【ドラゴンのエッセイ】私の人生と、親友の話①

はじめに

 読者の皆さんに質問したい。
あなたに親友と呼べる人はいますか?
 私には、いる。もう5年の付き合いだ。いろいろあって直接会えた回数は多くないけれど、それでも親友だと胸を張って言いたい。そして相手も同じ気持ちでいてくれたらこれほど嬉しいことはない。
 今回は、今までのエッセイに度々登場している親友について詳しく書いてみる。もちろん相手のプライバシーもあるので触れられない部分も多少は出てくるが、そこは勘弁願いたい。
 そしてこの親友の話をするということは、18歳以降の私の人生を振り返ることでもある。これまで語ってこなかった、いや、本当は語りたくなかった部分もこの際だから語り尽くしてしまおう。今の私には親友がいる。辛い過去を冷静に振り返ることだってできるはずだ。

 さて、親友の話をしていく上で、ひとつ断っておきたいことがある。私はnoteの他にTwitterもやっていて、SNSでも繋がっている友人が少なからずいる。その人たちも分け隔てなく友だち、もしくは気の合う仲間だと思っているということは強調しておきたい。
 それでもある1人の親友の話になるのが多いのには、2つの理由がある。「付き合いが長いこと」と、「直接顔を見て話せること」だ。
 他のフォロワーさんたちにもいつか直接会えるチャンスがあったらとは思っているが、現状では不可能に近い。彼女はそういった愚痴も聞いてくれる、心強い味方なのだ。
 今回も前置きが長くなってしまった。本題に入ろう。まずは彼女との出会いについてだ。以後、彼女のことは便宜上、「Nさん」と呼ぶことにする。これから書くことは一部を除きほぼ実話。しかし私の個人的感想である。同時に、Nさんへの感謝の気持ちを込めた文章だ。Nさんへの、ものすごく長い手紙だと思ってくれてもいい。
 そんな超個人的な文章だけれど、これは紛れもなく私の「全部」である。何回かに分けて書こうと思うので、読者の皆さんにもぜひお付き合いいただきたい。

※ここから先、一部生々しい表現が登場する箇所があります。ご了承下さい。

初対面

 2人が出会ってからもう5年以上になる。出会いは私の前の職場(就労支援施設)だ。
 特別支援学校高等部を卒業後、最初にお世話になったところである。しかしながらこの施設に通うことは私にとって苦痛でしかなかった。Nさんとの出会いがなかったら、今生きていられたかどうかも分からない。それほどに追い詰められていた。
 そういう事情もあるので、これ以上の詳細については割愛させてほしい。しかし、これだけは言っておこう。少なくとも彼女の第一印象は最悪だった。
 ドラマなどでよく耳にする「死んだ魚の目」という表現がまさにピッタリだった。当時は彼女も、そして私の方も人生の暗黒期で、覇気がなかったのは仕方がないことだった。

 では、本筋に話を戻す。同年代の女性との思いがけない出会いがあった時、私はどうするか? 答えは簡単。「逃亡」である。
 私は女性が苦手だ。学生時代女子や女性の先生との関わりがほぼなかったため、24歳になった今でも女の子と目が合うだけで赤面してしまう。学生の頃はまだいいが、大人になってもそれに変化はなかった。例えば、リハビリの先生が相手でもそうなる。そんな自分が情けなくて、恥ずかしかった。だから女性を意図的に避けていた時期さえある。
 しかしここで強調しておきたいのは、私は断じて女性が嫌いなわけではないということ。マンガなんかでよくある「ドギマギしすぎて女子と話せない中学生」をイメージしてもらえると分かりやすいと思う。言わば「生涯思春期」といった感じ。
 話を戻そう。彼女は私の人生で出会った女性の中で一番綺麗だった。なので当時は「絶対に友だちになれない」と思っていた。そんな美人を目の前にすると、本来の自分の1割も出せなくなってしまうから。

 程なくして、私と彼女が同学年であることを知った。と言っても本人から直接聞いたわけではなく、「ドラゴンくんとNさん、同学年だよ」と他の人に教えてもらった。
 施設の方々(主にスタッフさん)も私が女子との関わりを極端に苦手としていることを知ってくれていて、距離を近づけてくれようとしたのだろう。
 ところが私は「同級生」とか「同世代」という括り方があまり得意ではない。みんなと同じ思い出が共有できないからだ。
 例えば健常者が友だちと遊んでいる時間、私はずっとテレビを見ていた。休日にしても同じで、自分1人で買い物に行ったこともない。していたことといえば小説を読むか、ジャニーズのライブDVDを見るか、宿題を片付けるかくらいのものだ。
 私は根っこがネガティブなので、「こんなやつと話してくれる人なんかいない」と思っていた。それでも関わろうとすれば、他人から無意味に傷つけられる。だから当時の私は、他人を避けていた。女性限定ではなく、「親以外はみんな敵」と思っていた。

 それでも私は、Nさんと会話することを試みた。当時のNさんは、「私が生きている意味なんて存在しない」みたいな態度だったから、それを放っておくことは出来なかった。身勝手な話だが、私と同じような考えを健常者が持っていることはとてももったいないことに思えたからだ。
 健常者であるというだけで、障がい者よりもできることが多くある。普通に歩けるし、走れる。自分の行きたいところへ、自分の意思で、1人で行くことができる。これは、当たり前ではない。十分に誇るべきことだ。にも関わらず世の中には、健常者であることを当然と思っている人が多すぎると感じる。その挙げ句に「自分には生きている価値がない。死にたい」という考えになってしまう人がいることが悔しい。そして私には、当時のNさんもそんなふうに人生に絶望しているように見えた。Nさんは美人だから、それが原因でいじめられたりすることもあったのかもしれない。私にできることなんかひとつもないと分かっていても、何とかしたくなってしまった。思えばこれが、私の青春の始まりだった。
 最初は、貴重なスタッフさんを失いたくなかっただけかもしれない。けれどきっかけは何であれ、私は彼女に声をかけた。相当な勇気を振り絞って。
 我ながらよっぽど緊張していたんだろう。その時の具体的な会話の内容は一切覚えていない(Nさんごめん!)。けれどそこから徐々に、お互いのことを話すようになった。出会ってから3カ月くらい経った頃だった。

 ところが、彼女と友人関係になるのはまだまだ先の話である。というのもこの頃、私は死にかけていた。比喩ではなく、実際に。高校時代58キロあった体重が40キロ台前半にまで落ちていた。理由は簡単。食事ができなくなっていたからだ。というわけでここからは少しだけ、Nさんと出会うまでの話をさせていただきたい。

施設に入って

 小中高と12年も通った学校を巣立ち、これまでとは比較にならないくらい環境が変わった。それでも1年くらいは、自分なりに頑張って「理想の社会人」であろうとした。今思えばそういった「気負い」がのちの引きこもり状態に繋がったのかもしれない。
 Nさんと出会うまでの私は、通っていた施設でいじめにも似た仕打ちを受けていた。例えば、トイレ介助をしてもらえなかったり。と言ってもそれは、常時スタッフの人数が足りないが故のことだった。
 もちろん到底許されることではないと思う。それでも当時の私は「仕方ない」と諦めていた。実際どこの施設でも「スタッフ不足」が叫ばれていたことは知っていたから、自分もできる限りの協力をしようという考えでいた。トイレを我慢することも、その一環と思って割り切った。嫌なことがそれだけだったならもう少し長くあの施設にいられただろう。

 問題は、他の利用者との関係性だった。私が入所した年、同期は私の他に2人いた。同期以外の利用者はほぼ全員、入所後5年以上が経っているメンバーだった。系列の施設を渡り歩き、かれこれ同じ系列の施設に15年以上通っている人もいた。
 さらに、車いすを使うのは私を含めて2人きり。そんな状態だから、まずは他の利用者のほとんどに疎まれることからスタートだった。
 疎まれる理由というのは、「スタッフを独り占めしがち」というものだった。トイレの時間などは特に、男性スタッフ(ごくまれに女性スタッフの場合もあった)と2人きりになる。私は緊張すると用が足せないタイプなので、介助してくれるスタッフと雑談もした。それがみんなには「独り占め」に思えたのだろう。
 その気持ちは私にもよく分かるが、トイレ介助や送迎の車内でスタッフを「独り占め」することになるのは仕方ないことでもあった。だから他の利用者から冷たい態度を取られても我慢してきた。芸能人などがよく言う「有名税」に近いものだと言い聞かせて。

暗黒期の理由

 ところが、あいつが私にする態度はそういった種類のものではなかった。もはや私の最大の敵と言ってもいいだろう。この人を仮に「X」と呼ぶことにする。このXが、最初に触れた私の人生の暗黒期を到来させた人物である。
 私と同じ学校の12歳上の先輩がいたのだ。つまり私が小1の時、向こうは高3。被っていたのは1年しかない。
 それなのに、「俺はお前の先輩だからな」と面と向かって言い、平気で「先輩の言うことは絶対だから」という態度もする。
 これは私の考えだが、「同じ学校の先輩後輩」という考え方は面識があるからこそ成立するものではないだろうか? 卒業してしまえば「職場での先輩後輩」という関係性に変わるわけだし、相手のことを知らないのなら同じ学校の先輩と言われても実感が湧かない。まして「年上」というだけでもそれなりの敬意を払うのは人間として当然だと思っていた。だから「俺は先輩だぞ!」とめちゃくちゃアピールされることに違和感があった。
 それでも最初のうちは、「不思議な人だなぁ」と思いつつもある程度真剣に話を聞いていた。タメになる話が聞けたことも少なからずある。そこは彼に感謝もしている。しかし、それとこれとは話が別。堪忍袋の尾が切れたのはあの時だ。

 その先輩が、私の大事なところをズボンの上から握ったのである。本人はじゃれているつもりだったのかもしれないけれど、あれは歴としたセクハラだった。
 やられた瞬間は、もちろん腹が立った。ただ私の性格上、「自分だけが被害を受けているなら沈黙すればいいだけ」と考えてしまい、まずは情報収集から始めた。
 他の利用者の方々に「Xがそういうことしてるの見たことありませんか?」と訊いてみた。すると結構な割合で「お前もやられたのか?」という返事が。「お前」ということは他にも犠牲者がいる。しかも彼らの口ぶりからして、Xのセクハラまがいの行為は常習的なものだと確信した。
 実際私が大事なところを握られたのも一度や二度ではなかったし、それ以前から「Xが嫌われている」という話は何度となく聞いたことがあった。

 そこで今度は、Xを注意深く観察してみることにした。幸いというか、向こうは私のことを「従順な後輩」と思っていたので、一定期間常に隣に張り付いてみたのだ。
 すると1週間もしないうちに、私は彼のセクハラ行為を目撃することになる。具体的には、幼稚園児くらいの女の子を追いかけまわし、手を握っていた。Xは遊びの一環という感じで笑っているのだが、女の子の方ははっきりと「気持ち悪い」と叫んでいた。
 これは悠長に構えている場合ではないと、私は誰かスタッフに相談しようとした。だがいきなり施設長に持ちかけるのも抵抗があったので、同い年のNさんを最初の相談相手に選んだ。

読者の皆さまへメッセージ。そして次回予告

 今回で暗黒時代の話は終わりにしたかったのだけれど、ここまでで原稿用紙10枚分を超えてしまった。なので続きは次回に持ち越します。
 親友の話をしようとすると、どうしてもこの話は避けて通れない。私としても思い出したくない過去です。でも、Xとの闘いがなければNさんと親友になることもなかったから、意を決して書いています。
 私としても最初の施設での毎日は、Nさんをはじめとする親身になってくれたスタッフとの出会いを除いてほぼトラウマです。でも、いい加減に前に進まなきゃ。そういった決意もあってこのシリーズを書き始めました。だから、出来るだけたくさんの方に読んでほしいです。
 次回、Xとの闘いが佳境を迎えます。「セクハラ加害者との対峙」というとてもセンシティブな内容ですが、多くの方に読んでいただけたら嬉しいです。
 コメント、スキ、サポート、おすすめ。様々な反応お待ちしています。この記事がバズってほしいような、ほしくないような複雑な思いです。
 それでは、次回の記事でまたお会いしましょう。ドラゴンでした🐉



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