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【アーカイヴ】第235回/ヴィンテージ・ハンダのニオイを嗅ぎだした9月[田中伊佐資]

 オーディオにちゃんと向き合い始めた30年くらい前は、僕にとってアクセサリーなんぞは二の次三の次、いやどうでもいい存在だった。それによって音が変わるかもしれないが、総じて見かけのわりに値段は安くないし、大した影響力はないと甘くみていた。
 たとえば「アンプの脚がゴム製で、ゴム臭い音がしたので金属製のナントカに変えたら激変した」などとマニア氏から言われても「この人は大丈夫か」と本気で思った。
 ゴムっぽいイカは回転寿司で食べたことがあるけど、ゴム臭い音とはなんなのだ。音を出すのはスピーカーであり、どうしてゴム脚の音がわかるのだ。
 この手の理解できなかったことはいくらもある。
「スパイク型インシュレーターを受ける金属の皿が鳴く」とか「プラグに施したメッキの音がのる」とか。
 いまはそういう得体の知れないことを誰かから言われても、幸か不幸か「ふむ、ふむ」と相槌を打てるようになってしまったが、なにもオーディオに関知していない人が聞いたら、僕がかつて感じたように相当うさん臭い目で見るにちがいない。

ヴィンテージ・ハンダの聴き比べ装置。山中湖の「円空Audio」にて


 おそろしいことに、ある程度オーディオに打ち込んでいても、さらにその先に「そんなまさか」がある。
 ステレオ誌10月号の「ヴィニジャン」でも書いたが、山中湖にある「円空Audio」でヴィンテージ・ハンダの聴き比べをさせてもらった。
 その方法はピンケーブルとピンケーブルの間にボックスを挟み、ボックス内の+側の導線をいったん切断して、ハンダで接合させるというものだ。
 システム全体のうち、何個あるのか知らないが無数に接点がある。そのたった1か所をハンダで接合するとどれほど音が変わるのか。それを言い出すことはかつて経験した「この人は大丈夫か」に値する。むしろ僕は大して差が出ないことによる取材の不成立をおそれていた。

 ハンダはKester44、Nassau、New York Solderなど1930~60年くらいに生産された5種類。理解しがたいが、それぞれの特徴が音に出てしまった。

 だいたいハンダなんて、製造上しかたなく使う接着剤みたいなもので、導体同士は圧着で繋げられればそれに越したことがない。必要悪だと確信していた。

 ところが、たまげたことにデメリットどころかメリット方向に作用している。そのままの導線を使うよりも、一度切ってハンダで繋げたほうが、それぞれある種の深みが出る。
 ステレオ誌の吉野編集長によると、ヴィンテージ・ハンダを雑誌で取り上げると、往々にしてどこかのマニアから電話がかかってきて「雑誌で触れるのはやめてください」とうっすらとした苦情が来るらしい。入手が難しくなるので、あまり広めて欲しくないことがその裏にある。

数々のヴィンテージ・ハンダ

 円空Audio代表の山田勳生さんは「ヴィンテージの導線を複雑に組み合わせた自社ケーブルはハンダの個性とぶつかることがあるので使うのは最少限にとどめている」と言っていた。
 吉野さんは、自宅の電源ケーブルは家電品で採用されている数百円のモールド型で、1か所だけヴィンテージ・ハンダでプラグを使っているという。電気釜やドライヤーで使われる味も素っ気もない電源コードに、濃い味を一発付け加えているのがいいらしい。
 まさに知る人ぞ知るヴィンテージ・ハンダである。

 ところで僕が使っているRCA製プレーヤー70Aは主電源スイッチがあり、その従属下にターンテーブルのスイッチが付いている。二重にスイッチが付いている理由は、昔はフォノイコライザーを内蔵していて、主電源スイッチで2つ同時にオンオフをしていたためだ。
 現在フォノイコは付いていないので接点を減らす意味で、どちらかのスイッチを外そうとずっと算段していたのだが、いや待てよとなった。

 スイッチ自体はもちろん、そこに使われている何か所ものハンダは、良くも悪くも音に関与しているのは間違いない。もしこれらを外して音が悪くなったら(ハイファイの要素が強くなったら)簡単には元に戻せないだろう。
 そう考えると、とりあえずこれはそのままにしておいたほうがいい。触らぬ神に祟りなしと判断した。

 しかし一方でケーブルのどこかでちょん切ってハンダの音を加えたい気持ちも抑えがたい。
 そんな矢先、円空Audioから「音場が広くアタック感や実体感もある最強のハンダが見つかりました」とメールがあった。ものは1958年西ドイツのテレフンケン製。
 真空管マニアにブハッと火がつくかもしれないので、あわてて入手したが、ここでまた一考することになる。

RCA製プレーヤー70Aにある主電源スイッチ(右)とプレーヤー・スイッチ

 ヨーロッパ製のシステムでクラシックを聴いている人は、抜群にいいはずだ。だが僕は入口から出口までアメリカ製で固めているモノラル・システムでブラックミュージックを聴いている。強烈なゲルマン魂を注入したら、ちぐはぐにならないか。泥臭かったマディ・ウォータースが急に律儀になったりすると困るではないか。
 そんなことで、ハンダというオーディオの叢林に入ろうとしつつも逡巡する毎日が続いている。別にスピーカーを替えるとか大きな話ではなく、たかがハンダだから自分でもあきれてしまう。
 そのうち、どこそこのハンダ臭い音がするとか言いだしたら「おまえは大丈夫か」と人から思われるのだろう。おそらく大丈夫ではないと思う。
(2019年10月21日更新)第234回に戻る 第236回に進む 


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田中伊佐資(たなかいさし)

東京都生まれ。音楽雑誌の編集者を経てフリーライターに。現在「ステレオ」「オーディオアクセサリー」「analog」「ジャズ批評」などに連載を執筆中。近著は「ジャズと喫茶とオーディオ」(音楽之友社)。ほか『音の見える部屋 オーディオと在る人』(同)、『オーディオそしてレコード ずるずるベッタリ、その物欲記』(同)、『僕が選んだ「いい音ジャズ」201枚』(DU BOOKS)、『オーディオ風土記』(同)、監修作に『新宿ピットインの50年』(河出書房新社)などがある。
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