【アーカイヴ】第176回/4人の好きな作曲家 [鈴木裕]
以前に番組にゲスト出演していただいたエディター/ライターの原典子さんやディレクターの清水葉子さんと盛り上がった話題が、好きな作曲家4人を晒す、というものだった。自分はバッハ、ブラームス、マーラー、ラヴェルを挙げた。そのことについて清水さんはご自身のコラムで書いていて、実は鈴木裕と4人全員が重複している。たしかに人気の高い作曲家たちでカブっても不思議はないのだが、好きな理由が違う部分もあって今回はそのことを書いてみたい。
まずバッハ。高校生の時から聴いているリヒテルの「平均律」の一巻や、シェリングとカザルスのそれぞれの無伴奏、カラヤン/ベルリン・フィルの「マタイ受難曲」、グールドの「パルティータ」等々は自分の音楽趣味の根幹に食い込んでいる。
作品とともに好きなのはその生き方だ。教科書で良く見る肖像画は61歳の時のもので恰幅良く重鎮感漂うが、よりよい条件を求めてなのか、仕事場で問題を起こしたという理由によるものなのか、数年おきに教会や宮廷などを移っているのはたしかだ。トラブルメーカーという言い方をしている人もいるが、自分に正直な人なのは間違いないだろう。
バッハが20歳の時に4週間の休暇を取り、400kmの道のりを歩いてディートリヒ・ブクステフーデの演奏を聴きに行った話は特に好きだ。ピアニストのフランチェスコ・トリスターノのアルバム『ロング・ウォーク』はそこから生まれたものだが、ブクステフーデへのオマージュとバッハへのさらなるオマージュが重なっている。お金がなくて歩くしかなかったのかもしれないが、歩いてでも聴きに行きたかったバッハ。しかも予定の4週間では帰らず、結局、オルガン奏者として働いていた教会を3カ月不在にして後で問題視されることになる。自由だ。その自由さがまぶしい。
またこのエピソードは、音楽を聴くためにはそこに聴きに行かなければならない大切さをあらためて思い出させる。実は今でも音楽は録音していいものなのか疑問に思うときがある。オーディオってほんとうは無粋な存在なのかもしれない。
サガンに訊かれずともブラームスはお好きである。ちなみにあの小説は中年の男女の地味な恋愛を描いていて意外と嫌いじゃない。ブラームスの曲は元ヴァイオリン弾きとしては、特にシンフォニーの4曲は弾いていて高揚する音楽だし、ヴァイオリン・ソナタの3曲は弾く人の心を映す鏡のような曲に感じている。多くのジャンルで名曲を残していることについては僕が言うまでもない。と、同時にグールドの『間奏曲集』が好きなのだ。自分の葬式の時はマーラーの2番とか10番とかとも思ったりするのだが長いしうるさいので『間奏曲集』にしておこう。
曲も魅力的だが、素晴らしい傑作を残し始めた後も権威になることを嫌った人柄とか、匿名で多くの若い音楽家を支援したといった考え方も好きだ。威張ることなく音楽に向き合い続けた人なのだ。作風の古典的なのとは対照的に意外と柔軟な考え方の人のようにも思う。オーディオ的な話題としては、はじめて蓄音機に録音を残した演奏者がブラームスだった。1889年12月2日のことだ。エジソンの代理人から頼まれたそうだが、これも柔軟な考え方があったからこそピアノを弾いてくれたのだろう。
マーラーが好きということについてはなかなか言葉にならないが、特別に好きなのが、1番、2番、6番、《大地のうた》、9番、10番(補筆した5楽章版)と書くとけっこうな中毒患者であることがわかってもらえるかもしれない。マーラーのシンフォニーをちゃんと鳴らすためにオーディオをやっているところもあって、大音量がどうとか、グランカッサが鳴り切らないとダメとか、20Hz まで再生したいとか、宇宙が震撼するようなとか、いろいろほざいているのはひとえにマーラーのせいである。
フランツ・カフカとの共通項もある。「私は三重の意味で故郷がない人間だ。オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人」(船山隆 『グスタフ・マーラー カラー版 作曲家の生涯』より)というアイデンティティのマーラー。マーラーより23年後の1883年に、ユダヤ人の両親の元、オーストリア=ハンガリー帝国領プラハに生まれたカフカは、父のチェコ語と母のドイツ語の間で、自分では半分ドイツ人で半分チェコ人と言いつつ、後半、ユダヤ人であることに目覚めていく。というような出自から来る作品の魅力もあるのだが、二人とも女性との関係に悩み、深く傷つきという面が作品に反映されてもいる。ある意味カフカの書簡集『ミレナへの手紙』と小説『城』を合わせたような存在がマーラーの10番のようにも感じているのだけど。
ラヴェルを嫌いな人がいるのだろうか。ピアノ曲も素晴らしいがオーケストレーションの魔術師であることを否定する人はいないだろう。音の色彩感や高い分解能を要求する曲が多く、オーディオが良くなるごとにラヴェルの音楽も色鮮やかにその姿を現してくれる。ボレロもダフニスも道化師もト長調も好きだが、個人的に偏愛しているのは「ラ・ヴァルス」であり「左手のためのピアノ協奏曲」だ。
第一次世界大戦は、ラヴェルにとっては29歳の年に始まった。パイロットとして志願するも年齢と虚弱体質から希望は叶わず、1915年3月からトラック輸送兵として兵役をこなしている。17年1月には母が死去。この戦争によってフランスも大きく傷むがラヴェル自身も人生をねじ曲げられていく。創作意欲は衰え、やっと復活してきて書いたのが1920年の『ラ・ヴァルス』。この曲、古き良きワルツの棲息する天上界の文化を、邪悪なるもの(=戦争、軍隊という力の文化)が破壊していく、というように自分は聴いているがそれはラヴェル自身の心のありようを反映したのではないか。
『左手~』が生まれたのは1930年で、作曲家としては最晩年の一曲。第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタイン(あの哲学者のヴィトゲンシュタインの兄)のために書かれている。鬱屈した曲で、終結部は盛り上がりながらも重たい終わり方をする。そこには1927年頃から始まったラヴェル自身の心の病気、記憶障害や頭の中の言葉を外に出せない症状の感覚も反映しているように感じる。高揚と陰鬱、甘美と虚無が同居しているようなアンビヴァレントさのある音楽なのだ。実は『ト長調』のピアノ協奏曲も同時期に書かれていて、そのことが『左手~』のアンビヴァレントさの純度を上げているようにも感じる。
好きな作曲家4人。
4人目を選ぶのが難しいとか、4人目は気分で選ぶという話もあるが、こうやって考えてくるとそれは挙げた4人の中ではバッハになってしまう。バッハは宇宙の摂理のようにそこにここに存在していて、僕が今さら愛さなくても良さそうな気になるからだ。その時4人目に入るのは……。いろいろ挙げだすと10人を軽く超えつつ現在に近づき、さいごはジョン・アダムスやヨハン・ヨハンソン、椎名林檎まで出てきそうなので開陳するのはやめておこう。
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1960年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。オーディオ評論家、ライター、ラジオディレクター。ラジオのディレクターとして2000組以上のミュージシャンゲストを迎え、レコーディングディレクターの経験も持つ。2010年7月リットーミュージックより『iPodではじめる快感オーディオ術 CDを超えた再生クォリティを楽しもう』上梓。(連載誌)月刊『レコード芸術』、月刊『ステレオ』音楽之友社、季刊『オーディオ・アクセサリー』、季刊『ネット・オーディオ』音元出版、他。文教大学情報学部広報学科「番組制作Ⅱ」非常勤講師(2011年度前期)。『オートサウンドウェブ』グランプリ選考委員。音元出版銘機賞選考委員、音楽之友社『ステレオ』ベストバイコンポ選考委員、ヨーロピアンサウンド・カーオーディオコンテスト審査員。(2014年5月現在)。
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