【ある障がい者の経験談】八方塞がり

 冒頭から言い訳がましくなって申し訳ないが、俺だって働きたくないわけではない。就労支援施設に円滑に通うための努力は、日々している。
 その最たる例がお手洗いだ。「差別と悪意」に登場した施設Bを覚えているだろうか? Nさんと出会った場所である。そこで俺はある男性スタッフからこんなことを言われた。
「スタッフの手を借りずにトイレができるようになってくれたらいいのに」。
 当時施設Bには男性スタッフは1人しかいなかった。一応「女性スタッフは男性利用者の介助をしていい」というルールにはなっているが、やっぱり俺としても気まずいから男性スタッフに頼ることが多かった。だからこそ上記の発言を「もっともだ」と思った。
 新しく通った施設Cでも同じことを言われ、「これはいよいよだぞ」と思って親に相談した。このままでは「1人でお手洗いに行けない」という理由で施設に通えなくなるかも、と思ったからだった。結果、施設Cを辞めた後ではあるが、地元の社協のお手洗いをお借りして練習する日々が始まった。
 練習の成果は、エッセイをずっと読んでくれている皆さんならご承知の通り。親友のNさんと、2人きりでカラオケに行けるまでになった。親の手を借りずにお手洗いの動作が完璧にできるようになったからだ。しかし、練習は毎週続けなければならない。そうしないと身体が忘れてしまう。これはある種、脳性麻痺の宿命かもしれない。

 で、肝心の就労支援施設の方はどうなったかというと、ご存じの通り進展はない。せっかく今までできなかったことを練習してできるようにしたのに、今度は「1人でお手洗いに行けることが問題だというのだ。
 施設Cを辞め、お手洗いが1人でできるようになった後、俺は2箇所の施設を体験した。どちらの施設長も「1人でお手洗いに行けます」と伝えたら「それはすごい!」と褒めてくれたし、喜んでいた。ただしそれは、母の前だったからだ。
 いざ体験がスタートして母がいなくなると、彼らは例外なく態度を変えた。
「1人で行けるっていうけど、絶対に転ばないって断言できるの?」と詰問されたり、「たとえトイレの中とはいえ利用者を1人きりにしておくわけにはいかないからついて行く」とお手洗いのドアの前で待たれたりした。心配だからというより、最初から俺のことなど信用していないような態度だった。太字の発言をしたスタッフの対応は特に酷く「スタッフの目がないからってトイレで暴れたりしたんじゃないか?」とも言われた。挙げ句の果てにははっきりと「車椅子のやつなんか信用できない」と言われた。
 要するに「車椅子のやつがお手洗いに1人で行けるなんて生意気だ」というわけだ。これも実際に言われたことである。

 人間は、ムカつくものには当たりがキツくなる。「身体障がい者なんだしできないものは仕方ない」という諦めと、「こいつは生意気だ」という怒り。もちろん後者の方が相手の態度も乱暴になるというわけだ。まして俺はブラックリストに載せられているらしいから、どうあっても俺を受け入れたくないという意思の表れかもしれない。

 お手洗いが1人でできなくてもダメ、できたらできたで生意気。これでは八方塞がりだ。どんなに頑張っても、俺が施設に通える日は来ないだろう。
 しかし、俺の八方塞がりエピソードはこれだけではないのだ。お手洗い以上に自分ではどうしようもない問題がもうひとつある。どうやら施設側は、どうあっても俺を受け入れたくはないようだ。
 その「もうひとつの八方塞がり」については次回のエッセイで書くが、今回と次回の記事を読んでもらえれば、俺の意見が単なる被害妄想ではないということが分かってもらえるだろう。

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