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この夏、路上で占いをした話。

予定のない日が好きだ。部屋のメンテをしたり、冷蔵庫の整理をしたり、気が向いたら料理をしたり。気が向いたらちょっと絵を描いたり。ちょっと漫画読んだり。近所のお店を覗いてみたり。でも、最近は自分の部屋で過ごしたい欲求が強い。一番静かで、一番落ち着く。

ちょっとお菓子を買って、カフェオレを飲もうか。あるいはこの前買った栗きんとんと焙じ茶。秋になると栗きんとんを食べたくなる。あの、栗を食べやすくして固めてくれたような親切設計なお菓子が好きだ。美味しい。

文章を書きたい書きたいと思いながら、何を書こうか迷ってしまう。とはいえ、他に興味を逸らしても仕方がないので書き始める。そんな時、noteが気楽でありがたい。今日もとりとめなく書き始めるんだけれど、最近地味に続けていることを書こうかと思う。


最近「なんでもない自分で人と接したい」と思い、路上で占いをしてみた。占ってもらう側ではなく、占う側として。

住んでる街の繁華街に、机代わりの箱と椅子を置いて、看板を置いたら準備完了。気楽だ。あとは声をかけてくれた人が、気が向いたら受けてくれる。気楽だ。


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広告とか宣伝とか集客とか、ターゲットとか差別化とか、そういうの全部ぶっ飛ばして何かの交流が始まる。看板を作り、値段をつけたらもうそれで商売が始まるというダイレクトさがおもしろい。ターゲット層にアプローチして、とか自分が何か主張して…とかそういうことが、まるっきり意味がないとは言わないが、もしかしたらなんだか違ったのかもしれないなと思う。お客さんが何を求めているのかは予測がつかないし、どんな人が何を欲してるのかはわからない。普段の生活では触れ合わない人とも接する。「客層」とか幻想だったんじゃないかとすら思う。20代から60代くらいまで、さまざまな人が来るし、相談内容もさまざま。


路上のこういうのって、全然見向きもされないのかなと思いきや、日によっては順番待ちが出来たりして、めちゃくちゃ盛り上がる日もあって。何だか不思議なことになりつつある。

占いと言いつつ、実際のところ「問いかける」ということをしているのだと思う。問いを放つ。知りたいことを明確にしていきながら、カードを引く、数字を見る。それが何になるのかは人によって違うだろうけど、少しの励ましになったり、勇気になったり、緊張の糸が解れたり、変化のキッカケになったりするのだろうか。そうだったらいいなと思う。何かのギフトになれていたらいいなと思う。もうしばらく路上で続けていくのかも知れないし、ちょっと形態を変えるかも知れない。その辺はまだはっきりしてない。


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先日、占いを受けてくれた子が、別の日に差し入れとしてデザートをくれた。こういう子にはこれから5億倍幸せになって欲しいなと思う。

男性グループの中の一人が「おもしろかったからお前らの分も俺が出す!」と言って、友達の分と、脇で見ていた見知らぬ女性の分まで支払ってくれたり。その心意気が素晴らしいなと思ったし、きっと彼は今後とても豊かになるだろうなと思う。


こういう交流が何だか不思議で、ありがたくて、おもしろくて、地味に続けてる。何かの場所になってる感じがして好きなのかも知れない。


●占いやってます


















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