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「消えたベラルーシ人奏者」

~このベラルーシ人の青年は、ゲントの王立音楽院で同門でもあったが、ある日忽然と姿を消した~

自著「有暮れのアリア~歴史を受け止め、今奏でる~」(たる出版)の校正作業に入っていた
2020年8月、
ベラルーシの大統領選後の大規模デモが起こり、
「あ、ベラルーシ」
とTVから流れて来るベラルーシの様子を眺めた

2021年、東京オリンピックが終わり、パラリンピックが終わった。
オリンピック期間に何人かのベラルーシ人が亡命した。
この日本を介して。

先日、
「欧州生活12年、FMラジオパーソナリティーも務める音楽家が語るグローバル人材とは」という講座の依頼で私の経験を通しての「音楽家が語るグローバル人材」についてお話してきた。
受講者はこれから"国際人"を目指す人たち、また、大使館に取材に行こう、というプロジェクトの一環もあるようで、それを踏まえての講座だった。

自身の経験より、
ベルギーで一緒に演奏して、同門だったベラルーシ人が突然消えた話からは
今年日本で開催された東京オリンピックで「日本を介して」亡命した選手の話をし、

ベルギー以前に暮らした北欧の「ベーシックインカム」の話は昨年のコロナ禍で日本でも
議論になったこと、として話した。

私がヨーロッパで音楽の勉強をしながら諸外国の人たちと過ごした生活は、
それ以降もずっと、彼らの安寧を身近に自然に案じるという日々を習慣づけることとなった。

それは、たとえ実際に外国に住んだり、この場合はベラルーシの人たちと接したことがなかったとしても、
この日の講座に参加したり、私の本を読んで「ベラルーシ」という国名、
それにまつわるフレーズを思い出すという事でも、
それはもうすでに「ベラルーシを感じる」という事だと思う。

何かのおりに忘れないでいる、というのは基本的な思いやりだ。人に対しても国に対しても。

そして
「諸外国で起こっている事を他人事と考えず自分事と考えられる人」
それがいくつもの国に住んだ私の思う「グローバル人材」だ。

オリンピックという大舞台に向けて真剣に練習を積んで日本にやってきた選手達。
フルート1本抱えて今にも壊れそうな車でベラルーシからベルギーにやってきた演奏家。

~生きるの死ぬのの問題なのだ。
そして彼らはきっと永住権の取れる国の許可をずっと待っていた。
自分の”運とタイミング”に賭けて~

「有暮れのアリア~歴史を受け止め、今奏でる~」より







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