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music&words
2023年11月25日 23:41
ドイツのオルガン音楽を語る上で絶対に外せないのが、ゲオルク・ベーム(1661-1733)です。ベームはリューネブルクの聖ヨハネ教会のオルガニストでした(1697-)。一時期ハンブルクに勤めていた時、ラインケンに学んだ可能性もあります。バッハとラインケンとのエピソードはこちらからバッハがラインケンの作品を写した楽譜から、1700年15歳の時に写譜したことや、ゲオルク・ベームの監督下で筆写
2024年1月31日 00:06
ハレの中心にある聖マリア教会(聖母教会)でオルガニストを務めていたフリードリヒ・ツァハウが他界したため、バッハはオルガニストの職に応募しました。ワイマールのオルガンは小ぶりだったため、自らも改造計画に関わった三段鍵盤と65のストップを擁する大オルガンは魅力的だったのでしょう。しかし、契約の段階で、基本給が現在よりも低かったため、就任を辞退します。これを知った公爵は優秀なオルガニストを失うの
2024年3月20日 15:26
突然の不幸1720年6月、バッハはレオポルト公のお供でカールスバートへ旅行に行き、1か月ほど家を空けました。7月に戻ってくると、旅行前にはとても元気だった妻マリア・バルバラが亡くなり、すでに10日前に埋葬も済んでいるという悲痛な出来事が待っていました。残された子供は4人。年長のカタリーナ・ドロテアは12歳、年少のゴットフリート・ベルンハルトは5歳でした。バッハは幼い頃からたくさんの死を経験し