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【開閉会式で顕在化】エンターテインメント後進国日本の演出力不足

『長野オリンピック1998』に続き、『東京2020オリンピック大会』の開会式・閉会式の演出もとても残念なものでした。ドローンアーティストとして1,000機以上からなる群ドローンによる「ドローンライトショー」演出を手掛けていた立場からは、取り分け「ドローンライトショー」の演出は酷いものとして映りました。

(Twitterの内容と重複しますが)「ドローンライトショー」における「地球」はデフォルト演目であり、ロゴの3Dアニメーションを描くのも定番。(ピクトグラム描写も文字通り「ドローンディスプレイ」として使用しただけです。)形状を作成したのみで演出としての要素は何も見られませんでした。恐らく、「ドローンライトショー」を担当したIntelは開会式演出チームから指定されたフォーメーションを作成し、配置しただけなのでしょう。もちろん、Intelに演出上の責任はありません。

Intelは『平昌オリンピック2018』でも開会式の「ドローンライトショー」を担当していましたが、当時はサイバー攻撃により本番でドローンを飛行させることができず、開会式では事前収録映像を流しました。そのことからすれば、Intelにとってはドローンライトショーシステム「Shooting Star」がサイバーセキュリティにおけるリベンジを果たせただけで御の字でしょう。

因みに、閉会式のARによるライトディスプレイで「五輪ライトリング」コンテンツの制作を担当したのも海外企業であるカナダのMoment Factoryです。Intelとは異なり、Moment Factoryはスポンサーではない筈なのですが、ARコンテンツ制作も日本企業の担当とはなりませんでした。もちろん、これだけなら日本のデジタルアート集団やゲーム制作スタジオでも制作可能です。

開会式の「ドローンライトショー」や閉会式のARライトディスプレイの演出に限らず、日本はエンターテインメントを苦手としています。特に総合エンターテインメントショーは世界から大きく劣っているのが現実です。

開会式・閉会式の失敗は大会組織委員会の開閉会式エグゼクティブプロデューサーの責任が大きいですが、本稿では乱暴となりますが演出に焦点を絞り、日本のエンターテインメントを大雑把かつ簡単に振り返った後、「重力に魂を引き摺られる」ことのない垂直性が演出に求められる時代であることを概観したいと思います。

結論としては、「Flyboard Air」など人が空を飛ぶための飛行デバイスがこれだけ発達したこのタイミングの総合エンターテインメントショーたる開会式で、「大勢の人が空を舞う演出」を実行しない選択肢は個人的には有り得ないということです。『ロサンゼルスオリンピック1984』の開会式でさえ当時の「Bell Rocket Belt」を使用して人が単独飛行しているにも拘らずです。

日本エンターテインメントの凋落

嘗ては伊藤道郎さんのような偉大な演出家(『東京オリンピック1964』開会式・閉会式の総合演出担当だったのですが開催前に死去)が存在したので、日本のエンターテインメント界のレベルはもともと低かったのではなく、著しく低下したと見るのが妥当と思われます。

映画界を取っても、世界で最も権威ある映画誌『Sight & Sound』の十年に一度の恒例企画「映画監督(358人)が選ぶ史上最高の名作映画」第1位に輝く『東京物語』の小津安二郎監督がいて、王道エンターテインメント作品としても優れた映画を撮っていた黒澤明監督がいた時代とは違うということです。

それでは今回の開会式に関連して「日本らしさ」として利用するべきと言われた二大ジャンル、日本のアニメとゲームはどうでしょうか?

日本にはアニメがある?

日本にはアニメーションがあるじゃないかという意見もあるかもしれません。しかし、(再三再四の指摘になりますが)日本のアニメ映画(CG含む)で世界の興行成績トップ10に入った作品は1本たりともありません。『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』であってもアニメ映画(CG含む)に限定した世界興行成績で第24位の中国アニメ映画『哪吒之魔童降世』にさえまだ届いていないのが現実です。

(これも再三再四の指摘になりますが)日本のアニメは手塚治虫さんに見る「パラパラマンガ」です。日本のアニメがすごいのではなく、原作や作品のベースになっている漫画あるいは漫画的メソッドが優れているのです。最近はラノベ原作も増えていますが、アニメがすごいのではなくラノベが描いているキャラクターが優れているのです。すごいのは漫画やラノベであってアニメではないということです。また、純粋なアニメーション技術においても「パラパラマンガ」以外で日本が海外より優れているアニメ技法が存在しないことも直視しなければならない事実です。

「ジャパニメーション」は性的で暴力的な作品を指すと指摘されていた時代もありますが、ゲートウェイアニメの影響もあり、日本のアニメは「子供が見るもの」あるいは「性的で暴力的なもの」というイメージから解放されつつあります。

それでも、漫画やラノベ原作を中心とする日本のアニメには依然としてニッチなカルト的要素が多分に残っており、万人受けするエンターテインメント作品ではありません。カルト的な人気を誇る日本のアニメですが、少なくとも王道エンターテインメントではないのです。

ゲームはどうなのか?

任天堂はじめ日本のゲームには優れたものが多くあります。しかし、そもそもゲームは「アミューズメント」であってエンターテインメントではありません。

確かに、「ポケモン」『妖怪ウォッチ』といったゲーム原作のアニメシリーズが大ヒットしました。しかし、(これも再三再四の指摘になりますが)これらのアニメはゲーム(およびそのマーチャンダイジング)のCMとしての側面が強いものです。これらゲーム原作のアニメ・実写映画とも世界の興行成績トップ10に入ったことはありません。

総合エンターテインメントショーとの差異

日本のアニメもゲームもそれぞれ確固とした地位を築いていますが、どちらも王道エンターテインメントではありません。もちろん漫画は優れていますが、大勢の人が同時に同じものを見て楽しめるエンターテインメントではありません。従って、光と音、そして人間の振り付けからなる総合エンターテインメントショーとなるにはベースが欠如しているのです。

日本の総合エンターテインメントショー演出レベルの低下原因は体系化の不断なる努力を怠ってきたことにあるのでしょう。日本では個人の才能が偶発的にぽっと現れてヒットしては集大成されることなく国内で消費されて消えて行きます。つまり、狙って生み出すことができないということなのですが、この辺の考察は他に譲ります。

重力に魂を引き摺られた演出

特に今回の開会式のような地面を這い蹲り、右往左往するだけの演出はいただけません。日本の総合エンターテインメントショー演出では垂直性が軽んじられているように感じます。「カオス」を作りたかったとのことですが、重力に魂を引き摺られた演出擬きはカオスにすらなっていなかったのが現実です。

人が空中を飛ぶための飛行デバイス

『ロサンゼルスオリンピック1984』では当時のBell Aerosystemsが開発した「Bell Rocket Belt」を使用して開会式で人が単独飛行しましたが、現在では人が空中を飛ぶための飛行デバイスが幾つもあります。

例えば、フランスのFranky Zapata率いるZAPATA COMPANYの「Flyboard Air」、「Bell Rocket Belt」のコンセプトを受け継ぐアメリカJetPack Aviationの「JetPack」シリーズ、カナダOmni Hoverboardsのドローン型飛行デバイス「Hoverboard」、イギリスGravity Industriesの「Jet Suit」などです。残念ながらどれも日本のテクノロジーではありませんが、演出に垂直性を持たせるために使わない手はありません。

空中ダンスチームによる「空の舞」

これら飛行デバイスなどを使用した空中ダンスチームによる垂直性を活用する「空の舞」は最低限演出にほしかったところです。

見たかった野村萬斎さん総合演出

後の祭となった今では、日本の伝統芸能にあって体系化という視点を失わなかったのが能楽であり、その狂言師たる野村萬斎さん総合演出の開会式・閉会式がどんなものになったのか見てみたかったです。

見たかったMIKIKOさん演出のドローンライトショー

ドローンアーティストとしては何と言ってもドローンライトショーを演出に組み込んだMIKIKOさん案の開会式を見てみたかったというのが正直なところです。プロジェクションやARと連動させることは想定の範囲内ですが、実際にどのような総合エンターテインメントショーになったのか、興味が尽きません。

私のドローンライトショー演出チームは解散

日本初の国産ドローンライトショー用ドローン機体およびシステムが権利関係上動かせなくなった後も、『東京2020オリンピック大会』の開会式で必ずドローンライトショーが行われるだろうとドバイなどUAEを中心に手弁当で研鑽を重ねてきた私のドローンライトショー演出チームはこれにて解散です。(幸か不幸か電通から依頼が来ることはありませんでしたが、)チームのみんなありがとう。次はやっぱり垂直性を利用した「くらげドローンによる水中ライトショー」の可能性追究ですね。

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