[ドラゴンのエッセイ】推しのことを考えていたら友人の大切さに気づいた

 俺の推しといえばジャニーズ事務所のアイドルたちであるということは、これまで俺の記事を読んでくださっていれば分かると思う。今回の問題で「ジャニーズ」という名前はこの世から消えることになった。
 新たにエージェント契約を行う会社ができるという説明だが、現所属タレントたちもこのエージェント契約について詳しくは聞かされていないらしい。そんな状況では、俺たちファンが安心できるわけはない。

 今回俺は初めて「推しを失ってしまうかもしれないぞ」という不安を覚えた。いや、実際は現在も不安なままだ。活動の形はどうあれ、なんらかの方法でファンの前に出てきてくれればまだいいが、すべてのタレントについて「引退」という可能性もゼロではないから。
 おそらく全員が引退するということはないだろう。エージェント契約をするかどうかは別としても、芸能活動については前向きな姿勢を示してくれているタレントが多い。
 しかし、覚悟はしておかなければならないと思っている。エージェント契約についての詳細や現ジャニーズ事務所の廃業が実現した後の動きは、まだ誰にも分からないからだ。そんなわけで現在も俺のメンタルは、今まで生きてきた中で最大まで沈んでいる。
 数年前の俺ならば、間違いなく自殺していただろう。生きる意味イコール推しだった俺にとって、今回の事件はそれほどに深刻である。
 今回は、現在もメンタルが不安定な俺がなんとか生きていられる理由を書いていきたいと思う。俺と同じように悩むジャニーズファンの方や、生きることが辛いと感じているすべての人に読んで頂きたい。


友人たち

 現在の俺にとって何よりも大切なのが、Nさんをはじめとする友人たちの存在だ。友人にもジャニーズファンの方が多く、メンタルが不安定なのでやり取りを控えたいという方もいた。そのこと自体は寂しいが、同じように落ち込んでいるのが自分だけではないと知ることができて少し安心した。
 学生の頃は周りにジャニーズファンはおろか「特定の芸能人が好き」というような人もいなかった。だから完全にキモいオタク扱いで、SMAP解散の時なんかは心配と嘲笑が半々という感じだった。嘲笑というのは「たかがアイドルグループが解散したくらいでこの世の終わりみたいな顔をするな」ということだ。そういった言葉を、半笑いで投げかけられる。
 SNSで繋がりを求めてからというもの、そういうことは一切なくなった。それぞれ推しは違っても、同じ「推す」という行為に全力だからこそ相手の立場になって考えられる

Nさん

 また、親友のNさんも、忙しい中でも時々ではあるが俺の愚痴を聞いてくれる。何度か書いていると思うが、Nさんは特にジャニーズファンというわけではない。それでも「私でよかったらいつでも話聞くよ」と言ってくれている。いつもの俺なら「そうは言っても相手の負担になってしまうし……」などと考えるところだが、今はそんな余裕もない。最終的には「今だけは弱音を吐かせてくれ」とお願いしてしまう始末だ。
 Nさんとの関係については、今回の件がいい変化をもたらしてくれた。
 今までであれば、できる限り弱い部分を見せまいとしてきた。以前の記事にも書いたように、私はNさんのことを女性として意識していた時期がある。今は大事な親友だが、だからといって「彼女の前ではできるだけカッコよくいたい」という思いが消えたわけではなかった。
 だが、今回の件でそんなことはどうでもよくなった。いや、今回の件をきっかけに考えを改めたという方が正しいかもしれない。
Nさんは、俺が弱い部分を見せたところで離れていくような人ではないと気づいたのだ。5年も付き合ってて今更かよ! と思うかもしれないが、俺はもともと人には気を使うタイプなのである。友だちを選ぶのにも「気を使うのが苦じゃない人」というのが第一基準だったほどだ。だがそれは間違っていた。友人というのは本来、気の置けない間柄であるべきなのだ。弱点やダサい部分も共有できるのが本当の親友だ。
 思い返せば、Nさんは俺に随分と弱さをさらけ出してくれたと思う。身体が弱くて体調を崩しがちなこと、メンタルが不安定で出会った当時は自殺を考えていたことなどを打ち明けてくれた。彼女が施設のスタッフでなくなった後も、新しい職場での不安などを話してくれることが少なからずあった。「俺たちの関係性ならこれくらい当然」と思っていたが、自分の弱い部分を打ち明けるというのはとても勇気のいることだ。俺はよく彼女に「遠慮なく頼ってね!」という趣旨の言葉をかけていたが、それすらプレッシャーでしかなかったのかもしれない。これは今回、自分のメンタルがボロボロになって気づいたことだ。
 でもNさんは優しく寄り添ってくれた。いつでも話を聞くと言ってくれた。もう、カッコつけるのはやめようと思った。ありのままの自分で向き合う。辛い時は辛いと言って寄りかかってもいいのだと、今回の件を通じて思うことができた。
 その分の恩返しは、会えた時に楽しい思い出を一緒に作ればいい。相手に楽しんでもらいつつ、「あの時あなたがいてくれたから今こんなに楽しいよ!」と行動や態度で示せばいい。難しいことではないし、何か特別なことをする必要もないのだ。

友人との向き合い方

 これは俺の持論である。
 友人というのは、辛いことを一瞬でも忘れさせてくれる存在だ。
 今回の俺のような大きなショックではなくても、人間は毎日のようにネガティブな感情になる。仕事でミスをして上司に怒られたとか、お気に入りのデザートがコンビニに売ってなかったとか。そういった、他人からすればどうでもいい話をし合えるのが友人という存在ではないだろうか?
 読者の皆さんにも経験があるだろう。友だちと思いっきり遊んで嫌なことを忘れられたということが。あれが友だちの本質だと思う。互いを大切に思う温かい心に触れて、同じように楽しいと思えることをして遊ぶ。他愛のない話で笑い合う。これだけで心は軽くなるものだ。
 俺はすべての友人との関係において、そういう存在になれることを目指している。推しについて毎日のように考えていたら結局は、友人を大切にしようという結論になった。
 Nさん、XやLINE、そしてnoteでやり取りしてくれる皆さん、これからも仲良くしてください! よろしくお願いします!

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