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(どこにいったかわからない)YOUTH

「小西じゃね?」

西武線新宿駅近くのライブハウスで働き始めて半年も経った夏の日。開店前のフロア掃除をしていると、リハーサルを終えたバンドのボーカルが、あたしに声をかけてきた。少し話すと、音楽専門学校の同期だった男だとわかった。

久しぶり、よくわかったね、と返すと「小西の曲、結構好きだったからさ」「色々あったのかもしれないけど、なんか元気そうで良かったよ」「音楽の現場で再会できるって嬉しいよな」などと勝手に言うだけ言って、タバコを吸いに外へ出ていってしまった。

掃除用のモップを両手に抱えたまま、あたしは呆然としていた。しばらく経ってからジワジワと怒りが湧き上がってきた。

あいつに何がわかるんだ。あたしの何がわかるんだ。

後で店長に久しぶりなのに不躾なやつですよ、と愚痴ると「小西もそんなふうに思ったりするんだな」と笑っていた。

まったく冗談じゃない。あたしは真剣に怒っていたけれど、実のところ、何に怒っているのか自分でもよくわからなかった。

◆◆◆

初めて渋谷を訪れた時のことを、今でもはっきりと覚えている。

高校の修学旅行。YouTubeで見つけたバンドのライブを観たくて、自由時間に友達を置いて一人、私服に着替えて渋谷に繰り出し、小さなライブハウスに潜り込んだ。

イヤホンで聴くのとはまったく違う、体の芯まで音楽がしみてくる夢のような時間だった。あたしは心底その音楽に惚れ込んで、感動していた。イベントが終わり、帰ろうとライブハウスの扉を開けて息を呑んだ。

全てが輝いていた。

ブランド服で全身を固めて歩く親子、路上で缶ビールを積み上げるバンドマン、ラブホから出てきたカップル、カメラを持ったまま歩く観光客、道端で酔い騒ぐ大学生。

その誰もが、渋谷を彩るオーナメントのように笑顔を輝かせていた。10年分のクリスマスが一度に来たような道玄坂は、終わることなく本当にどこまでも続いていた。

その時なぜか、本当になぜか、あたしは強く思い始めていた。音楽で生きていきたいと。

◆◆◆

結局あたしが音楽家になれなかった全ての原因は、自分には伝えたいメッセージがないことだった。

「東京で音楽で生きていきたい」と勢いよくシンガーを志しただけで、何を歌えばいいのか、皆目見当がついていなかった。同級生たちの見様見真似で、色々な歌詞を書き連ねてもみたし、恋愛経験や地元への気持ちなんかも歌ってみたりした。

でも、駄目だった。あたしは何処にも行けなかったし、誰にもなれなかった。そこには、音楽の”芯”みたいな切実さがまるで欠けていた。

やった分だけ技術は伸びたから、練習や課題には打ち込んだ。いつまで経っても自分の中に”芯”は見つけられなかったけれど、”曲らしいもの”が作れるようにはなっていった。そこには、なんの感動も生まれなかったけど。

授業で習う基本的な音楽理論や演奏技術を身につけたところで、何を歌ってみても、ロジカルな音楽になるだけだった。

そんな気持ちに反して、入学から半年も経つと周りに認められ、褒められるようになった。そうして自分への評価を耳にするたび、言いようのない不安に、ジワジワと心が追い詰められていくのがわかった。

皆があたしの何を見て褒めているのかわからない。あたしの歌なんかより、あなたたちの歌のほうが断然キラキラしてるのに。

比べてみると、自分の音楽は無味乾燥としか思えず、そう思うほど学校に向かう足取りも段々と重くなった。

それでも、音楽を選んだ自分自身と、遠くから応援してくれている両親を裏切れなかった。そうして自分を騙し、褒められそうな歌ばかりを強迫的に作り始めた。先生や友人たちに感想を聞いては直し、とにかく優秀な学生を演じようとした。

そして2年生の学期末。学内作曲コンクールで最優秀賞として自分の名前が貼り出された時、とうとう人目も憚らず、掲示板の前で泣き崩れた。

心も身体も、もう無理だと叫んでいた。周りの音は聞こえず、涙は一向に止まってくれなかった。

理解してくれる人が誰一人いないのだと証明されたこと、空虚なシンガー像が自分の手を離れて膨らみ過ぎたこと。

その”あたしではないあたし”の存在の全てに堪えられなくなり、賞金を返上して退学した。

◆◆◆

気がつくとあたしは、ライブ終演後の打ち上げで、彼に思いをぶちまけていた。

あの頃、本当は皆のように、伝えたいメッセージが欲しかったこと。自分の虚像に苦しめられていたこと。それをいま再び評価されることの不愉快さを。

堰を切ったようにまくし立てたので、周りは静まり返ってしまった。当の本人はというと、全て聞いた後にキョトンとした顔で「なんだ、それを歌にすればいいじゃねえか」とつぶやいた。

今度は、彼めがけて持っていたビールをぶちまけたところで、ようやく我に返った。店長が激怒してあたしを押しのけ、彼に平謝りしていた。身を固くして床を見つめるしかできなかったが、彼は怒る素振りもなく、あたしのほうをじっと見ているようだった。

◆◆◆

ここだけの話、彼とはもっとうまくやっていけた。

「今度の新曲は一番ヤベーんだ」と、嬉々としてデモテープをかける屈託のないあの顔も、あたしの辛辣な感想を聞いてキョトンとする顔も、酔っ払った時だけに見せる「やっぱ、小西は音楽やるべきなのにな」とこぼす寂しそうな顔も、本当は全部愛おしかった。

それでも、あたしは彼と別れなければいけなかった。たとえ、彼があたしをいつまでも下の名前で呼べない、というただそれだけの理由であっても。

些細な理由かもしれないけれど、やっぱりあたしにとってはとても大切なことだった。泣きじゃくるタクシーの車内で、あたしは曇ったガラスに何度も自分の名前を書いては消した。あたしは、ここにいたのに。

◆◆◆

あたしはライブハウスで相変わらず働き続けていた。

ある日、開店業務中に新しいフライヤーを並べていると、あの修学旅行の日に観たバンドの名前が目に入った。久々に彼らのホームグラウンドで、単独ライブが開催決定したという告知だった。もちろん、あたしの人生が変わった道玄坂のあの店だった。

あの日ほぼ無名だったバンドは、1年がかりの全国ツアーを終えたところらしかった。とてもじゃないけれど、現在の集客数には見合わない小さな箱ではあった。それでも、彼らにとって大切な場所だからと敢行する凱旋ライブだった。

当然チケットは即完売だったけれど、あらゆるコネを使って、音響ブースに潜らせてもらうことにした。もう一度、あの時の夢が見たい。

バンドはあれから幾つもヒット曲を飛ばし、当時の曲はもう1曲も演奏しなくなっていた。相変わらずお客さんには大学生や若い世代の子が多かった。あたしもあそこにいたんだな、と遠巻きに感慨にふけっていると、今までない感情があたしの中に湧き起こった。

”あたしが好きだった音楽は、もう、ここにない。だったら、あたしが歌えばいいんじゃないの?”

ああ、そうか、あたしは今、あたしの好きなように歌いたいんだ。

「いまさら何を。一度諦めた音楽だろう?」そんなこと頭ではわかっているけれど、気づいたときにはもう、止めようのない衝動があたしの中を暴れまわっていた。

楽器屋は近くにあったかな。今からギターを買いに行こう。一体どんな音がするんだろう。一体どんな言葉を歌いたいんだろう。それを誰に聴いてほしいんだろう。

ライブ中なのも構わず飛び出す。あのバンドの音はもう聞こえない。それでも、ああ、あたしが駆け下りる道玄坂は、今日も変わらずキラキラと輝いて、あたしの心を震わせる。

早く帰って歌を書きたい。なるべくこの街のような歌がいい。まずはそれからだ。

(編集・中道薫

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