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バッハ エピソード27 妻マリア・バルバラの死
突然の不幸
1720年6月、バッハはレオポルト公のお供でカールスバートへ旅行に行き、1か月ほど家を空けました。7月に戻ってくると、旅行前にはとても元気だった妻マリア・バルバラが亡くなり、すでに10日前に埋葬も済んでいるという悲痛な出来事が待っていました。残された子供は4人。年長のカタリーナ・ドロテアは12歳、年少のゴットフリート・ベルンハルトは5歳でした。
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バッハは幼い頃からたくさんの死を経験してきました。それでも最愛の妻を失った悲しみは大きく、自分の歩むべき道は、教会音楽によって自分の信仰を表現することではないかと考えるようになります。
ハンブルク 聖ヤコビ教会の就職試験
ちょうどその頃、ハンブルクの聖ヤコビ教会のオルガニストのポストが空き、その就職試験に行きます。
バッハは市の有力者たちの前で2時間余りの演奏を行い、審査員たちを驚嘆させました。そこには97歳のラインケンも姿をみせ、自分の得意とするコラール《バビロンの流れのほとりで》を即興演奏したバッハに感心し、「私はこの技法がとうの昔に死に絶えたと思っていましたが、それがあなたの中で生き続けているのを今知りました」と褒め称えました。当局者の多くは、バッハを後任に考えましたが、バッハはその申し出を断ってしまいます。なぜならオルガニストの地位を獲得するためには、教会への多額の寄付をしなければならなかったからです。バッハにはそのようなお金はありませんでした。
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バッハがティーンエイジャーの時に、夢中になったラインケン詣のエピソードはこちらから
こうしてバッハの転職は実現しませんでした。
そのおかげでといえばそうなのですが、1年後に素晴らしい伴侶を得ることができました。
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さて、突然ですが、アンクルバッハからクイズです
バッハがレオポルト公のお供で出かけたカールスバードへの旅行の目的は何でしょう?
1. 湯治
2. 狩猟
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答えは、1の「湯治」です。
カールスバードはドイツとの国境近くにあるチェコ最大の温泉保養地です。
交通網が整備されると世界中から観光客が訪れるようになります。
モーツァルト、ショパン、ベートーヴェン、ゲーテやフロイトなど著名人たちにも愛されました。
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