【ドラゴンのエッセイ】 「俺」を使う理由

 エッセイを書く上で、最初の方からずっと意識していることがある。一人称を「俺」にすることだ。たまにフォロワーさんから「なんでわざわざ俺っていう一人称を使うの?」と質問されることがある。今回はその疑問に答える。

 一人称を「俺」にするのはよくないというのは重々分かっている。「私」、最悪でも「僕」が文章を書く上ではベターだとも思う。
 それでもあえて「俺」を使い続けるのにはそれなりの理由というか、きっかけになった出来事がある。
 俺のXやLINEには、女性が多い。多いどころか、頻繁にやり取りする方たちは全員女性である。
 ある時、そのフォロワーさんの1人にこう言われた。
「私、男の人が苦手なの。苦手というより、男性が怖い」
 その方の事情は彼女のプライバシーに関わるので伏せるが、俺はその言葉をきっかけに少し調べてみた。
 すると、「男性に対して恐怖を感じる」という女性が少なからずいるという事実に直面した。
 この時は、「ああ、そうなんだな」と納得して「私」という一人称を積極的に使うようにした。ところがそのすぐ後、事件が起きた。
 新しく女性のフォロワーさんが繋がってくれた時、「初めまして。私はドラゴンといいます。23歳(その当時)の男です。身体障がい者ですが、仲良くしてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします」というメッセージを送った。ところがそのメッセージが既読になったのを最後に、一切の返信がなくなった。こちらから「何か怒らせるようなことをしてしまいましたか?」と送っても、今度は既読すらつかなくなった。
 これは絶対に何かをやらかしたぞ、と思った。そこで、その方のアカウントを覗いてみた。メッセージは無視されていたのに、ブロックはされていなかった。
 そこに書いてあった文章に、俺は愕然とした。
「この前、身体障がい者だっていう人と繋がったけど、そいつが実は男だった。女の子だと思ったからフォローしたのに最悪。トラウマ蘇っちゃった」
 おそらくその方も男性になんらかの仕打ちをされ、男性全般が苦手になったのだろう。それは想像がつく。しかしだからといって、フォローしたのに挨拶メッセージすら返さないというのはいかがなものかと思った。と同時に、だいぶ傷ついた。
 男が苦手なら、俺が男だと分かったタイミングでそう言ってくれればいいのだ。そういう女性もいるということは知っているから、受け入れることもできる(それでも若干傷つきはするだろうが)。
 断っておくが、俺はXのプロフィール欄に身体障がい者であることと男であることは今でも明記している。要するに、プロフィール欄をちゃんと読めばドラゴンが男だということは分かるはずなのだ。それなのに上記のような事件が起こった。
 だから普段から「俺」という一人称を使うことにした。そうすれば普段、つぶやきがひとつ目に入っただけでドラゴンを男だと認識してもらえる。それで距離を取りたいと思う方はそうすればいいと思うし、俺はそういう方とは友人にはなれない。
「どんな人にも受け入れてもらえるような態度をとるべきだろう」と言う人もいるだろう。だが俺は、些細なことでその人個人のすべてを否定するような人間は嫌いだ。事実俺のフォロワーさんたちは、「男性は今でも苦手だけどドラゴンくんは大丈夫」と言ってくれる。おそらく、俺が相手に害を与えようとしていないことが伝わったのだと思う。何度か会話を繰り返すなかで、そんなふうに感じてくれたのだろう。

 もちろん俺だって、改まった場や初めましての挨拶の時には「私」を使う。最低限の礼儀だと思っているからだ。しかし挨拶が済んで、敬語はいらないよということになれば即「俺」に切り替える。それが俺の素で、素を見せることは絆を育む第一歩だと信じているからだ。

 他人といい関係を築こうとする上で、もちろん礼儀は大事だ。それを否定したいわけではない。
 ただ、ある程度自分を出せるというのも大事な条件ではないだろうか。ビジネスではなく、友情を求めて誰かと繋がろうとするならなおさら。
 そんな考えのもと、俺はこれからも「俺」という一人称を使い続ける。

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