(ライヴ体験記)09: saya×塩入俊哉 春 Live2023 「Memories」@東京倶楽部 目黒店 (Apr. 20 2023)
朗らかな陽気が注ぐ4月という季節に、saya・塩入の2人で奏でる宴のタイトルは「Memories」。直前に母を亡くしたsayaにとって、ここでいろいろなものを振り返らなければならなかったのだろう。一呼吸置くために。
結論から言うが、ここまで「感動」を感じることのないライヴは、私は初めてだった。
そこかしこに、母との思い出や出来事が溢れていた。今回のライヴは観客の方を向いて鳴らされたものではなく、すべて、母に捧げたライヴだったように思う。
思い出が溢れる
幕開けはオリジナル「夜と時の向こう」で静かに始まる。心を落ち着かせるかのような静寂を声にしたようなスケール感。
「シャーリヒ」は元々ノルウェーの曲。80年代半ばに米国ドラマの主題歌として英国でチャート上位に入り有名になり、フランス、イタリア、スペインやドイツでも翻訳され様々なシンガーが歌っている(いくつかバージョンがあり、sayaはノルウェーのシンガーSissel Kyrkjebøのバージョン寄り)。雄大な景色が目に浮かぶが、なぜだろう、色が見えない。
Sissel Kyrkjebø “Kjærlighet”
「Danny Boy」は、言うまでもない。ここで既に涙腺にくる。
「Notte Stellata」は、クラシック系でも比較的柔軟にポップスなどを歌うシンガーは取り上げる楽曲だが、sayaは元々はジャズ/ポップス系の畑。アプローチが違っていて興味深い。クラシック系の方は、楽曲を音量の上げ下げとテンポの変化で表現する。ポップス系の方は、楽曲を音の抑揚とフェイク、拍取りの変化で表現する。そして面白いことに、sayaはその両方を兼ね備えている。塩入でさえ根本は前者の人だが、その師匠の指導を経てsaya自身が徐々にオリジナルになっているように思う。
塩入のピアノソロが2曲。特に「別れのワルツ」はショパンのワルツ群の中で有名で、楽曲自体は表情豊か。別れ、という割に少し明るい気もするのだが、思い出を振り返りながら過ぎて行った時間を懐かしむ、ということなのだろう。
「Never Enough」は映画「The Greatest Showman」挿入歌。sayaの魂が震え出したと感じたのはこの曲からで、歌世界と彼女の状況が混ざり合い、歌われる「まだ足りないの、足りないのよ、私には」の裏にある「私に夢を見させてくれた あなたがもういないのなら」の声の強さ、大きさ、広さ。さらに涙腺が危なくなる。
そして「Tennessee Waltz」。イントロを聴いた時点で覚悟した。
曲自体は、友から彼氏を奪い、そして失う悲しい話だ。しかしその美しいメロディとオリジナル・Patti Pageの滑らかで気怠く、優しげで一本筋のある独特の声質に促されて、そんな思い出があるはずもないのに、誰もがなぜかノスタルジーを感じてしまう曲だ。
Patti Page "Tennessee Waltz"
感情が入り過ぎてもダメ、入らな過ぎてもダメ。とても難しいこの曲を、sayaはとても丁寧に、感情線のギリギリのラインで歌っていく。あまりにも沁みる。
聴きながら、私は亡き父を思い出していた。すると目の前に次々と、父との思い出が横切り始めた。キャッチボール、竹とんぼ、ドライヴ、ケンカ、メール、たった一度見せた父の涙、たった一度のサシ呑みで見せた父の笑顔…涙が溢れた、何度も。嗚咽すら出そうになった。
祈りを込める
後半「Spain」はsaya・塩入双方のテクニックを存分に味わえる難曲。少しでもズレればリズムは崩壊するし、歌詞がつかえれば挽回は困難。情熱的だが、どこか寂しさも感じる、蒸せる空気が漂う。熱い。
「Padam」もsayaは時々歌うが、シャンソンの世界観は彼女に似合っていると思う。ブルースや演歌にも通じるものがあって、ただ嘆く・ただ笑う・ただ叫ぶだけではない魂の震えを表現するには、Padamという心臓の音は曲が進むにつれて意味を変えていく。そういった表現はsayaの得意とするところだろう。
「A Time For Us」は、塩入の馴染み深いサラ・オレインもカバーしている、1968年の映画「Romeo & Juliet」挿入歌。Henry Manciniが作った楽曲群の中でも、映像を補完するどころか音ありきの映像を思い浮かべてしまうほどの「物語る旋律」。多分、普段のsayaならもっと軽く歌えるはずが、溢れそうな思いに必死で蓋をしながら強めに歌っている(ように見える)姿が印象的。
再び塩入のソロ。「あの頃のままで」のなんと優しいことか。今にも消えてしまいそうなか細い音の出だしと、展開していく中で強弱が波打つ音像、塩入の祈りの言葉が音となって広がっては消えていくーいつも以上に感情的に思えたのは気のせいだろうか。
「約束」「アヴェ・マリア」で祈りを捧げ、saya自身少しだけ、肩の荷が下りたのではないだろうか。ホッとした表情、でも通常のそれとは違い、寂しさと奮い立つ気持ちが混じったような、なんとも言えない表情は、しばらく忘れられないだろう。
アンコールは「Amazing Grace」。ここから始まったとするシンガー・sayaの道程は、紆余曲折ありながらもここまで広がってきたことを考えると、これはなにもsaya個人に限った話ではなく、誰しも持ち得る物語なのだなぁと思ったりもする。
それでも明日はやってくる
このライヴ、感動的だった!と締めればいいのだが、私には悲しくも祈りを込めたライヴであって、ライヴ全体がレクイエムだったと思っている。
sayaは気丈に振る舞っているように見えたし実際元気なのかもしれないが、身近な者の喪失は、その実感は遅れてやってくるもの。そしてそれを感じまいとして、仕事や用事を無闇に詰め込んで考える暇を自分に与えないようにする気持ちも、自分も経験があるので、想像に難くない。
しかし、大切な人・かけがえのない人が居なくなったのだ、悲しくなることも、焦ることも、憤ることも、そんなの当たり前なのだ。そんなに簡単に、その喪失が埋まるわけがない。だから、そんな日々を甘受し噛み締めて、自分の人生に昇華させていけばいい。
sayaのお母様は、このライヴを観てどう思っただろう?母好みの選曲だと娘が言っていたが、きっと喜んでいることだろう、ライヴ会場の後ろの方で。
sayaさん、塩入さん、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
(紹介する全ての音楽およびその画像・動画の著作権・肖像権等は、各権利所有者に帰属いたします。本note掲載内容はあくまで個人の楽しむ範囲のものであって、それらの権利を侵害することを意図していません)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?