差別と悪意第2回② Nさんの登場と地獄の入り口

 おかげさまで前回の連載(こちら)も結構な反響があった。「鉄は熱いうちに打て」という言葉があるように、このチャンスを逃す手はないと思うので、一気に書いてしまおうと思う。
 それともうひとつ。俺の方針として、「一つの施設について書く場合は一回を分割する」というものがある。だから第2回と銘打っている間は、施設Bのことしか書かない。疑問に思った方もいたようなので書いておきました。
 それでは、今回も信じられないエピソードが続くかと思うが、根気強く読んでもらいたい。


Nさん登場

 施設Bに通っていて一番嬉しかった出来事は間違いなくこれだ。「バックレ」とあだ名されていたTさんが抜けた直後に入ってきたのだと思う。まずはNさんのことを少し紹介しよう。
 彼女は俺と同い年で、今まで障がい者に携わるような仕事をしたことはなかった。後述の激務もあって最初の頃こそ死んだ魚のような目をしていたが、徐々に本来の明るさを取り戻していった。そのうちに俺とよく話してくれるようになり、お互いのキツい時期を慰め合っているうちにいつのまにか仲良くなった。彼女が施設を辞めたことをきっかけに、今は友人として付き合ってくれている。
 Nさんが「死んだ魚のような目」をしていたのには、もちろん彼女のプライベートな問題もあったのだろう。だがその頃の施設Bは、俺が在籍していた時期の中で一二を争うレベルで地獄だった。原因は大きく分けて3つある。

① スタッフの激減

「激減」としたが、実際にはじわじわ減っていった。順番に説明していこう。
 まずNさんが入ってきたのと前後して、俺の同級生だった女性が抜けていった。確か系列の別の施設に移動したのだと思う。これで残っているスタッフは4人。
 そしてしばらくして、パートの女性が辞めていった。これで残るスタッフは3人。
 そして最後に、最も驚くべき事態が起きた。施設長が長期の休みを取ったのだ。正確な期間は覚えていないが、半年以上はあったはずだ。どうやら大病を患ったらしい。休んでいる期間中一度だけ施設長を見たが、げっそり痩せてしまっていた。
 体調を崩すことは誰にでもある。それによって仕事を休まざるを得ないこともまた然り。それを責めるつもりはない。問題は、その期間が長すぎたこと。いつ戻ってくるかの目処が立っていなかったことだ。前述の施設長の様子からも、そう易々と復帰できる状況ではないことは俺にも理解できた。それならそれで何らかの対策をとってくれればいいのだが、職員の採用不採用の最終決定権を持つのは施設長である。不在である以上、勝手に新しい人を雇うというわけにもいかなかったらしい。
 こうして常勤のスタッフは、男性スタッフとNさんの2人だけになった。施設Bは週末や祝日も関係なく営業する。そのためスタッフが平日に休みを取ることも多かった。そんなこんなで人が足りない時には、系列の他の施設から臨時で誰かよこしてもらうという形でどうにか持ちこたえていた。その頃のことを指して地獄だと言っているのだ。

② 施設長の不在による混乱

 当時、Nさんは免許を持っていなかった。唯一利用者や子どもたちの送迎ができるのは男性スタッフのDさんだが、それにしたって1人で全部の家を時間内に回り切るのは難しい。だから臨時のスタッフが来る。最初の頃は送迎の時間だけ来てもらうことが多かったが、一向に状況が改善しないので常時サポートスタッフを呼ぶのが恒例になった。
 そういうわけだから、送迎の時間がそれまでより多少遅れることは覚悟していた。それでも毎日帰りの会で「明日は何時ごろお迎えに行きます」という報告があったのでそれを当てにしていた。トイレに行くスケジュールを確定させるためだ。もちろん、前日に聞いた時間から前後30分くらいはあり得るぞという気持ちでいたが、長い時は1時間弱車に乗っていることもあったので、家を出る直前に用を足しておくのが必須になったのだ。
 ところが蓋を開けてみると、予告の時間より1時間近く遅れることはざらにあった。理由は単純で、臨時で来たスタッフの経験不足。つまり道が分からなくて迷ったり、それ以前に迎えにいかなければいけない利用者の家により忘れたりということが多発したからだ。
 さすがに不信感もあったので、Dさんに訊いてみたことがある。「なぜDさんが迎えに来てくれないんですか?」
 彼は苦しそうにこう答えた。「俺が迎えに行くと、業者の納品に行くのが臨時スタッフになるでしょ。利用者の家により忘れたりするような人が取引先に行ったら、取り返しのつかない問題を起こす恐れがある。業者側にはこちらの事情なんて関係ないから。だったら少々問題が起こっても、送迎を臨時スタッフに任せた方がいい」
 正直なところ、分からない理屈ではなかった。ただ「じゃあ利用者のことはどうでもいいのか?」という疑問は当然あった。が、その疑問を口には出せなかった。Dさんが最後にこう言ったからだ。
「……っていう、施設長の指示」と。どうやら施設長とDさんは連絡を取り合っているようだった。
 ここでスタッフを責めることは、俺にはできなかった。施設長はその場にはいないし、Dさんを責めるとそれは免許を持っていなかったNさんを責めることにもなってしまう。当時19歳、しかも入社して数ヶ月のNさんを追い詰めるようなことはしたくなかった。これは当時の利用者たちの総意であったように思う。
 しかしだからといって、「それなら仕方ないですね」とは言っていられない事件が起こる。この事件というのが、俺が施設というもの全体に恐怖感を抱くようになったきっかけでもある。

③ 使い物にならない臨時スタッフ

 臨時スタッフは当然他の施設から来るわけだが、誰が来るかというのは大体決まっていた。1人は、俺たちの作業中に平気で居眠りするような男性、もう1人はとても態度の悪い男性だった。2人とも大問題なのだが、大きな事件を起こすのは2人目のほう。Eさんとでもしておこうか。Dさんが休みの時にサポートに来るのだが、彼はちょっと想像を超えている。寄らなければいけない家により忘れるというミスをたくさんしたのは、主に彼である。

たくさんの暴言、暴力

 以前エッセイに書いた「お前歩けないふりしてんだろ?」というようなことを言ったのは彼である。しかもタチの悪いことに「いえ、本当に歩けないんです。だから車いすに乗っているんですよ」と説明しても「言い訳するなら二度と介助してやらないぞ」と脅してくるのだ。もう1人の車いす利用者(詳細は後述)も、同じことを言われていたらしい。
 それなら上のものに相談すればいい、と思うかもしれない。だが現場にいるスタッフといえばNさんくらい。Eさんとは年齢もキャリアも違いすぎる。まして手伝いに来てもらっている立場で、NさんにEさんを注意してもらうことは難しいように思えた。
 それをいいことに、Eさんの態度は日に日にエスカレートしていった。知的障がいの方は毎日のように彼に怒鳴りつけられていた。見かねたNさんが注意しても「うるせーな」という感じで意に介していなかった。これがあの大事件のきっかけになった。

親友大転倒事件

 その日もいつものスタッフDさんが休みで、問題のEさんがやってきた。普段ならストレスはたまるが乗り越えられる。その日予想外だったのは、身体障がい者用のトイレが壊れていたことだ。もちろん修理業者は依頼したものの、その日中に直るかどうかは微妙だった。
 トイレが使えない時に、介助するのは不慣れなスタッフ。嫌な予感がした。そしてそれは的中する。
 俺の10年来の親友に、Yくんという人がいる。彼も車いす利用者で、自力では立っていられない。つまり身体障がい者用の、手すりがついたトイレでないと入れない。さらに、スタッフの介助が絶対条件だ。
 彼は知的障がいも持っていたから、自分の説明がうまく伝わらない時には俺に頼ってくれることも多かった。その日も俺はYくんにアドバイスをした。「自分が1人では絶対に立てないとゆっくり丁寧に説明するんだよ」と。ところがEさんにはどんな説明も無駄だった。

 まず、俺が健常者用のトイレに入ることになった。俺だって普通の男子トイレで用を足すのは厳しい。しかしできないことではなかった。親からは「1人で立ってはいけない」と言われていたが、漏れそうだったから言っている場合ではなかった。狭い廊下で車いすを運んでもらう間、俺は自分だけの力だけで壁に手をついてで立っていなければいけなかった。それでも火事場の馬鹿力というやつでなんとか乗り切った。後にも先にもあんなことができたのはあの時だけだ。
 するとここでEさんは判断を誤った。かねてより俺の脳性麻痺を嘘だと疑っていた彼からすれば「やっぱりこいつは1人で立てるじゃねーかよ」というわけだ。そして彼はその理屈を、Yくんにも当てはめた。
 Yくんは俺に「相棒、助けてくれ!」と言った。俺のことを相棒と呼ぶほどに信頼してくれていたのだ。しかし俺は何もできなかった。
 Yくんは俺に「Eさんとは一緒にトイレに行きたくない」と言った。俺の説明を彼が全く聞き入れない様子を見て、不信感を持ったらしい。Eさんはそれに構わず「わがまま言うな」と怒っていた。俺としても障がい者用のトイレはまだ壊れているし、当時入社数ヶ月のNさんに、しかもいつもと違う状況でのトイレ介助を頼むのは不可能だった。それでやむなくYくんに「Eさんと行くか、あと数時間我慢するしかない」と伝えた。彼ももう限界だったのだろう。渋々「Eさんと行く」と言った。
 俺はYくんへのせめてものアシストとして、彼が一生懸命語った説明の言葉をEさんに補足した。「彼は絶対に1人では立てません。後ろで支えてあげてください」というふうに。
 しかしEさんは俺のことを嘘つきと決めつけていた。そして俺と仲がいいということで、Yくんの言うことも嘘と決めつけた。「だらけたくて立てないと言っているだけだろ?」という具合だ。そしてYくんはそのままトイレに連れて行かれた。
 その後どうなったかはお察しの通りである。1人で立てないYくんは、Eさんの支えを失った瞬間にバタンと倒れた。その音は作業場にいた俺にも聞こえた。
 Yくんは泣きじゃくっていた。泣きながら何かを言っていた。ほぼ聞き取れなかったが「だから言ったのに」というのだけは分かった。

大転倒事件その後

 ここまででも相当なことだが、本当の衝撃はこのあとだ。
 Yくんはあの後、ご家族と一緒に病院に行った。幸い大きな怪我はなかった。Yくんは今でも元気だ。
 問題はEさんの方だ。なんと彼は、自分の非を認めなかったらしい。俺は後日、Dさんから事情聴取を受けてそのことを知った。
「Eさんが言うには、ドラゴンくんとYくんは何も言わなかったと言うんだよ。Yくんが立てないことを教えてくれなかったというわけだ。そんなことないよね?」
 あるわけがない。Dさんもそれは分かっている。彼も立場上、確認せざるを得なかったわけだ。この件をきっかけに、俺は一時期他人を全く信用できなくなった。
 これが施設Bに通っていて最大の事件だった。ちなみにEさんはだいぶ後になって自己都合により退職した。後日Yくんに確認したところ、Dさんからの謝罪はあったがEさんからはなかったらしい。唯一救いがあるとすれば、あれ以降Eさんが一切やってこなくなったことくらいか。
 以上、史上最悪のスタッフの悪意にまみれたエピソードでした。次回、施設B編完結。今度は帰ってきた施設長が大暴れします。乞うご期待!

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