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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 40

第四楽章 ブラームスの物語


10、クララの子どもたち
 
 ペルチャハで夏を過ごしたブラームスは、二番目の交響曲を作曲しながら、ヴァイオリン協奏曲にも取り組みはじめていました。
 ヴァイオリンはブラームスにとって身近な楽器です。
 何といっても親友がヨアヒムという名ヴァイオリニストなのですから、ブラームスは彼のためにもヴァイオリンの曲を書きたいとかねてから思っていました。ヨアヒムに直接アドバイスをもらって今までにない協奏曲を作ろうと考えたのです。

 ペルチャハの美しい自然とヨアヒムの細かいアドバイスのおかげもあって、このヴァイオリン協奏曲第1番(作品77)は翌年の1月にブラームスの指揮、ヨアヒムのヴァイオリンで初演することができました。今でも名協奏曲として多くのヴァイオリニストに愛されています。

 ヴァイオリンという楽器の面白さや奥深さを改めて学んだブラームスは、つぎに「ヴァイオリンソナタ」を作曲しようと考えました。
 どんな曲にしようかと作曲を始めたころ、クララからブラームスに悲しい知らせが届きます。シューマン家の末っ子・フェリックスの体調が悪く、明日をも知れない命にまでなっているというのです。
 

 

フェリックス・シューマン

フェリックスは、お父さんであるシューマンが病院に入ってから生まれた子供で、名付け親でもあるブラームスにとっては我が子のような存在です。
 フェリックスは芸術的才能もあり、一時はヴァイオリニストになりたいとヨアヒムやブラームスにも相談していたのですが、生まれつき体が弱かったため、その夢を諦めてハイデルベルクの大学に入りました。ところが、すぐに肺の病気にかかってしまい、大学もやめて家や療養所で過ごしていたのです。
「可哀想なクララ・・・。
 どうして彼女にはこんなに悲しい出来事が続くのだろう」
 ブラームスは心を傷めていました。
 というのも、実はブラームスが「ドイツ・レクイエム」や「第一交響曲」で成功をおさめている間に、シューマン家には多くの不幸な出来事が起きていたのです。

 ユリエが若くして亡くなった翌年に、クララの父・ヴィーク先生がこの世を去ります。ロベルトとの結婚をめぐって、一時は裁判沙汰にもなった父と娘ですが、ピアニストとして育ててくれたお父さんにクララは感謝の気持ちを忘れませんでした。そしてヴィーク先生もまた、質素な暮らしをしてクララにたくさんの遺産を遺してくれたのです。

「お父さん・・・。私がこうやってピアニストとして生きていられるのはすべてあなたのおかげです。そのお父さんを一時は憎んで裏切ったというのに、あなたは私を最後まで愛してくださったのですね」
 クララは今更ながらに、大切な人を失ったという事に気づくのでした。
 
 一方で、子供たちの事は相変わらずクララの悩みの種です。
精神の病気にかかって入院している次男のルートヴィッヒは治る見込みがなく、「普仏戦争」に出征した長男・フェルディナントは、無事に帰って結婚しますが、戦争で得た怪我がもとでリューマチという病気にかかり、やがては働くこともできない身体になってしまいます。
 
 その上、一番期待していたフェリックスまでが病気になって大学をやめてしまったのですから、クララの嘆きや悲しみはどれほど大きかったことでしょう。

「この子が元気ならシューマンの名前をまた大きくする事も出来たでしょうに」
やりきれない思いのクララは、せめてブラームスだけにでもフェリックスの才能をわかってもらいたいと、フェリックスが書いた詩を送りました。
 
 その年のクリスマス、ベルリンに移り住んでいたクララのもとへブラームスから小包が送られてきました。
 中に入っている楽譜をみてクララは驚きます。
「フェリックス、ちょっと聞いてちょうだい。
 ヘル・ブラームスが歌を作ったのよ」
 クララはピアノに向かい、その曲を弾き始めました。ちょうど遊びにきていたヨアヒムがヴァイオリンを取り出して、歌の部分を弾いてくれます。
「素敵な曲だね。どんな歌詞がついているの?」
と、ピアノに近づいて楽譜を見たフェリックスは顔が真っ白になるほど興奮してしまいます。
「『わが愛はリラの茂みのごとく緑なり』・・・。
 これはぼくが作った詩じゃないか。
 ヘル・ブラームスが、ぼくの詩を歌にしてくれたんだね!」

「ヨハネスは昔からいつも皆が一番喜ぶものをプレゼントしてくれるの。
 今年は一緒にクリスマスをお祝できないけれどこんな素敵なプレゼントを送ってくれたのね・・・」
 フェリックスの詩は「青春の歌」(作品63-5)という歌曲として永遠の命を与えられたのです。
 一家はブラームスのやさしい心づかいに心から感謝したのでした。
 
 それから6年が経ち、クララはフランクフルト音楽院ピアノ科の教授になって、フランクフルトに移り住んでいました。
 この間、クララはフェリックスが少しでも元気になるように、色々手を尽くしますが効果もなく、フェリックスは療養所でくらしていました。

 息子たちの病気を心配する一方で、クララ自身もリューマチにかかって、手が痛くピアノを思うように弾けない日が続いていました。
 幼い日にピアニストとしてデビューしてから50年が経ち、クララの疲れやストレスは積もり積もっていたのでしょう。なかなか思うように演奏活動ができなくなってしまいます。
 しかし、息子たちの治療費に加えて、働けなくなったフェルディナント一家の生活もクララが面倒を見なければなりません。

 そこでクララは、フランクフルトに新しくできる音楽院の教授になって欲しいという申し出を受けることにしたのです。
 以前からクララがハードな演奏旅行を続けることに反対していたブラームスも大賛成です。
 
 新しい仕事に不安もありましたが、音楽院には遠くからも「クララ・シューマン」の名前に惹かれて多くの生徒が集まり、クララも教える仕事に喜びややりがいを感じるようになっていました。
 そして、ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」が初演される少し前には、同じゲヴァントハウスで、クララの演奏生活50周年記念演奏会が開かれました。

「私が初めてこのゲヴァントハウスで演奏するという時、馬車が間違えて違う場所に連れて行かれてしまったのよ」
クララは懐かしそうに娘たちに語ります。
「べそをかいている私にお父様が『初めてゲヴァントハウスで演奏するときは皆最初に違う場所に行くんだよ』と慰めてくれたの」

 無邪気な天才少女は、ピアニストとしての成功や栄光を手にしましたが、その一方でこの50年は苦しい事や困難な事の連続でもありました。
 しかし、この日、クララが亡き夫・シューマンの「ピアノ協奏曲」を演奏すると、観客は総立ちで嵐のような拍手を送り、ゲヴァントハウス管弦楽団は黄金でできた月桂冠を贈ってクララを讃えたのです。
 たくさんの電報や花束と多くの人たちの暖かい言葉は、それまでの苦労を帳消しにしてくれるほどの感動をクララに与えてくれたました。クララは心からこのピアニストという道を選び、努力を重ねてきてよかったと感じたに違いありません。 

 しかし、その同じ時期に、フェリックスが息をするのも大変なほどの状態で療養所から家に帰ってきます。
 知らせを受けたブラームスは驚きますが、たびたびフェリックスを見舞っていた彼には、もうフェリックスの命が長くない事がわかっていました。

 心配でたまらないブラームスはお見舞いの言葉の代わりに、ヴァイオリンのメロディを24小節作曲して、その楽譜をクララに送りました。
この楽譜を演奏すれば、私があなたとフェリックスの事、彼のヴァイオリンの事をどれくらい思っているかわかるでしょう・・・。
 もっとフェリックスのことを聞かせて下さい」

 
 しかし、この手紙に対するクララの返事にはフェリックスが亡くなったことが書いてありました。まだ24歳の若さでした。

 覚悟していたブラームスですが、ショックは大きく、また、クララがどんな想いで居るかと思うと慰めの言葉すら浮かびません。ただ、クララがこの「試練」に今までと同じように打ち勝てるようにと祈るしかありませんでした。

「こういう時は、手紙を長く書く事より、ただ黙ってお側にいることが一番良い事なのです」

 ブラームスはそんな心のこもった手紙をクララに送っています。
つらい事の多い日々、ブラームスから来る手紙や、新しい作品の楽譜は、いつもどれほどクララをなぐさめ励ましてくれてきたことでしょう。
 一段落すると、ブラームスはクララを旅に誘い、夏にはヨアヒムの別荘で共に過ごして傷ついたクララの心を慰めるのでした。
 
 そして、その夏、再びペルチャハにでかけたブラームスは「ヴァイオリンソナタ第1番」(作品77)を完成させます。
「あら、このメロディは・・・」
初めてそのソナタを聴いたクララは、またまた驚きます。
 第二楽章の始めにブラームスが送ってくれたあの24小節のメロディが使われていたのです。しかも第三楽章のテーマは、クララのお気に入りであるブラームスの歌曲「雨の歌」(作品59-3)が使われているではありませんか。
「何て素晴らしい曲なの。天国へ持っていきたいくらいよ」
クララが感動したのは無理もありません。
「いつか、私が天国に行く日が来たら、このソナタをフェリックスと演奏するわ」
 クララはひそかにそう思ったことでしょう。
 ブラームスもそんな日の事を考えて作曲したのかもしれません。
その証拠に、他の曲のようにこの曲は誰かに「献呈」されることはありませんでした。
 
 この頃、すでにエリゼは結婚してニューヨークに行っていたので、にぎやかだったシューマン家には、マリエとオイゲニーだけになってしまいました。
 二人の娘はクララの助手になって、生徒を教えたり、演奏旅行について行ったりしてクララを助けていました。
「フロイライン(お嬢さん)が二人いて幸せだね」
ブラームスは、クララをなぐさめます。
「本当にそうね。気がつけば、私が子供たちに助けられる歳になっていたのね。
 実はね、ようやく『犬小屋』を買ってくれる人が見つかったの。
 思い出がいっぱいある家だけど、もう行くこともないから手放すのよ」
と、寂しそうに言いました。

 こうしてクララは、フランクフルトでその後の人生を送ることになりました。
 夫、シューマンが世を去ってすでに26年もの歳月が流れていました。

 フェリックスが亡くなった翌年には、ボンにシューマンの記念碑がたてられることになり、盛大な記念音楽祭が開かれます。

「ロベルト、あなたが目をかけていたヨアヒムとヨハネスが立派になって、あなたの曲を指揮してくれましたよ。
 沢山の人があなたとあなたの音楽の為に集まって素晴らしい演奏を聴かせてくれたのよ。こんな幸せがあるかしら」
 不幸な事が続いただけに、クララはしみじみとそう感じるのでした。

「今度、あなたが眠るお墓に入るのは私ね。もう子供たちを見送るのは沢山だわ」
 しかし、その願いは空しく、結局クララは残された二人の息子、フェルディナンドとルドヴィックにも先立たれてしまうことになるのでした。
 
 

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