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ヴェロニカ・ハーゲン 吐息のようなヴィオラあなたに変しています(その2)/ブラームス ヴィオラ・ソナタ第一番 ヘ短調 作品120の1

恋におちた2人目の女性は

恋におちた2人目の女性はヴィオラ奏者ヴェロニカ・ハーゲン。

彼女にお目にかかったことはないし、これからもその機会はないでしょう。一度も会ったことがない、顔さえも写真を1、2枚見ただけの人に恋をする。異様かもしれませんが、最近はメールのやりとりだけで恋に落ちるカップルもあるようですから別に珍しくもないですか。それに彼女の演奏が入っているCDは何度も何度も聞き続けていて、あの音色に全身支配されているわけですからいわば「恋の奴隷」、奥村チヨです(←この意味わかる方いる?わかんねーだろうなぁ。って古いギャグ)。

ヴェロニカが兄弟と共に活動するハーゲン弦楽四重奏団の演奏は以前CDで聞いたことがあります。あの頃は特別ヴィオラだけに注目していたわけではないのでヴェロニカ1人の存在感でなく、味のある音色の合奏団という印象が強く残っています(改めて探してみたところ、手元のCDの中に、同四重奏団のものはなく、Vln(ヴァイオリン)、Vla(ヴィオラ)、Vlc(チェロ)の3人が参加しているシューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」しか見つかりません。他にもあったと思うんですが…、どこへいったやら)。

ともあれ先日触れた「2つの歌」が収録されているCDで、初めてヴェロニカさんのヴィオラを意識した、いや、させられたわけです。いやあ、参りました。やられました。第一音を聞いただけで虜になりました。

松田聖子さんの「ビビビッ」っていう表現(1998年。古い!)を借りると、「ぞぞぞっ」ってな感じですね。大きな声でいえませんが、心奥底の官能がくすぐられるとでも言いましょうか…(汗)。そうそう、チェロを聞くとお腹の底から響いてくる音色にぞくぞくさせられますね。彼女のヴィオラの場合はそれとも違うのです。まるで脳の随から発信された音の響きがたちまち全身に駆けめぐり、血を沸かすみたいです。

あの音色でヴィオラ・ソナタを弾かれたら、たまったもんじゃありません。演奏中ずっと血が騒ぎ、官能の世界に導かれ心も体もメロメロになっていく。罪深い女性です。そして、主役としてのの演奏もいいけれど、彼女の本領が強烈に発揮されるのは、やはりアンサンブル。カップリングされている「2つの歌」で聞かせるアルトとピアノとの絶妙の演奏は要注目です。「静められた憧れ」のヴィオラの音色はまさに「吐息」。楽器であることさえ忘れるこの音、やみつきになること間違いありません。禁断の音色です。どうです、皆さんも一緒にメロメロになりませんか(笑)。


ブラームス ヴィオラ・ソナタ第1番 ヘ短調 作品120の1
Brahms(1833-1897) Sonata für Viola und Klavier

事実上ブラームス最後の器楽曲となったこの作品は、独奏楽器をクラリネット、あるいはヴィオラと銘打っている珍しい曲です。私はクラリネットも大好きなのですが、この作品に関してはヴィオラバージョンの方が好きです。先に聞いたからかもしれません。興味のある方は両方聞き比べてください。

マーラーは、老ブラームスの音楽を評し「交響曲よりも、室内楽曲において彼の本領が発揮される」と生意気なコメントを残しています。ブラームスの交響曲ファンは多く全世界で愛されているので、マーラーの評価をそのまま鵜呑みにはできないけれど、確かにブラームスの室内楽曲は交響曲に比べ世間の注目度は低いような気がします。

彼の室内楽曲はいずれも規模が大きく、気楽に聞けない点が足かせになっているのかもしれません。私はかつてこう書きました。

「ブラームスの室内楽曲はドラマチックすぎて頻繁に聴くのをためらう」
「私が惚れているのはあの音楽だ。特に室内楽曲は欠かせない。
ピアノ四重奏、ピアノ三重奏、ピアノ五重奏、いずれも傑作であり、何度聞い
てもいい。なのにめったには聞かないのである。」

メールマガジン「クラシック音楽夜話」より

そう、聞いた後の大きな満足感と同じ位疲労感が伴う、つまりぐったり疲れるんですね。イージーリスニング的には聞けません。本を読みながら音楽を聞くことってありますが、読書時のBGMにブラームス室内楽は止めるべきでしょう。

ひとたびブラームスを再生してみなさいって。目の前にある本の文字は、次第にかすみがかかり、やがてフェイドアウトしていきます。入れ替わりに八分音符やら十六分音符やらが五線譜と共にフェイドインし、ぐるぐる回り出します(もちろん想像の中ででのお話です)。聞き入るまい、と決意していたのに、意識は強制的に音楽へ。「じっと」聞いている自分が時々情けなくなります(笑)。この「ヴィオラ・ソナタ」も強烈な効き目です。


第一楽章はピアノ両手によるドラマチックなオクターブのメインテーマがまず提示され、それにヴィオラのむせび泣くようなメロディが続きます。この部分だけで、相当気合いが入りますよ。しかもその後、艶のあるヴィオラのソロ
ピアノはメロディを和音でリズムとで鳴らすこの時代特有の手法。ガーン、ガーンと頭に響く。要所要所で流れるヴィオラの音色。緩急自在なので、音楽的充足感は満たされること保証するけれど、本当に疲れます。第一楽章だけで聞くのを休憩するのも手かもしれません。でも、必ず第二楽章以後を聞いて下さいね、二楽章以後を聞かないともったいないですから。第一楽章に標題をつけてみました。それは「愛の修羅場」なーんちゃって。ピアノで冒頭に提示されたテーマは、最後ヴィオラが思い切りやるせなく、つぶやき、終わります。

第二楽章は「まどろみ」。第一楽章でこれでもかこれでもかと叩き続けたピアノはサポート役に徹し控えめに鳴ります。ヴィオラの滑らかな響き。不思議なメロディで、夏の昼下がりにまどろむのもいい。まさにこの作品の聞きどころです。

ブラームスはワルツをたくさん書いているけれど、「ブラームスのワルツでは踊れない」って、誰かが揶揄していたのを思い出します。確かにシュトラウスのようなウィンナーワルツの軽さとは無縁であり、どこか重厚なので足取り重くなってしまうのかもしれません。私は踊れませんが、踊りの得意な皆さんはいかがですか?第三楽章はワルツです。このメロディは、どこか中途半端な音階でして、途中から始まっているような雰囲気があり、聞いている側は不思議な気持になってきます。チェロにも似たヴィオラの音色は深いわいがあります。中間部の一風変わった音楽も注目してください。

第四楽章、ファンファーレのようなピアノのせわしない前奏から始まり、快活なヴィオラの調べ。メロディは第三楽章の変形ですね。ブラームスらしいフィナーレの見事な演出です。特にピアノの活躍がすごいです。ただ、聞くべし。それだけしかコメントしようがありません。

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