかもしれません。それゆえでしょうか。その筆から浮かび上がる音楽は、いつも深い優しさに満ちています。
シューマンの精神世界
日本でも古くから森には神や精霊が宿るとされていましたが、ヨーロッパの森にはより深い精神性が存在します。『森の情景』はシューマンが38~40歳の間に書かれました。波乱万丈な人生とともに深刻化していった精神的な病の一方、幻想的で繊細な書法が花開いた円熟期でもあります。吟味されつくした音色のひとつひとつは、混沌とし複雑な情緒の絡み合った初期の作品以上に「語りたいもの」が隠れている気がします。
ふわりと優しい「森の入り口」や「宿」は一緒に名バリトン歌手(たとえばフィッシャー・ディースカウ)に歌ってほしい。「孤独な花」は流暢な歌より人の歩みのようで、「気味の悪いところ」は何かを探し求めるような低弦の語らい、「親しみのある風景」は一転して蝶々が舞うよう。「茂みの中の狩人」-これは警鐘を含んでいるかもしれません。アイヒェンドルフにこんな一節があります。
狩人は誰もが持ちうる「悪意」であると言っているかのようです。自身も大変な文筆家であったシューマンは、雑誌や評論誌で「詩をたくさん読むこと」「名作に触れること」「優れた言葉を蓄えること」を再三述べています。
森から離れる終曲「別れ」は、この曲集のなかで最も美しい作品と思っています。皆さまそれぞれのイマジネーションで、シューマンの物語を感じ取っていただけたら幸いです。
若き芸術家グループ「アパッシュ」
何度弾いてもその芸術性の高さに驚いてしまう『鏡』-この音数の多さで澄みきった響きを描き出してしまうのは、独創性から見ても「事件」だったのではないでしょうか。『鏡』を書いた時期、ラヴェルはドビュッシーを崇拝していて、その思いから集まった前衛派芸術家グループ「アパッシュ」(フランス語でチンピラの意)のメンバーに各曲を献呈しています。アパッシュにはファリャも嬉々として属していました。
「鐘の谷」を献呈された音楽家ドラージュは画家の藤田嗣治と親友でした。日本にも滞在し、『俳諧』という音楽作品も書いたほど日本文化への造詣の深いメンバーです。「夜の蝶」は街なかで偶々見かけた哀しく美しい娼婦を、南フランスの大きな蝶になぞらえて描いたものです。これは詩人で批評家のファルグに献呈-詩人ベルトランの影響も見られています。日本の浮世絵と大きな関連性を持つ「洋上の小舟」は画家のソルドへ。彼らはよく、このソルドのアトリエに集まっていたようです。新しい音楽を見つけてはラヴェルに伝え、その最新のアイディアを取り入れて(ストラヴィンスキーなど)作られたラヴェルの作品を絶賛しながら広める…そんな少しお調子者の存在だったとか。そしてスパニッシュな「道化師の朝の歌」は批評家・翻訳家のカルヴォコレッシに献呈されました。これは役者の嘆きが描かれますが、「この世は舞台、人はみな役者である」とのシェイクスピアの言葉を借りれば、この作品もまた全ての人に当てはまる音楽ではないでしょうか。カルヴォコレッシはパリで大変な芸術革命を起こすことになるバレエ・リュス(=ロシアバレエ団)の前身を形作ったひとりでもあり、その人脈からラヴェルの大きな力になった人物です。
音楽家のみならず幅広い文化人が集い、和気藹々と刺激し合うフランス文化サロンは、考えただけでワクワクしてしまうほど大好きな時代です。音楽でも、絵画でも文学でも舞踊でも…自分の好きな角度から見て、ラヴェルの色彩を感じ取っていただきたいなと思います。
ラヴェルを魅了してきたレニエに、このような一節があります。
繊細な感性のふたりが残してくれた「森」のように深い音楽に、心を寄せていきたいと思います。まずはクラシックとジャズを自在に行き来した稀代の名手グルダのアリアに、清涼感を運んでもらいましょうか。
元町、山手の花々が最も咲き誇る時期のコンサート、いらしてくださった方々からもたくさんの素敵なお写真いただきました。ありがとうございました!
今後とも一層励んでまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/