2023ラストエッセイ 繋がり

 これが今年最後のレギュラーエッセイです。
 今年を振り返る企画はもう少し年の瀬が迫ってからやるつもりですが、レギュラー企画としてのエッセイは今年は今回で最後です。
 最後までお付き合いください!

 俺はこの一年、新しい施設に通うことを目標にして頑張ってきた。
 今年の2月に以前通っていた施設を辞めた。そこから相談員さんや家族と協力しながら、施設見学に行ったり、ときには契約を前提に仕事を体験してみたりした。しかし、今年中に新しく通える施設を見つけることは叶わなかった。
 それでも、得たものがまるでなかったわけじゃない。むしろ人生で一番大切なことに気づけたと思っている。それを読者のみなさんにも共有したくて、今年ラストのエッセイのテーマに決めた。

 俺が新しい施設に一刻も早く行きたかったのには理由がある。もちろん、お金を稼ぐことは重要だ。たとえ月に数千円でも小遣いがあれば、本やCDといったものを買って自分の趣味を楽しめるから。しかし、それが一番大きな理由というわけではなかった。
 学生でなくなって「定期的に行かなければいけない場所」や「会わなければいけない人」がとても少なくなった。施設が見つからなければ、24時間365日家にいることになる。
 別に家庭環境に不満があるわけじゃない。むしろ家族にはよくしてもらっていると思う。だが、そういうことじゃない。ここ一年「俺は誰かに必要とされているのだろうか?」という疑問がずっと俺の中にあった。
 障がい者年金があることによって、自分を含め家族の生活は助かっている。そういう意味では、俺は家族には必要な存在と言えそうだ。もちろん、両親が深い愛情を注いでくれていることも分かっているから、家族から必要とされていないとは一切思っていない。
 では、他人からはどうか?
 おそらく、俺と全く関係のない人たちは俺のことを邪魔だと思うはずだ。障がい者年金は国民の税金から出ているから。酷い考え方の人間だと「お前らみたいなのはさっさとこの世から消えちまえばいい」くらいのことは平気で本人(俺)に言ってしまうような人もいる。
 要するに、施設に通っていないと親以外の誰からも必要とされていない気がするのだ。「自分はこの世界に存在してはいけない人間なんじゃないか? 自分の存在は社会の害なのでは?」という考えで頭がいっぱいになってしまう。
 施設に通えば少なくとも、その施設のスタッフさんの給料には貢献できる。俺の面倒を見てくれることによって、彼らの生活が保障される。もちろんそれは俺の存在だけが理由ではないけれど、たとえ少しでも誰かの役に立っているという実感が得られる。
 自分の存在が、他人に認めてもらえたような気分になる。
「誰かにいいよって言われなきゃ生きてちゃいけないの?」と母はよく言う。理屈はよく分かるし、それもそうだとも思う。しかしやっぱり「誰かと繋がっていたい」という欲求は消せなかった。

 だから半ば強引ともいえるハイペースで施設体験まで推し進め、一刻も早く契約にこぎ着けようとした。正直条件面なんかはどうでもよくて、とにかく「社会参加したい。誰かの役に立ちたい」という一心だった。
 その強すぎる意志が邪魔をして、冷静な判断ができなくなっていた。どれだけ虐げられようと、理不尽な叱責を受けようと「自分の居場所はここにしかない」と思い込んでいた。
 だが、友人たちの言葉と親の説得で目を覚ますことができた。俺はここでやっと「繋がりはここにあるんだ」と思うことができた。
 友人たちは一刻も早く働きたいという俺の意志を尊重しつつ、「そんなところなら無理して行かなくてもいいんじゃない?」てずっと言ってくれていた。
 以前のエッセイにも書いたが、俺はずっと「みんなと同じじゃない」ことに負い目を感じていた。特に最近は親友のNさんが新しい仕事を始め、前よりもずっと生き生きしていたのも大きかった。俺もこうなりたいと思ったし、(自分の積極的な意思ではないにせよ)引きこもりのような状態を長く続けていたのでは友人たちに顔向けできない、恥ずかしいという気持ちもあった。
 しかし、そんなことは一切考えなくてよかった。
 今まで俺の友人になってくれた人たちは、俺が仲良くなりたいと自分からも思えた人たちである。そして障がい者である俺のことを快く受け入れてくれた人たちでもある。
 施設に通えなかったくらいで、俺のことを嫌いになるような人たちでは絶対にない。
 このことに気づいた時、やっと他者との繋がりを実感することができた。無理やり働こうとしなくても、現状のままでもたくさんの友人と絆を結んでいられる。それに気づいて、泣きそうになった。
 最近Nさんが家に来てくれて、4時間ほど話した。もちろん真剣な話題(今回の施設の件の報告など)もあったけれど、大半がいわゆる雑談だった。俺が施設に通えなくても、彼女の態度は全く変わらなかった。今の俺にはそれで十分だった。

 もちろん「働く」ということを全面的に諦めたわけではない。ただ、今までより少しだけ軽いスタンスで、気楽に気長に新しい施設を探そうと思えた。
 それもこれもXやLINEで繋がってくれているフォロワーさん、noteでいつもスキやフォローをくれる読者のみなさんのおかげです。本当にありがとうございます。
 これからもいろんな形で、ドラゴンのことを応援して頂けたら幸いです。
 最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 エッセイは最後と書きましたが、もう少しだけ今年中に記事を上げます。そちらもぜひご期待ください!

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