なにより、ぶれないこと

おはようございます!
ジョイのるーさんです。

今朝は、睡魔に勝てなかった・・
2日間負けっぱなしだから、明日から気を引き締めよう!
#己との闘い


やっぱり、「戦争」をなくすのは、「愛」なんだと思う。


急になんでそんなことを?!
と思われてしまうかもだけれど、

みんな、「愛される」権利をもっているし、「愛する」権利もあると思う。

相手を思いやるってことは、
相手の目線に立って物事を考えたり言動に移すことだと思うけれど、
大前提として、
まずはその相手のことを「めちゃくちゃ好き」じゃないと、
思いやることすら難しい気がする。


見ず知らずの人にでも、手を差し伸べることが出来る人は、
他の人よりも、「愛する心の器」が大きい人だと思う。

んー、言葉としては「慈悲深い」というのか。
(言葉の使い方間違っていたら、ごめんなさい)


どんな人も無条件に好きになる、

これって、誰もが出来て、誰もが簡単にできることに感じるのに
誰もが出来るわけじゃなくて、やっぱり「どんな人」にもというところに
引っかかりを感じてしまう人がいるのも事実。

無条件に人を好きになることができれば、
きっと相手も、自分のことを好きになってくれると思う。

というのも、返報性の理論で
好意には好意がかえってくるし、敵意には敵意がかえってくる。


ならば、誰だったかの戦略と同じように
(こういうところ、覚えられないのがるーさんっぽい)
あえて、相手の懐に入ってしまう。

慣れないうちは、戦略として計画的にやってみるでもいいと思う。
きっと、それが「本当」に相手のことを好意と感じて行うきっかけに繋がると思うから。



そう思うと、
好意からはじまり、やがて「愛」へと変わっていくことって
長い年月と絆が深まっていなければ、なかなか「愛」に変化することは難しそう。

でも、そもそも
「好意」がなければ、「愛」が訪れることはない。


そう思うと、
私自身、昔からこの「無条件に人を好きになる」ということは、自然とやっていたなぁ。

人に対しての「嫌い」という感情が、私は全然ない。
嫌いというよりは、無関心になりやすいのかも。
(ある意味、無関心の方が残酷なのかもしれない・・)

めちゃくちゃ周りから嫌われている人
めちゃくちゃ変な人
いつも怒っている人

そんな厄介な人たちが世の中にはいると思うのだけど、
わたしは「他人は他人、自分は自分」という考え方をするので、
実際に自分が相手をいろんな角度からみて、「こういう考え方なんだー」と思って、それ以上にもならないし、それ以下にもならない。

むしろ、厄介な人たちの方が気になるのかもしれない笑

この人たちの思考や見えている景色って、なんだろ

みたいな。


だし、嫌いなのは人の悪口や愚痴ばっかいう人かも。
悪口いうくらいなら、面とむかって話せばいいのにって思うし
愚痴ばっかり言う人は、暇なんだなってシンプルに思う。
(めちゃくちゃ口が悪くてごめんね)

だから、どっちの意見にも味方をしないし、愚痴を言ってくるような人とも付き合いたいと思わない。
(限りある時間がもったいない。自己研鑽に時間を割きたいし、本当に一緒にいたいと思える人と過ごしたい)

その根底にあるのは、
どっちの意見にも、その人にとっての「感情の一部」だと思うから
肯定するのも、否定するのも、違うなと思うからだろうな。

ただ、やっぱり
心を許している人には、めちゃくちゃわがままな自分もいるから、

「やっぱり、人間なんだなー」

なんて、感じることも沢山。

「愛」がどんな形であれ、
心のどこかに「愛」があれば、なにか壁にぶつかったときに
その人は、誰かから応援してもらえるんじゃないかな。


そんなことを思った日。

おしまい。

いつもありがとうございます(*^-^*) 次なるコンテンツの本に使います♪