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家族が発狂した話。

今の部屋に引っ越すきっかけをくれたのも彼女だった。当時私は長年住んでいたアパートを一度引き払い、実家に戻っていたのだけど、どうにも家族との折り合いがつかなかった。「あなたのその家族は家族でもなんでもないよ」と教えてもらってからもなかなかそれを受け入れられずにいた。


そんな折に、前にも何度か書いている母親との衝突があった。

恐らく私の母親はヒューマンなんだけど、ヒューマンがヒューマノイドを叩き潰したいと思う時の言動って誰も彼もほぼ同じだなと思う。なんの前触れもなく「お前は間違ってる。私の方が上だ。私のが優れている。劣っているお前なんか生きていけるはずもない」そういう剥き出しの敵意と支配欲をぶつけてくる。

その頃は友人である彼女とのチャネリング通話や、神降ろし通話がほぼ毎日何時間にも及んでいた時期だったのだけど、家で夢中になってノートを書きまくってる娘が怪しく見えたのだろう。母親は私のノートを盗み見て、理解できなくて発狂した(と私は認識している)。

私に向かって「宗教をやってるのか!!」と怒鳴り込んできた。詳しくは書かないけど、友人に対しても悪し様にいう様子に心底辟易した。娘のやってることが理解できないのはまぁ仕方ない。でも、もともと母親には、自分が理解できないことをすべて怪しいもの、悪いものだと思い込む傾向があって(父親が株や早期教育などを取り入れ始めた時も大暴れしていたので)。母親曰く「自分は占いやスピリチュアルに詳しいから、怪しくないか自分が見定めてやる!」って姿勢だったんだけど、そもそも自分が正しい側にいると思い込んでる時点で傲慢さがすごい。そして別に実際のところ、占いにもスピリチュアルにも詳しくないのに(本を何冊か読んだことがある程度である)、自分は何でも知ってるんだぞという傲慢さだけが膨れ上がっていて、その癖いざとなったら「私は馬鹿だから、お金がないから誰のことも助けられないの」と逃げることも忘れない。心根の卑しい、思いやりのない、醜い人だった。そして、私が美しいと感じるものが母親にとっては「怪しい宗教」に見えることにも驚いた。

 

これについては少し解説が付くんだけど、以前彼女が昔話をしていた時に「神の近くに人が居ると相手(人)が狂ってしまうので、普段は人とは触れ合わず、祭りの時だけ人前に姿を現わすものだ」と話していたことがあって、こういうことなのだろうかと妙に納得してしまった。

その一件が起こる数日前に、神降ろし通話を母親に見咎められたことがあった。いつもだったら単なる友達との長時間のおしゃべりとしてスルーされていたのに、その日だけはなんだか妙に突っかかってきてたので、その辺からも変調は来ていたのかもしれない。本人に自覚はなくても、いつもと違うエナジーがその場に拡がっているのがわかったのかも知れない。 

 何の訓練もしてない人間は神の側には寄れず、修行をした巫女や役職の者だけが近くにいたものだ、という話も、恐らく強烈なエナジーを前にすることで、人の誰の最も未熟な部分が見えてしまうんじゃないだろうか。それを真実として受け入れられない場合に、人は何をするのかというと、劣等感の裏返しとして「相手を支配したい、叩きのめしたい」という奴隷的思考が現れるのではないか。だから、身近には訓練された者しか近寄れなかったのだろう。自らの醜さを見ない者は近寄れない。それは、自分の真実を見る勇気がないということであり、自分を受け入れる気がない、自分を愛する気がないということだから。だから人は自分自身を清らかにするために、禊をし、潔斎をするのだ。


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まぁ、おかげさまで実家を出て再び自分の部屋を借りることになったので、結果的には良かったんだけど。

この話も別の見方をすれば、単に私が自分の人生を生き始めるきっかけに過ぎなくて、家族という幻想にしがみついていたかった私の最後の「情」を破壊してくれたのがこの一件なので、そのことに関しては感謝してる。


そうでなければ今でもずっと「家族」の中でマウントをとりたい母親の家族ごっこに付き合っていたと思うので、そちらの方がよほど気が狂ってるので、ようやくという感じではあるが、抜け出すことが出来てよかったのだと思う。今のように占いをし始めることもなかっただろうし、好きな人にも出会えなかっただろうから。だから、言い方は変だが、トータルで見たら発狂してくれて感謝している。だけどその私への無礼と、態度の未熟さを許すことはまだ出来ない。そんな感じ。



この頃、割としんどかったんだけど、彼女や仲間の励ましがあったから、私は自分のために選択することが出来た。部屋も焦らずに自分の住みたい場所を探すことが出来たし、荒れ狂う家族の中でもドラマに巻き込まれずに冷静でいられた。そして、「自分のメディテーションルームをつくる」というコンセプトで部屋を探したことで、今の部屋を見つけることが出来たし、その後の部屋づくりの時もゆっくり部屋を整えることが出来たのだと思う。


今こうして休みの日には部屋を掃除したり洗濯したり、植物の世話をしたりして穏やかに過ごせるのも、時折誰かと優しい時間を過ごせることも、こうして少しずつだけど自分の中にある様々なものを整理して書いていく時間を持てることも。自分にとってとても幸せなことだと思う。これからもっとたくさんのささやかな喜びを感じていきたいと思う。

今回ちょっと纏まりがないけど、いずれ少しずつ補足していきたい。




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