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「鎌倉殿の13人」でのクライマックスが!!   ー能の名場面で魅せる源平の盛衰ー

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も好評ですね!

まさに源平合戦のクライマックスがドラマで展開されているこの時期に、
「能」の中で最も大きな流儀、観世流の中の一つの家、梅若会による『謡と仕舞による 源平の盛衰』企画公演があると知り、
企画立案されたシテ方観世流能楽師、梅若紀彰先生に急遽インタビューをさせていただきました。

梅若会 企画公演『謡と仕舞による 源平の盛衰』

謡と仕舞についての詳細はこちら
謡に囃子や能面、能装束をつけた所作を加えると演劇の「能」になります。
能の所作を学ぶ「仕舞」は舞台上で紋付・袴姿で舞われます。
*能を習う場合には、謡と仕舞の稽古から入るのが一般的です。

インタビュー場所は東中野にある、梅若能楽学院にて行われました。

Q:今回の企画主催である、梅若会についてまずは教えていただけますか?

梅若紀彰先生(以下、紀彰先生):能の世界で5つ流儀があるのですが、観世流が私たちの所属してる流儀で一番大きな流儀なんです。圧倒的に人数が多いんですね、観世流は。
その中の一つの家が梅若家になります。

紀彰先生:江戸幕府がなくなり、それまで幕府お抱えだった”能楽”が明治維新で、もう能がなくなってしまうんじゃないかっていうときに継続するように頑張ったのが初代の梅若実でした。
もしかしたらそういう人がいなければ、能がなくなっていたのかもしれない。そういう意味でも能楽界にとって大事な家なんじゃないかなと思います。

「鎌倉殿の13人」については、全く考えてなかったんです。

紀彰先生:もともと毎月定期公演を第3日曜に、また特別公演を3月と11月にやっていましたが、今回5月の定期公演がなかったんです。
梅若会の皆さんに了解を得て、会のメンバーだけで謡と仕舞だけの会をやろうって決まったのが4月の第3日曜直前でした。

紀彰先生:それで企画公演を行うには何かテーマをつけた方がいいなと思って。
2020年秋に『晩秋の調べ』というコロナ禍でのトライアル企画公演を行いました。秋は名曲が多いんですね。今回5月、季節的になかなか曲が全部はまらない。
じゃあ、源平盛衰がいいんじゃないかと思って。
鎌倉殿の13人がもちろんやってることは知ってたんですけど、それにかぶせようと全く考えてなくて、皆さんに良く言われますけど(笑)

来ていただければね、結構面白いと思うんです。

紀彰先生:源平の盛衰であれば、時系列的に全部やりたかったんですよね。
ただ、時系列にしていくと、最初の方に通常だと最後に持ってくるような大曲で先輩方が主に出演される演目があったりして、そういうことも考えると、源平一緒にすると大変だと思っていました。
また能は演目の主人公が死んじゃってからの話が多いので、どう並べていくかとか。

紀彰先生:じゃあ、平家の部と源氏の部に分けようと

梅若会 企画公演『謡と仕舞による 源平の盛衰』プログラム

平家の部だけでも、本当にこんなにたくさんの演目があるということに、改めて曲が並んでいるのを見ると面白いですね。

紀彰先生:まだあるんですよね、まだいいのがあるんですけども。全部ご紹介するわけにもいかなかったので、これはこれで難しかったのですが、分けることで、通常なら最後に持ってくるような大曲も収まりの良い位置に置くことができたりしました。

そして急遽、ワキ方にも謡だけをやっていただくとか、狂言方にもやはり謡だけやっていただくとか、あと独鼓と舞囃子も入れるってことにしたんですね。

最初の「熊野」(「熊野」と書いて「ゆや」と読みます。物語の女主人公の名前です。)ですが曲の中に、「清水寺の鐘の声、 諸行無常の声やらん、地主権現の花の色、沙羅双樹の理なり、生者必減の世の慣らひ、げに例あるよそほひ。」と、平家物語の導入が出てくるんです。
なので演目の最初として選びました。

「熊野」が終わって、出入りのときにちょっと中からの放送で、次の曲の「仏御前」について少しだけ説明を入れてやっていこうと思っています。
また、出演者の皆さんにお願いしたのは、黒紋付ばっかりだったらちょっとつまらないなと思ったので、特に女性にはできれば色紋付使って欲しいと。
あと短い曲の場合にはちょっと長く、通常はやらないところから始めていただくようにはしてもらってるんですね。

能の演目の中でも、特に源平の盛衰の平家の演目というのは、やはりかなり目立つ演目ということでしょうか。

紀彰先生:やっぱりあの「勝った勝った!ワーイワイ!」っていう曲よりは、やっぱり平家物語もそうですけど「滅亡していくことの儚さ」とか、そういうものがやっぱり、心を打つので。あの義経の話にしても「八島」にしてしも、すごく勝ってどうのこうのっていうような感じよりも、ちょっと違う感じに作ってあるとか、特に平家っていうのは、ご存知のように滅亡しちゃうわけですしね。

紀彰先生:
この企画で、最初に思いついたのが大原御幸なんです。
大原御幸っていうのは建礼門院が助かっちゃって、建礼門院のところに後白河法皇が訪ねてくるって話ですね。
後白河法皇が「平家の滅亡の有様を語ってくれ」と、建礼門院に言って、建礼門院徳子がその場面を語るっていうのがあって、それをやっぱり最後に持ってきたかった。

その前にこの「碇潜」っていうのは、あの平知盛が碇を担いで壇ノ浦に飛び込むっていう、そこを描く曲なんですね。
最初は特別に演出として照明をつける予定だったので、平知盛が壇ノ浦に飛び込む瞬間に暗転にして、それでその間に、大原御幸ではシテを務める私が出て行って、スポットを当ててもらって、建礼門院が語るっていうふうにすると、ドラマチックになるかなと思ったんですね。

ただ今回は公演まで急で時間の余裕がなかったので、音響も照明もそれと、お花生けるにしてもちょっと難しいっていうこともあって、もっといろんなこと考えたんですけど。告知には音響も照明も入ると書いてしまったので、僕、最初のお話で謝ろうと思っています。

紀彰先生:あと<源氏の部>の後半の方は、「船弁慶」ではいわゆる義経が静御前と別れる場面があって、それから船に乗ってるときに、ワキの方が船の中で語る「船中之語」があって、それから知盛の怨霊が出てくる場面があって、それで今度は、安宅の関があって。
そこで実先生に「勧進帳」を謡っていただいて、
最後、そっから逃げるっていうのが、「安宅」の舞囃子までですね。

<平家の部>の「熊野」から「仏の原」「駒の段」に至るまで平家の栄華を誇っていたときのお話ですよね、そこからまた一ノ谷の合戦から、源平合戦が続いていくわけですが、その中でもその源氏の武将と平家の武将のそれぞれ心の機微であったりだとか、合戦の中でも美しいものを愛でる話だったりとか、木曽義仲のかつての恩人と知らずに殺めてしまい悲痛にくれる話だったりだとか、単に戦の話だけではない、非常にドラマチックな人間模様が折り重なるようにして壇ノ浦に突入していくという….時系列ならではの醍醐味ですね。

紀彰先生:今回は梅若一堂総出でて形にしたんですね。全部ベテランの人にやってもらうわけにもいかないので、その人に合ったものを舞っていただいて、その人が立つようにしようと思って選んだんですけどね。

この演目のこの配役に関してこの人がいいんじゃないかという形で選ばれたのですね。

紀彰先生:そうですね。例えば女の先生は、なかなか例えば「実盛」とか「景清」みたいなものは、能だったらないこともないんだけど、やりにくい曲ではあるし、この曲を舞う機会はなかなかありませんが、今回の演目の最初の方の曲だったら、みんな女性の方も舞ってますし、割とポピュラーな曲が多いですね。

「駒の段」の独鼓も興味が湧きます。

紀彰先生:これもちょうど大倉源次郎さんのお子さんの怜士郎さんが来てくれるんですね。怜士郎さんには独鼓をお願いしました

それぞれの曲の時間は大体10分とかくらいでしょうか。

紀彰先生:最初の方は、もう二、三分で終わっちゃう。「駒の段」も4分くらい…
「平家」という曲は、一ノ谷で戦ってる普通の人の話なんですね。
狂言の謡なんですが、合戦の中での混乱を描いている謡ということで、じゃあここに入れようと。
ワキの方は森常好さんにお願いして、「船弁慶」から「安宅」に流れ込む中に入れましょうと「船中之語」を独吟で。

この「船中之語」というのは船の中でワキ方が謡う場面だと思いますが、あまりめったに舞台ではやらないと伺いました。

紀彰先生:あまり出ませんですね。つまり能の「船弁慶」で船に乗ってるときにワキが語る、とてもいい場面なんです。

「鞍馬天狗」にしても<源氏の部>の中では、義経がやはり中心的な存在になっていくんですね。

梅若紀彰先生 シテ「鞍馬天狗」

紀彰先生:そうですね、そのほか木曽義仲の関係と「頼政」とか、「箙」..梶原源太景李ですね。
あと「起請文」は「正尊」という、義経討ちに鎌倉から使わせられた刺客の話ですね。
義経から”討ちに来たんだろ”って言われて、”そんなことありません”ってい言って起請文を読み上げるっていう…。
最初はまぁ「鞍馬天狗」だろうと。
鞍馬山で五条の橋(「橋弁慶」)かなっていう感じで。
「頼政」では、頼政が以仁王と組んで挙兵して失敗し平等院で自害したお話ですね。

「巴」御前も「鎌倉殿の13人」で話題になりました。
改めて、能楽の中でもこの源平という題材自体がやはり普遍的なテーマであるということですね。

紀彰先生:そうですね。

その巴御前のところから「箙」、「八島」と源氏が攻めていく中にもやはり犠牲者が当然出てくるわけで、壇ノ浦で勝った!で終わりではなく、そこからまた今度は義経が追われていく身になるという…。「安宅」が最終演目になるわけですね。

梅若紀彰先生 シテ「安宅」弁慶

紀彰先生:実はそこは 「安宅」の連吟を考えてたんです。
最初は、三読物っていう、「木曽の願書」と「勧進帳」と「起請文」それ全部やりたかったんです。「木曽の願書」が今回残念ながら配役も決まらなくて断念しましたが。「勧進帳」から続いてその後の場面って言ったら、「安宅」の舞囃子かなって。

この「安宅」で終わるというのが、源平合戦が済んで、その後の義経の行く末という….まさに盛衰のお話ですよね…

紀彰先生:結果的には良かったかなと。

ガラコンサートのように、”名曲”がたくさん観られる

紀彰先生:そうなんですよ。一曲一曲がすごく短いんでね。その間にキャッチーな言葉で紹介を入れられたらなって考えているんですけど。
そのほかに「経正」の前には琵琶を入れるとか、「敦盛」の前には笛を入れるとかそういうことも色々考えたのですが、今回は正統な感じでいきましょうということにしました。

改めて今回のこの企画の見どころというと、

紀彰先生:私が「大原御幸」と「安宅」をやるのですけども、源平ともにそこに向けて一気に流れていって、こういう感じで終わるっていう切ない感じ、まさに盛衰の感じが出ればいいなと思います。
きれいなものを愛でたり、感動する心を持ってる人であれば、いい能を観たら、きっと普通のお芝居とはまた違った感動の仕方ができるとは確実に思ってます。
わからないけどなんか涙が出ちゃうみたいな、そういう何か感動の仕方があるんじゃないかと。

私自身も初めて”能”を見たときの感動が、その空間だったり、時間軸だったり、非常に自分の想像力を試されるというか、想像することによって世界が広がっていくことに対して、ものすごく感動したんですね。

紀彰先生:だから能は行き詰まらないんですよ。
いわゆる普通の劇であれば、竹光使ってたのが、竹光じゃ軽く見えちゃうから、重いものにしましょう。で、金属になって、音がしなきゃねって、火花も出たら、じゃ切ったら血が出なきゃって話になってくると、行き詰まると思うんですけど。
逆に能っていうのは、全部省く世界だから、これだけあればいいよ、いらないよ、みんな。あとはどうぞ想像してください、っていうのはすごいことだなと思うんですよ。

紀彰先生が以前、インタビューで「能は自由である」っていうようなお話をされていました。
やはりその削ぎ落としていくことによる今おっしゃられたこの事細かに何か全て説明するのではなく、想像することの自由さといいますか…。

紀彰先生:わかんなくていい曲っていっぱいあるんですね。
その中に浸っていただければ、わかんないんだけどこの曲だよねっていう、この曲の感じが分かるみたいなとこがあって。
その、そこに気づいていただけたらもうしめたもので、ずっと通ってくださるんだろうなと思うんです。

この間、厳島神社で桃花祭で行われた能を鑑賞していたんですけども、そのときに小学校5年生のお嬢さんと3年生の男の子が一番最初の朝9時からずっと終わりの夕方4時までずっと見てたんですね、びっくりして。
能が好きなんですって。

紀彰先生:わかんないと最初からこっちが思っちゃいけないんですよね。

全く興味がなくてつまらないというのに押し付けちゃうのはいけないけど、でもどっかに残っててっていうのは結構聞く話で、学生の時になんか観させられて全然つまんなかったんだけど、大人になってくると興味が湧いてくるっていう方はいらっしゃいますね。

何かしらきっかけですね。
ちょっと前に元TOKIOの長瀬智也さんが主演のTVドラマ『俺の家の話』はお能の家のお話だったり、人気歌手のAdo(アド)さんが、Adoというお名前は狂言の用語から取ったということが若い人たちにも知られたり、また今月末から映画で室町時代に実在した能楽師をテーマにしたというアニメーション映画『犬王』が公開されたりと、
今は、こう能楽に対して、目に触れる機会もあったり、情報化社会で自分が探そうと思えば探せられるようになってきていますよね。

紀彰先生:情報公開とか、そういうことがだいぶ進んではきてるんだと思いますね。

 最後に今後のご予定を教えていただけますか?

紀彰先生:しばらくコロナ禍だったので、お弟子さんたちの発表会みたいのがなかなかできなかったので、それを7月にやる予定です。

それからあと自分のシテということで言えば6月1日に国立能楽堂で、東京能楽囃子科協議会の6月定式能でまさに「碇潜」お能をやります。
6月30日には同じく国立能楽堂で「土蜘蛛」を。僕がシテじゃないんだけど実先生がシテで、家元とか銕之丞先生など、みんな出る豪華な土蜘蛛で、喜正さんも出演されますし。
実先生がラスボスみたいな感じでいて、その眷属という形で僕喜正さんが演じるみたいな、ちょっと普通ではない土蜘蛛をやります。

12月7日には国立能楽堂で「逆矛」でシテをやります。
実はこれもすごくキャッチーだなと思ってるんですけどね。
国作りの話なんです。

それと、12月の第3日曜12月18日に「定家」をここ梅若能楽学院会館で「梅若定式能」でシテとして出演します。

先生の今後のビジョン的なことで、何かこういったことを今後、やってみたいというのはございますか。

紀彰先生:自分のことでは今まで通りという感じなんですけど、

能のことについて、やっぱり分かってなかったんだなっていうのが、年々わかるっていうか。

今年66歳になるんですけど、こういうことかなっていうのが分かってきたっていうのがあって、まだ能のことについて分かるというのは、果てがないという感じがあります。

あと自分の公演会としては、やりたい曲が一つ、「三輪の白式神神楽」をやってみたいなっていう希望を持ってるんですけどね。
後、いわゆるパイプオルガンが入るようなところで、全部の流儀の人に来てもらっていろいろやってもらいたいっていう構想は練ってるんですけど。来てくれるかなぁって。
僕はクラシックで舞って、他の人はちゃんとお囃子で舞っていただく。

すごい、そういったコラボレーションもお考えなんですね。

紀彰先生:大概、コラボレーションというのは、なかなかうまくいかないことも多いんですね。

紀彰先生:私はコラボレーションしてる気がない。
鼓がパイプオルガンになっただけとかね。私の公演会でも、ここでバッハのシャコンヌ、ヴァイオリンで舞ったこともあるんですね。
もちろん普通のもやるんですけど、やってみたくなっちゃうんですね。

最初のとっかかりは自分からやろうと思ったんじゃないんですね。他の流儀の先生に僕が頼まれたんだけど、代わりにやってくれないかと。他の流儀の先生ですからね。電話かかってきて。それで感動して、ご自分の流儀の中に当然たくさん人がいるわけなのに、わざわざ私を選んでくれて、それが最初だったかな。

それは、コンテンポラリーダンスと日本舞踊と能楽、それぞれがバッハの同じ曲で同じ振り付けで舞うっていう企画だったんです。絶対同じになんないんです。コンテンポラリーダンスの人が振り付けてるんですけど、その振り付けでは、舞台があった場合にA地点からB地点行くのに、あっちは飛んだりとか、足をこういうね、あっという間に行けるんですけど、能はそれはできないんですとか、じゃあ小さくやりましょうとか、いろんな話があったりなんかして、最終的にはあちらが「じゃぁ、それぞれ勝手に考えましょう」っていう話になって、曲は一緒なんですけどね。

踊りも紀彰先生が考えられたんですか?

紀彰先生:そう、考えたんです。それがすっごい上手くいっちゃて。
それから、なんか楽しくなっちゃったのね。あちらの方達もすごい喜んでくださって、大正解だったですね、それぞれが考えて、全然違うものが出来上がって。
それから随分やってますね。どこからか聞きつけて頼まれてくるのもあってね、パイプオルガンで舞ってくださいとかね、名古屋でも豊田市の能楽堂がある、あそこでパイプオルガンで舞ったりとかもしたし、来年もあるかな。野村萬斎さんがボレロ舞うのかな。僕は喜正さんと「石橋」を。「石橋」の中にパイプオルガンが入るんですね。

面白いですねー。

紀彰先生:お能の「石橋」も是非観ていただきたいですけれどね。

割とよく言われるんですけど、その本業がね、本物の方が疎かになっちゃうというか、私は、人がどう見てるかわからないけれど、自分の中でそういう感覚がないので全く一緒なんです。

だから、全く気になんないで、何か策ができるっていう。この間、井上道義さんが指揮で、かつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホールでも舞わさせていただきましたね。

紀彰先生:そしたら観た人がすごい感動しちゃったって言われて。普通の”お能”じゃそういうのやらないって。それもいや、困るんだけどって。

でも、そういう一つ一つが面白いですね。

紀彰先生:後は、本当におこがましいんだけど、この中、梅若会の底上げもしていきたいなと思っています。今回の公演では申し合わせというのがあって、自分が思い描いたような風に皆さんにやってもらえたらいいなと思っています。

この度は、公演直前のお忙しい中、インタビューありがとうございました。
公演もとても楽しみにしています。
公演のお申し込みはこちら →梅若会事務局:電話:03-3363-7748

梅若紀彰先生

梅若紀彰先生プロフィール
梅若紀彰
1956年 故55世 梅若六郎の孫として生まれる。祖父ならびに現4世 梅若実に師事。
現梅若実の甥。古典はもとより新作能にも積極的に取り組み、海外公演にも数多く参加し、他ジャンルとの交流でも成果を上げるなど、幅広く活躍している。
2001年・2003年 「伝統芸能の若き獅子たち」ではリーダー格を務めた。
2010年に二代 梅若紀彰 を襲名。
2019年 パリ・オペラ座「鷹の井戸」にて
出演。600年の歴史を誇る梅若会において、現当主 梅若実と共に中心をなす。
重要無形文化財総合指定保持者、
観世流 職分 梅若会評議員。梅栄会主宰。
主な舞台歴
1960年 初舞台 「鞍馬天狗」子方
1968年 初シテ 「小袖曽我」五郎
1976年 「猩々乱」
1977年 「石橋」
1981年 「翁」
1984年 「道成寺」
2001年 「安宅」「求塚」
2002年 「卒塔婆小町」
2011年 「姨捨」
2014年 「鸚鵡小町」
2020年 「檜垣」

梅若紀彰先生 今後のご予定(一部)
   6月1日  国立能楽堂 定式能「碇潜」
6月30日 国立能楽堂 「土蜘蛛」
12月7日  国立能楽堂「逆矛」
12月18日 梅若能楽学院会館「定家」
年内にYouTubeチャンネルを開設

<番外>
今回、梅若紀彰先生はお忙しい中たくさんお話いただきました。
その中で配信について先生のお考えも伺ったので、記します。

配信について

能の世界というのは、イメージとしては一期一会というところで、今、能楽協会さんもYouTubeを始められましたが、それはちょっと驚きでした。
違法でアップロードされてるものよりも、ちゃんと正式にアップロードされているものであれば、安心して拝見できますし。

今回の企画では時間的な余裕もなく、配信は断念しましたとのことですが、配信については先生はどのようにお考えでしょうか?

全ての芸能の中で能が一番、生と画面通して観るのと違うんじゃないか

紀彰先生:そうですね、いろんな意見もあります。
例えば能一番バシッとやっちゃうところもあって、僕は全然、いいと思ってんだけど、そういうのも困るっていう人もいるしね、それでね、なんか興味を持ってもらえるようにすればいいと思ってるんですね。

紀彰先生:やっぱり画面通すと生とは全く違うので、おそらく全ての芸能の中で能が一番、生と画面通すと違うんじゃないかっていう気がするので。
以前、「安宅」だったかな、人間国宝のワキの方が出演されていて、お客さんを入れてテレビの撮影もしてた。
僕も実際に観に行ってて。ものすごく感動したんです。
今度テレビでも放映されるというので楽しみにしてたら、おじさんが座ってるだけにしか見えなかったっていう…そのぐらい違っちゃうんですよね。

だから配信するときも何かやり方を考えないと、逆効果かなと思っちゃうこともあって。

僕はちょっと変わってんのかもしんないんだけど、面白いものを提供していかないといけないと思ってるし、
変なことやるわけじゃないですしね。

梅若紀彰先生に、お話を伺って、能のことを全ての芸能の中で一番だという誇りとともに、どうやったら観てくださる方に、更により良いものを、面白いと思ってくれるものを提供できるのだろうか、ということをいろんなパターンで本気に常に考えておられる方なのだなと思いました。
そこには、ずっと能に真摯に向き合ってこられた先生の強い思いを感じることができました。

5月15日(日)梅若会『謡と仕舞による 源平の盛衰』企画公演 13:00〜
梅若能楽学院会館:中野区東中野2-6-14
全席自由席:3,000円  お申し込み:梅若会事務局:03-3363-7748


インタビュアー:髙安紗やか(NPO法人ミュージックソムリエ協会)

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