【ドラゴンのエッセイ】本の読み方

 俺は読書が好きだ。
 ずっと公言し続けているのに、今まで読書をメインテーマにした記事を書いたことがなかった。
 なので今回は連載40回記念という大義名分を得て、俺が普段どんなことを意識し、どんなふうに本を読んでいるかということを書いていこう。

 とは言っても、特別なことはしていないと思う。強いて挙げるなら「初めて読む本を複数冊並行して読まない」ということくらい。これだけは本のジャンルに拘らず決めていることだ。逆に言えば、すでに読んだことがある本と初めて読む本を並行して読むことはある。実を言うと現在進行形でこの状態だ。
 双方の行為には、ちゃんとした理由がある。まず、初めて読む本を複数並行して読まない理由だが、これは単純だ。結局どちらも頭に入らないからだ。小説にしろ漫画にしろ雑誌にしろそこに文章や絵、写真があるということは、誰かの強い感情が乗っているということだ。俺は、新しい本を読む時には常に100%で著者の感情と向き合いたい。

 ではなぜ、読んだことのある本は併読できるのか? 実は読書に目覚めた当初は併読なんてもっての外だと思っていた。その考えが変わるきっかけになったのがエッセイというものだった。
 俺は数年前まで小説専門の読書家で、それ以外は読んだことがなかった。エッセイに出会ったきっかけは、俳優の大泉洋さんだ。「大泉エッセイ」というタイトルのエッセイ集が本屋に並んでいたのである。この時俺はエッセイがどういうものかを理解した。帯や裏表紙のあらすじ紹介文を読んで。そして即購入。読んでみた。
 するとやはりエッセイは小説とはまったく違うものだった。これはあくまで推測だが、「小説だけが好きな本好き」と「エッセイだけが好きな本好き」は根本的に違う思考の持ち主ではないかと思った。
 俺の感覚では、エッセイは大きく2種類に分けられる。「日記タイプ」と「エンタメタイプ」である。
 日記タイプは、小説家やアーティストに多い気がする。彼らのプライベートは謎に包まれているから、日々起こったことを書くだけでもその人のファンは読みたくなるはずだ。場合によっては著者本人の主義主張なんかもしっかり書かれていて、その人をより深く知ることができる。
 対してエンタメタイプというのは、お笑い芸人さんのエッセイに多い。彼らは元々人を言葉を使って笑わせるプロだ。それが会話から文章に変わっても、その本質に変化はないと思う。
 俺が新作と併読するのは、圧倒的にエンタメタイプのエッセイが多い。書き手が「笑かしてやるぞ」という気持ちでいるのだから、こっちも軽い気持ちで読んでフッと笑えればいい。
 エンタメタイプのエッセイは、息抜きになるという側面もある。俺が読む小説は大抵が暗く重い話で、自分が好きで買って読んでいても気が滅入ってしまうことがある。とは言っても途中で読むのをやめるわけにはいかず、最後までは読む。読むのだが、俺は読書スピードが早い方ではない。350ページくらいの小説を読むのには2、3日かかる。そうやって読んでいる本が暗く重い話だと、フィクションの世界の気分を現実にも引きずってしまうのだ。それはよくないと思ったから、1日の終わりには笑える本を読むことにしている。俺にとって、それが芸人さんのエッセイだったというわけだ。
 芸人さんのものに限らず、エッセイというのは1回が短い。1回のエッセイは大体、文庫本でも10ページ以下の場合が大半だ。それを読むのには5分とかからない(俺の場合)。だから、ネガティブな気分を取り払うにはちょうどいいのだ。

 俺の趣味なんて男性アイドルのファンをするか、読書くらいしかない。CDを聴くにしろDVDやBlu-rayを見るにしろ、ある程度の時間は要する。だから家にいたとしても、タイミングを考えなければならない。しかし本ならば、数分時間があれば少しでも読める。だからこそ毎日行える趣味が読書なのだ。
 特にこうして自分でも文章を書くようになると、毎日誰かが書いた文章に触れないと酸欠のような状態になる。汗を書いたら喉が渇くような理屈と思ってくれていい。生理現象というやつだ。
 読者のみなさんの中にも、そういう人は多いと思う。俺のような人に向けて贈りたい言葉がある。
読書の気分転換は、読書でできる
 少なくとも俺はそう考えている。もし俺が一人前の作家になったとしても、この気持ちは忘れたくない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?