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無意識に動けるようになること

 ピアノは指を細かく繊細に動かす。10本の指で同時に違う動きをするなんて、よく考えたらすごいことだ。しかも異なる圧力をかけて強弱をつけ、一貫したテンポにリズムを当てはめる。これを意識し過ぎると、逆に上手くいかなくなってしまう。歩き方を尋ねられたムカデが、どうやって足を動かしていたのだろうと考えた瞬間歩けなくなった、という童話があるけれど、あれと同じだ。ではピアノを弾くとき、頭ではどれだけの情報処理が行われているのだろう。

 ピアノを弾く時の脳を観察した、科学的実験がいくつか存在する。それによると、経験の長い上級者ほど、脳のより少ない領域を節約モードでしか使っていないという。初級者の方がずっと、大量の脳領域を使って、脳を頑張って働かせていたのだ。つまり、経験者ほど疲れず楽に弾いている、ということになる。

 これは納得できる。楽器に限らず、新しい技術を習得し始めたばかりの時は、とんでもなく頭を使う。まだ動きが無意識化されていないからだ。

 例えばダンスの場合。ステップを覚える初心者は、動きを覚えるのに必死で、こうも自分の身体をコントロールできないのかと愕然とする。右と左の区別さえ、あやふやになってしまうほどだ。何も考えずともリズムに乗って身体が動くようになるには、無意識にできるようにする必要がある。「右足がこっちの時は腕はこっちで〜」という状態から、自動的にそれぞれの部分が連動するレベルに達するには、ある程度の繰り返しが欠かせない。

 例えば外国語の発音の場合。まだ舌に馴染まない音を発音する時、その度に口のあっちこっちを意識して、上手くその音に適した口の形を作らないといけない。慣れるまではそれだけで精一杯で、喋るだけで疲れてしまう。でも繰り返すうち、無意識に適切な音の調整ができるようになる。舌がその音を作るための形を習得するのだ。

 例えば球技の場合。静止した場所にボールを飛ばすことさえ難しいのに、お互い動きながら、しかも360度に散らばるチームメイトの誰に、パスを出せば良いものやら。さらに同じく360度方向に、攻撃を阻止する相手チームが散らばり、それぞれがまたばらばらな動きをしている。型を重視するスポーツに比べ、即興性が高い球技も、認知面を含め、ある程度無意識の動きに頼っていると思う。なぜなら、もし全ての動きを、常に意識下で分析、判断、実行していたら、とても何十分も集中力がもたないと思うからである。

 無意識レベルまで習得された動きは、脳の無駄な働きを省いて、ずっと楽に作業ができるようにしてくれる。難しい技術に限らず、歩行だって、食べ物の咀嚼だって、箸の使い方だって、スマホの指さばきだって、同じだ。

 楽器もピアノも同様。最初は時間をかけて、手続きを踏まないと出来なかったような動きが、楽譜を見た途端、再現出来るようになる。個人差はあるけれど、運転みたいなものだ。なぜなら、ある程度複雑な動作を無意識に出来るようになる機能は、元々人間に備わっているからだ。

 

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