【ドラゴンのエッセイ】 「頑張れ」の重さ

 ご存知の方も多いかと思うが、俺は現在定職についていない。もっとも「就労支援施設と利用契約を結ぶ」ということが「定職につく」という表現にマッチするかどうかは分からないが。
 フォロワーさんにこういう話をするとごく稀に「仕事探し頑張ってね!」という意味のことを言われることがある。もちろん悪意がないのは分かっている。むしろ善意で応援してくれているのだとも思う。しかし、健常者が就職するのと障がい者が施設に入るのとでは根本的な部分から違う。意味が違うと言ってもいい。今回はその辺の説明をしていきたい。


健常者の場合

 違いを分かりやすく比較するために、それぞれが就職したり施設に入ったりするまでの手順から説明しよう。
 まずは、健常者が就職する場合。履歴書(最近ではエントリーシートとも言うらしい)を書いて、会社に送る。そして面接を受ける。企業によって面接の回数に差はあっても、面接で合格を勝ち取ると採用になる。ここで晴れて就職というわけだ。社員になる場合を例として挙げたが、アルバイトやパートでもこの流れは変わらないはずである。
 俺は障がい者で、一般の企業を相手にしての就職活動というものには縁がない。だから正直に言えば、一般企業への就職の流れなんてざっくりとしか分からない。ただひとつだけ確かなのは「自分の意志で、働きたい企業を選ぶ」ということだ。応募条件に合わないなどの理由で多少選べる企業が制限されたとしても、自分の意志で面接を受けたい企業を選ぶことができる。例えばパソコンに強い人ならその能力を活かせる企業へ、体力に自信がある人なら建築や土木工事などの現場仕事へ、といった具合に。
 しかし、障がい者となるとことはそう単純ではなくなってくる。

障がい者の場合

 まず、障がい者が施設を利用していく上で必要不可欠な存在がある。「相談支援員」という人たちである。文字数が多いのでこの先は「相談員」と呼ぶことにする。
 法律で「障がい者がなんらかの施設を利用する場合には必ず相談員をつけなければならない」と決まったのは俺が高等部を卒業する前年度だった。相談員は、障がい者が施設を利用するために必要な見学や体験のアポ取り、それ以前の段階であれば各個人のレベルに合うと思われる施設を紹介してくれる。法律で決められていなかったとしても、我々には必要不可欠な存在だ。
 その相談員さんの力を借りながら、自分の適正に合った施設を探していくわけである。ここからはその流れを詳しく紹介する。
以下に紹介する内容は全て、俺個人の経験を説明するものである。すべての障がい者の方にこの道筋が当てはまるわけではないということをご理解いただきたい。

 まず、施設の種類から説明しよう。俺の場合は「就労継続支援B型」という種類の施設に通うことを目標にしていた。この「B型」は「一般企業で働くことは障がいの関係で難しいけれども、ある程度の労働能力はあるので、できる仕事をして少しでもお金を稼ぎましょう」という感じのところ。雇用契約を結ばないので、自分の体力や身体メンテナンスのスケジュールを優先させることができる。俺の場合は週2回、身体メンテナンスを目的とした訓練を行い、さらに月に一度、健康管理のため訪問診療に入ってもらっている。その日はどうしても休まなければならないため、B型に通うのがベストだと考えた。
 いっぽう、「A型」と呼ばれる種類の施設もある。こちらはしっかりと雇用契約を結び、有給休暇などの一般企業と同じような制度もあるらしい。しかし、通退勤を自力で行わなければならない、一般企業と同じような雇用形態なのであまり多く休むと煙たがられてしまうなど、俺にとっては厳しいポイントが多い。A型に通えるのは障がい者の中でもエリートで、ゆくゆくは一般企業で就職も目指せるような方々である。俺はとてもそうはなれない。なのでB型を選択した。

 ここからがいよいよ、どうやって施設に入るかという説明である。まずは、学校を卒業してすぐに施設に通う場合。
 多くの特別支援学校では高等部になると「現場実習」というカリキュラムが組まれる。普通学校で言うところの「職場体験」や「インターンシップ」のようなものだ。
 高3になった時、大学へ行くのか施設に通い始めるのかを具体的に選択する。施設を選んだ場合、その年に行く実習先は卒業後に通う前提で選ぶことが多い。
 そうやって施設との関係性ができているから、卒業後もすんなり入れる場合がほとんどである。その場合には相談員さんにも「今まで実習してきたこの施設に入ります」と報告して、契約に立ち会ってもらうだけでいい。

 問題なのは俺のように、そうやって入った施設を辞めてしまった場合だ。
 もちろん辞めるのにだって相当の覚悟がいる。現に俺が最初の施設を辞めた時は、初めて体調を崩してから実際に辞めることを決断するまで3年くらいかかっている。当時は「ここを辞めたらもう行く場所がない」とか「施設に通えなくなったらもはや社会の一員ですらなくなってしまう」などのネガティブな思考ばかりになってしまっていたからだ。大好きな嵐やSMAPなどのライブDVDを見ても、一切心が動かなかった。診断を受けたわけではないが、あの頃は一種のうつ状態だったと言っていいだろう。
 結局親や相談員さんの強い勧めでやっと辞めることを決意した。分かりやすく言えば俺は、ブラック企業に洗脳されていたのだ。施設を辞め、しばらく好きなように過ごしていると、体調はどんどん回復していった。

 体調が戻ったのなら、ということで新しく通う施設を相談員さんと一緒に探すことになった。しかしことはそう単純ではない。
 俺が通える施設の条件として、まずは身体障がい者を受け入れてくれるところでなくてはならない。というか、これが唯一にして最大の条件と言っていい。知的や精神といった「筋肉の運動」には全く関係ない障がいの方だけを専門に受け入れる施設もあるから、「どこでもいいから見学の申し出をしてみよう!」というわけにもいかないのである
 また、身体障がい者にも種類がある。「身体障がい者」という言葉からイメージされやすいのは、俺たちのような車いす利用者だと思う。しかし、それだけが身体障がいというわけではない。視覚障がいや聴覚障がい、人より体調を崩しやすい虚弱体質も身体障がいに含まれる。だから「身体障がい者を受け入れています」とアナウンスしているところであっても、俺のような車いす利用者を必ず受け入れてくれるとは限らないのだ。個人的には身体に麻痺がある身体障がい者とそうでない身体障がい者は施設を分けるべきだと思うのだが、これ以上のことは言うまい。

 とにかくそういうわけで、見学させてもらえる施設を見つけるまでも大変なのだ。しかも悔しいのは、そこまでは俺や家族の意思を差し挟む余地がないということ。そもそも車いす対応になっていない施設に行きたいとゴネても仕方がない。

皆さんに伝えたいこと

 ここで、冒頭の話題に戻ろう。「仕事探し頑張ってね!」と声をかけられることが、若干辛い。仕事探しに繋がることで俺が頑張れるのはせいぜい、今の身体のレベルを落とさないことくらいだ。できることを増やそうと努力することくらいだ。これからもその努力を怠らないつもりではいる。
 しかし、その努力を続けたとしても俺を受け入れてくれる施設が見つかる可能性はおそらく低い。肢体不自由という俺が持つ障がいには、大きな偏見があるからだ。数年もすれば寝たきりになって施設を辞めていくんじゃないかという偏見だ。実際、ある施設の施設長に面と向かってそう言われたこともある。
 身体のメンテナンスをサボらなければ、俺が寝たきりになる可能性は限りなく低い。ただそれでも「ゼロです」とは断言できないし、可能性が低いということを客観的に証明することも難しい。
 このような偏見を、障がい者と同じ場所で働いているはずの施設スタッフが持っているのだ。これは由々しき問題だと思う。そして、こういった偏見を多くの人が持っている以上、いくら努力をしても施設が見つかるわけではないのだ。「自分が施設にとって有用な存在である」ということは努力で示していくつもりだし、時間さえあれば認めてもらえるとも思う。だが前述のような偏見が渦巻く環境では、そもそも努力のチャンスすら与えられないのだ。「どうせ無駄だ」と決めつけられている。
 だからこそ俺はずっと、このnote記事を通じて偏見が少しでも減ることを願っているのだ。だから拡散を望むし、定期的にこのような話題で記事を書いている。
 自分の書いた文章を客観視した時、辛すぎてアップするのをやめようかと思ったことも一度や二度ではない。それでも更新し続けるのは、俺のことを知ってほしいという思いがあるから。俺の記事をきっかけに、皆さんが少しでも「偏見を無くそう」と思ってくれると信じるからだ。
 これからも辛い思いはたくさんするだろうが、それでも俺は俺自身の現状や心情について、嘘偽りなく書き続けようと思う。末永くお付き合いいただけたら幸いです。

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