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阪神淡路大震災以前に浸透していた関西安全神話-ものごとを”感覚”で考えることのリスク-

震度7の大地震

1995年1月17日、観測史上初めて震度7の揺れを記録した兵庫県南部地震は、約6400人の死者を出した阪神・淡路大震災を引き起こした。
震度7の地震はその後、新潟中越地震(2004年)、東北地方太平洋沖地震(2011年)、熊本地震(2016年)、北海道胆振東部地震(2018年)で計測されているが、それなりに大きな地震が頻発している日本でも数えるほどしか発生していないと考えると、その凄さが伝わるのではないかと思う。

<マメ知識👀>
地震の名称を「〇〇地震」と、それが引き起こした被害のことを「〇〇震災」という呼び方をする。
また、現在の日本の基準では最大震度は震度7で、震度6強を越える地震は全て震度7と表現される。この基準は1948年に発生した福井地震の被害の評価を巡って改正されたもので、それ以前の最大震度は6だった。

関西安全神話を取り上げようと思った背景には自分の研究調査がある。
界隈の某氏から新潟中越地震、新潟中越沖地震の話を聞いている際に、それ以前の認識を思い出せる範囲で訪ねたところ、新潟で地震が起きるとは思っていなかったという趣旨の回答が得られた。

新潟県は地震が頻発する地域だ。過去に発生した地震の記録を単純に年数で均すと、ほぼ10年に1回は地震に見舞われているとの報告もある。
なのに、地震が起きるかもしれないという感覚が弱かった。


実は、これと同様の構造が阪神・淡路大震災の発災以前に、より根強く浸透しており、それが深刻な被害に繋がった可能性を指摘する見解がある。
それが”関西安全神話”なのだ。

神戸には地震がこないという”常識”

現代の感覚では「神戸は災害が起きない安全な地域だ!」という主張が理解されることはないだろう。阪神・淡路大震災を”知っている”から。
でも、当時は「関西は地震が来ない安全な地域だ」と信じられていた
それどころか、そのように学校で教えられていたとの証言も数多く残されている。
社会心理学者の故・廣井脩がこの現象に名前を付け、分析していたのが”関西安全神話”なのだ。

でも、関西が安全だったという事実は存在しない
1921年の南海地震、1923年の福井地震では関西も揺れたといわれているし、遡れば江戸時代の文禄慶長地震でも震度6強以上の揺れがあったと分かっている。
震災の21年前には神戸で直下型地震が発生する可能性を指摘する研究結果も出されていた。
地震に限らずとも、1938年には阪神大水害が大きな被害をもたらしており、神戸が安全だという事実もない。
廣井は関西が安全だと主張する防災研究者は皆無だったと記している。

それでも、それでも関西安全神話は深く社会に根付いていた

なぜ関西安全神話が信じられていたのか

この続きを読む前に30秒でいいから予想してみてほしい。
どうして災害を経験している関西が安全だと、人々が認識していたのか。

油断?
陰謀論?
理解不足?
専門家が悪い?

色んな妄想が膨らむだろうし、明快な回答が期待されてるかもしれない。
でもね、悲しいことに正解は人々の思い込み。それ以上でもそれ以下でもない。

”偶然”地震が少なかった。

関西は”比較的”地震が少ない。
当時、神戸では有感地震が4カ月に1回しか発生していなくて、これは東京の10分の1以下の頻度だった。
そして、阪神淡路大震災が発生するまでの40年やそこらの間には”たまたま”大きな地震がなかった

〈マメ知識👀〉
人が揺れを感じる地震のことを有感地震という。
逆に、震度零と地震計には計測されるけど、人は感じない地震を無感地震という。まあ今回はそれはどうでもいい。

震度1以上の地震が有感地震と定義されるわけなのだが、多くの人が揺れを感じるのは震度3くらいから。だから、みんなが想像する以上に沢山の地震が日本では毎日発生しているけど、実際に揺れを感じることは多くない。

この地震の空白期間の間、専門家の関心はどちらかと言うと東海地震(南海トラフの巨大地震の一つ)や首都直下型地震に集まっていた。

当然、全ての研究者がそうだったわけではない。
関西には大地震を引き起こす断層が沢山あるし、先に書いたように阪神淡路大震災の発生を危惧する研究成果も出ている。関西が安全だと判断していたわけではない。
でも、関心の中心は関東大震災や南海地震の再来にあった。

こうした背景から、たまたま地震が少ない期間に十分な警告がされなかったことで、市民の間では関西は安全だという誤解が広まってしまった
この「常識のズレ」は関西安全神話が浸透した一因だと言われている。

マスコミの影響

日本のメディアは客観報道を掲げている。
それは軍部や政府の言いなりになり、事実に基づかない主観的な報道を繰り返したことが惨劇を招いたという戦前の反省に基づいた考え方で、今では小学校でもその趣旨を学ぶ理念でもある。

だが、こうしたメディアの「自己防衛措置」が悪い方向に働いてしまった。
客観報道は言うまでもなく大切だ。だが、批判を恐れるあまり、誰もが納得するような記事(≒波風を立てないことが第一の記事)を書くようになってしまっていた。

例えば、当時は災害を警告する記事は「地価が下がる」「人心を惑わせる」として、内容を薄める措置が取られていた。
阪神淡路大震災の21年前に直下型地震の可能性が指摘された際も、「今は心配ない」と付け加えられた報道が行われ、その危機感は伝わらなかった。

災害報道の在り方は今でも試行錯誤が続いている非常に難しい話だ。
それを知っているからこそ、メディアを批判したいわけではない。
でも、事実としてメディアとしては一種の正解である報道の形が、リスクを軽視したような印象で市民に伝わってしまい、関西安全神話の浸透を助長してしまったというわけだ。

メディアの質の良し悪しについて思うことはあるけども、今回の話のポイントがそこではないことは理解してほしい。

関西安全神話を重視したいわけ

これまでに書いた以外にも、関西安全神話が浸透した理由は色々あるが、長くなるので割愛する。でも、災害があった/起こりうるという”事実”ではなく、明確な根拠がない”感覚”で災害が語られ、それが安全神話という形で誤解と油断を招いてまったということは伝えられたんじゃないかと思う。

ただ、僕は関西安全神話はあの時期の特殊な事例として解釈すべきではないと考えている。この文章を書くきっかけになった新潟の件に限らず、似たような構造を見て取れる場面が多いように見えるからだ。

例えば、水害。
水害の発生は地理環境の影響が大きいため、比較的同じ場所で起こりやすい。一方で、被災地に支援に入ると「まさかこんなことになるとは」「想定外だった」という声を必ず耳にする。

この現象を紐解いていくと、①近くで災害が起きたときに自身の被害が少なかった/なかった(から大丈夫だと解釈していた)②過去の災害の記録は残っているがそれを知らなかった、の2つの理由に大別できる。

どちらも経験による誤った理解であることは言うまでもない。
①は「経験の逆機能」と言われることもある話で、経験による判断は重要ではあるものの、”想定外”を前に誤った判断をする根拠になるリスクもある。
②は知らないことが安全の根拠になるという実態にそぐわない判断だ。「正常性バイアス」にもつながる話かもしれない。

こうした感覚の積み重ねが、各地域、各人の油断の原因になっている。
そこに気候変動の影響による大雨の多発や台風の巨大化によって、ここ数十年の間に災害を経験していない地域が被災するケースが増えてきている。
「今まで大丈夫だったからきっと大丈夫だ」という判断が引き起こす悲劇が増えることは容易に推測できる。

これを防災対策を怠った個人の責任だと言うのは簡単なことだ。
でも、自然現象に関する経験や感覚から安全だと思ってしまい、”神話”が生み出されている構造は関西安全神話と通じるものがあるだろう。
このように災害リスクを形成し、各地で繰り返されている枠組みにこそ、防災を考える上で解消すべき課題があるように思えて仕方がない。
その象徴的な事例が関西安全神話なのではないかと感じている。

記録だけでいい?

だからと言って記録があればそれでいいわけではない
というか、歴史的な記録を検討することは一般的に想像されているような簡単なものではない。

歴史学では古文書の性質(誰が書いた、どのような性格の文書なのか)から文献の信憑性を判断する。そして、他の古文書の記述や地学的(地層を形成する土砂等)、考古学的(瓦礫や古文書)発見、現代に残る痕跡(石塔の移動、寺の資料)等と照らし合わせながら、事実と思われる情報を確定していく。(※当然そんな単純な話ではないけど今回は深入りしない)

だが、災害の歴史を検討するとなると、古文書の記述者が被災した場所やっ各地の被災状況、被害規模を客観的に読み解くのはかなり難しい
記述を裏付ける証拠を発掘することも難しいし、そもそも大昔の記録が災害自体で失われていることもある。

神戸の地震についても、こうした歴史史料の信憑性から過去の地震の評価が定まらなかったことや、旧『神戸市史』に昔の地震に関する記述が存在するにも関らず長らく認識されてこなかったことが、関西安全神話を助長したという指摘がなされている。

東日本大震災では、被災後に様々な石碑が世間の注目を集めた。
有名なものだと「此処より下に家を建てるな」と刻まれた石碑が多くの命を守ったことが知られているが、一方で過去の記録を伝える石碑の存在をみんなが知っていたけども、内容が知られることなく悲劇を繰り返した事例も多い。中には、石碑の記録に人的被害に関する記述がなかったことで、安全だという”神話”が浸透してしまい、大津波による多くの犠牲者を出した地域もあった

こうした事実を踏まえると、いくら記録が残されたとしても、解釈を誤れば簡単に”安全神話”が形成され、悲劇を繰り返してしまう可能性があることは疑いようがない。
(だからこそ、ただモノや記録を遺して満足することに違和感を持ち、あれこれ研究しているのが僕の立場だったりする。)

結論的な何か

防災を学ぶと、否が応でも専門知識と”一般的な”感覚の間に大きな壁があることを突き付けられる。
その壁を壊すために様々な防災教育が行われ、技術革新が目指され、僕はこうした文章を書いている。
でも、それをすればするほど、”正しい知識”が感覚や経験を越えることの限界を突き付けられるような感覚に陥るし、それを適切に理解してもらうことの難しさと向き合わなければならないという現実と対峙することになる。

大きな事件や事故が起きるとしばしば「安全神話が崩壊した」と語られる。
専門家は信じられないという言説が飛び交う。
この言葉は福島原発事故に関しても、コロナ禍においても散々語られた。

ただ、その背後には”神話”が崩壊する前から確かな専門知に基づいて危険性や問題点を指摘し、訴えてきた専門家が必ずと言っていいほど存在する。
過去の反省や教訓を遺し、伝えようと力をつくしてきた先人たちがいる


それに対して、無自覚、無意識にだとしても、「安全神話」が形成され、社会に浸透したという歴史が存在する

事が起きた後にあれこれ言うのは簡単だ
事が起きた後に反省するのも、あの発言は先見の明があったと評価することも簡単だ。
でも、それは事が起きるまで事態を軽視していたことの裏返しでしかない

災害に限らず、日本の課題解決は対処療法しかしないことが多いと批判されることが多い。問題の表面上の解決しか目指さず、ボトルネックの解消や事前に防ぐ対応をコストの”無駄遣い”だと捉える傾向が強いと言われる。

関西安全神話に代表される各種の”神話”の崩壊は、大きな枠組みでみるならば、そうしたある種の”国民性”の弊害であるような気がする。
だからこそ、より深く考えるべき題材だと思うし、書く話題に選んだ。

関西安全神話は防災を考える上で重要な教訓だ。
でも、それ以上に日本社会の課題解決を考える上で大きな示唆に富む教材だと思う

この2つの感覚が伝わっていれば、この文章を書いた意味があったと信じたい。

変に偏ったり、議論が飛躍してたりしそうで読み返すのが怖いな。。
まあでも今回はここらで!