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【感想】ダイヤモンドの功罪 5巻

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・酔いながら書いてます。

・まだ読み終わっていません。

・私は通常、漫画の単行本(200p前)はだいたい20分程度で読み終わるのだが、ダイヤモンドの功罪は毎回なかなか読み終わらない。

・ダイヤモンドの功罪を私は野球漫画と思っていない。「才能」についての漫画だと思っている。

・ある種「響」に近いのかもしれないけれど、ダイヤモンドの功罪の綾瀬川には響ほどの「傲慢さ」がない。

・例えば、映画「アマデウス」のモーツァルト。私の中での天才のイメージは彼が近い。常人とは違う圧倒的な探求心、そこにたどり着くための努力を努力と思わない集中力、時代の流れを覆す発想、自分の才能を信じてやまない自己肯定感、そして他人を巻き込んでも意に介さない傲慢さ。
これらすべてを兼ね備えた者が燦然と輝く傑物となる。

・綾瀬川には「残酷さ」が足りない。

・身体的なポテンシャル、本質をつかむ探求心、イメージする力、そこに自分の技術を持っていくための努力を努力と思わない心根、今目の前のことだけに意識をもっていくことができる集中力、綾瀬川の心と体と知性の全部がスポーツを、野球をすることに「向いている」。

・綾瀬川自身もスポーツをすることが嫌いではない。

・そんな子供が目の前に現れたら、スポーツ界で一角を志したもの、そこから教育する側に回った者、チームを統制する側に回った者からしたら目が離せないだろう。まるで傾国の美女のように、周囲は綾瀬川に惹かれ、「プロ」になるための野球をするように段取りをつける。

・もちろん、コンプラなどの関係で基本的には綾瀬川の意思が忖度されるが、根底にあるのは「これだけ才能があるのなら、絶対に野球をやって欲しい」という欲だ。

・綾瀬川自身が持っている欲は「みんなと一緒に楽しく野球をやりたい」なのである。もちろん彼自身野球の面白さにはまっていて、チームの一員、キャッチャーという能動的な守備の1番手として、ゲームを組み立てる事を楽しいと思っている。けれど彼の中でそれらは「みんなと一緒に楽しく野球をやる」の延長線上にある事で、たとえばそこに傷つく誰か(一生懸命やったのに実らなかった人)が居て欲しくないと思っている。
更に言えば、「自分のせいで」そんな人が現れることに綾瀬川は耐えられない。
みんなで仲良くフルーツバスケットをしたいのに、綾瀬川のせいで座れる席が無い人がいる。
そのことに綾瀬川は耐えられないのだ。

・また同じ道を進んだものなら「解る」才能の差というものに絶望して、野球を辞めていったチームメイトもいる。

・そのことにも綾瀬川は傷つく。自分のせいで野球を辞める人がいる、という事実に綾瀬川は心を砕く。みんなと仲良く野球をやりたいのに自分が野球をしていると野球から離れていってしまう人が居る。

・このちぐはぐさが1~4巻をかけてじっくり描かれていて、その意識の差の残酷に私はいつも心が震える。そう…これは残酷の一種であるように思う。誰かが悪い訳ではない。綾瀬川は「周りが求めるもの」と「自分の欲求」を知ることになる。

・前述したが、綾瀬川には残酷さがない。

・スポーツでもなんでも「勝負事」には必ず「残酷」が必要だ。なぜなら勝負はかならず片方が勝つことで終わるからだ。相手より能力が上だという事を何かしらの方法で決定しなければならない。自分は相手より上である…という確信を持ち、自分が絶対に勝つのだ!相手を負かすのだ!という残酷さが必要だ。

・勝敗を決めるのは、審査員ではない。自分だ。自分たちで勝ちをとりにいかなければならない。

・綾瀬川はそれが苦手なのだ。よしんば想像力があるだけに敵の事情を慮り、自分のせいで傷ついたチームメイトに思いを馳せてしまう。彼らに対して「完膚なきまでに潰さなくったっていいよね?だってここまで頑張ったのに、それを潰すなんて可哀そうだよ」と、ある種上位互換としての驕りから、手加減してしまうのだ。

・5巻で綾瀬川は「みんなで一緒に楽しく野球が出来る場所を作る(そのために自分が思うままに野球出来なくても良い)」という未来を選んだ。ベアーズで一緒に野球をしていたイガと一緒にその未来のために綾瀬川は自分のポテンシャルを隠し続けている。

・けれど野球は一人で出来るものではない。他のメンバーひとりひとりにもドラマがあり、才能が無い者にも覚悟がある。

・一緒にノンボリの野球をしようと誓ったイガが、綾瀬川よりも先に覚悟を決めた。

・というところで私は止まっている。笑。あと50pくらい残っているぞ!

・私は……私は大変傲慢ながらも、綾瀬川の気持ちも、辞めていったチームメイトたちの気持ちも、綾瀬川と肩を並べて才能なきものとしてやっていかなければならない子たちの気持ちもわかる。と、思っている。

・辞めるのも続けるのも勇気よな。特に肉体的にピークがある事柄に関してはかなり早い段階で「諦める」の選択をしなきゃいけない。それを弁えるのは小学生にはしんどいだろ。

・それでも時代は才能を求める。これもまた事実だ。人は、人はどうしても、スターを求めてしまう。今でいうなら野球の大谷翔平、将棋の藤井聡太、時代を一歩先に進める圧倒的才能を求めてしまうのは人の本能に近い。

・人一人の意思は尊重されなければならない。綾瀬川の「ノンボリ野球をやりたい」という希望を叶えて欲しいと思う。しかし、同時に、合間に見せられる綾瀬川の迸るほどの才気、これを見過ごせる人間はいない。
時代を変える予感にどうしても心躍ってしまう。
どうにか、どうにか野球をやってくれないか…という思いも同時に沸き起こるのである。
この胸の切なさをどう表現したらいいのか未だに分からない。ただ、ただ言える事は才能がある者に才能がある者としての人格が備わっていないと不幸にしかならないということだ。そして、その不幸は過去に数えきれないほどあったのだと思う。
ただ、綾瀬川の場合は1巻冒頭で高校野球で活躍している様が描かれているので、今のピュアっピュアの状態からどうやってああなるのか…を楽しめるのが良い所だよな。オチが分かっている安心感があるぞ!

・ダイヤモンドの功罪を読んでいると私は毎回「傾国の美女」という言葉が頭に浮かぶ。国を傾けるほどの美女。本人の望みに関係なく、存在そのものが多くの人をひきつけ、巻き込み、流れを変えていく様はまさしく傾国の美女と言っていいだろう。

・ビジュアル的にはおおきく振りかぶっての三橋に似ているので読んでみたらこれだ。読むのがしんどいなあ~。完結してから読もうかな?!と思うのだが、この作品はぜひ作者さんが描いている最後まで突っ走って欲しい、という思いがあるので買う事にしている。少年アビスに近いものがある。少年アビスも毎回目を薄めて読んでいる。一気読みするために(途中で読み止まるとしんどいので)完結を待っている作品だ。

・あとで追記(もしくは削除)するかもしれないけど、書かずにはいられんかった。

尾張!


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