俺なりの小説の書き方後編 ミステリーのこだわり

 前回の記事で、「被害者の描写と殺害方法」にこだわりがあると書いた。「崩壊するマイセルフ」に込めた俺の思いも含めて書いていこうと思う。


被害者の描写

 テレビドラマの推理ものなどで扱われる事件は、高確率で殺人だ。殺人には被害者が必要不可欠。それなのにごく稀に被害者を「ただ殺されただけの存在」であるかのように扱う作品がある。ミステリードラマは有名な原作があるケースが大半だ。原作の描写がそもそも薄かったということだろう。
 2時間ドラマで例えると、被害者は初登場シーンでもう亡くなっていて、犯人が犯行について語るラストシーンでも殺害描写がない、というようなことだ。最近はコンプライアンスの問題もあるのか、終盤で反抗シーンが挿入されるパターンも減ってきた気がする。ただしそれならば、生前のシーンを少しでも入れてやれよ、と思う。

 俺は小説を書く時、書きたいシーンを頭の中で映像化する。殺されてしまうとはいえ主人公や犯人と並ぶほど頭を捻って考えたキャラクターだ。ただ「殺されました」というだけで退場させるのは惜しい。
 とは言え、やはり被害者を主人公と同じくらい濃く描写するのはいろんな意味で厳しい。なので今回は「古畑任三郎形式」を半分取り入れた。つまり、冒頭に犯行シーンを持ってきている。さらに最後にも、犯人と被害者の出会いから犯行までを描くという形で被害者キャラクターの出番を増やした。

 ここからは個人の意見だが、ドラマで被害者を演じられる役者さんはのちに有名になる人が多い。例えば石原さとみさんや波瑠さん、桐谷健太さん、及川光博さんなどが被害者役の経験がある。つまり犯人だけではなくて、被害者役も十分「抜擢」なのだ。そういう気持ちを強く持っているから、自分でミステリーを書く時には被害者の描写、キャラクターの提示をおろそかにしたくないと思ったのだ。

殺害方法について

 被害者キャラの出番を増やしたいからといって、殺害方法まで凝ったものにしようとは思わない。俺が好むのは毒殺だ。理由はいくつかある。
 まず第一に、大出血しない。口から少し血を流す程度だ(少なくとも映像作品ではそのように描写されている)。映像化された時、役者さん本来の顔が印象に残りやすいと思っている。まだデビューもしていない分際で映像化などおこがましいが、俺なりの発想方法なので大目に見てほしい。
 第二に、多くの種類の動機に対応し得る。「憎しみを募らせて殺す」という場合には、苦しみもがく時間が長い毒殺は犯人の欲望を満たす復讐手段だろう。絞殺の場合は相手の苦しむ表情が見えないパターンが多いし、転落や刺殺、撲殺は決着が早すぎる。
 また、「殺したくはないけどそうせざるを得ない」というパターンの場合でも、「被害者の体に傷や跡を残さない」という点で毒殺はいい。犯人が被害者の苦しむ姿から目を背けるといった描写を入れれば一層効果的ではなかろうか。

 最後にまた映像化時のメリットを。「毒を飲まされて苦しむシーン」というのは、それだけで被害者役のハイライトになるようなインパクトを持っていると思う。毒で苦しむ被害者をカメラが追うという演出があるが、ああいうのを小説でもぜひやってみたい。

「崩壊するマイセルフ」について

「崩壊するマイセルフ」のヒロインはNさんをモデルにしたキャラクターだ。そして今回、非常に心苦しいがヒロインイコール殺人の被害者である。
 今回の小説はオリジナルゲーム(固定記事参照)を考えている時にある程度の構想ができた。そのゲームは簡単に言えば「少ない設定だけで即興演技をして、あらかじめ決めたゴールに辿り着けるか?」というものだ。
 そこで俺は設定の例として「男が恋人の女性を毒殺する」という設定を出した。この時に小説に大枠を閃いた。
 近々Nさんとカラオケに行って、このゲームのデモンストレーションに付き合ってもらう予定になっている。そこで俺が考えた殺害方法や偽装が実際に可能かをシミュレーションし、Nさんの演技次第でヒロインの台詞や死亡するまでの動きの描写を修正していくつもりだ。親友のNさんには取材にも協力してもらい、もうこの作品の一部になっていると言っても過言ではない。そしてここまで巻き込んだ以上、彼女のためにも中途半端な作品にするわけにはいかないと覚悟を決めている。読者のみなさん、ご期待ください!

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