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一回性の神秘。

誰かのための言葉を話すのは、有料セッションに来てくれた時だけにしています。それは来てくれたお客様に対する敬意であり、自分自身への敬意でもあります。
無料でのヒーリング、セッションその他は基本的に実施していません。今後もする予定はないです。お気持ち(チップ)制は、ちょっと実験的にやってみたいので、今度何かの企画でやってみようかという構想はありますが。

お仕事として占いを再開して、結構な時間が経ちました。何人を占ったんだろうか。日に10人以上を占う日もあるので、3〜400人くらいにはなったんじゃないだろうか。カウントするのを忘れてしまったので、わからないんですが。以前は「100人リーディングします!」とか息巻いてたけど、そんなことしなくても余裕で達成してますね。100人は。日々の積み重ねを淡々とし続ける方が、案外遠くまで走れるのかも知れないです。

これからのこと。これからもタロットはもちろん続けていくんだけど、試みとしては数字の方を少し力を入れてやっていきたいですね。数字の方が実はより神秘的でおもしろいんですよ。
これは尊敬するとある占い師さんに、自分のことを鑑定していただいた時にかけてもらった言葉なのですが、自分が仕事として占いを始めた頃に、自分の仕事のインプットとアウトプットの方法の相談をしたのです。その際に「一回性の神秘」だと言われたんですね。他者との関わりの中で見出す、一回性の神秘。それが私にとってのインプットなのではないか、と。そして、アウトプットに関しては「放てば手に満てり」だと。いかに自分の自意識や自分への執着を離れて放つことが出来るか。それがアウトプットの時のテーマになるだろう、と。最終的には「あなたはウラ(未)の人ですね」という風にまとめてくださったのですが。
もちろんタロットもある種の神秘です。もともとあるカバラやセフィロトを土台に構築されているので、体系だててとても親切に出来ている。
じゃあ、数字は?数字をもっとおもしろく読めないのかな?そうやって出来たのがナンバーコンシャスではなかったかな?と。数字を通して神秘を垣間見る試みが、ナンバーコンシャスなんじゃないのかな?と。原点回帰のような。
数字から読み解く方が、より神秘的で面白かろうと。字が読めるから、タロットも読めるんだったしね。そういえば。

数字を読むってなんだろう?って話を少し書くんですが。ここから少しあやしくなったらすみません。
これはもともと、私が数秘術をやっていた時に、個人鑑定をやらせていただいてました。その中で「この人の[3]とあの人の[3]は性質が全然違うんじゃないか」みたいなことを感じるようになったんですね。勉強してすぐの頃は、とにかく教科書通りに忠実に鑑定結果を伝えるような状態だったんですが、だんだん何人もみていると、それぞれの数字を持っていても現れ方や作用の仕方は随分違うのではないか、と感じるようになりました。
ある時に、友人であった彼女と、彼女の仲間にふと「数字を使って何か出来ないかな?」ということを問いかけたんですね(ここでも問いかけですね。宇宙は問いかけで創造されるのです)。その後しばらくして、彼女の多大な協力のもとに生まれたのがナンバーコンシャスです。
数字は使いますが、数秘術とは別物です。数秘術とまったく異なる点は、【数字は有機的なデータだ】という視点から読み解いていくところではないでしょうか。数字は文字ですが、膨大な情報の分類番号のようなもので、問いかけによっていかようにも情報は引き出し可能なのですよ。
座標を算出して、そこから問いかけによって無限に情報を引き出し続けることが出来る。だから、どのような問いかけにも対応することが出来る。そういう万能な数式が、ナンバーコンシャスなんです。
もっと詳しく知りたい方は、よろしければぜひセッションにお越しいただければと思います。



ナンバーコンシャスの話をするのであれば、さらに踏み込んで魂の話とかも触れたいですし、過去世の話とかも書きたいんですよね。需要があるかはわかりませんが。自分の思考の整理と、ナンバーコンシャスの話をするにあたってこの話は回避出来ないので。

今でも、ナンバーコンシャスが創造された時のことを覚えていますが、あの時は3日間毎日15時間以上を彼女と話していました。過集中状態で、問いかけて問いかけて問いかけて…でも、不思議と疲れないんですよ。ずっとおもしろいんです。「疲れる」って嘘なんだなって体感しました。自分が自分である時、肉体は老化もしないし、疲れないんですよ。多少の負荷はありますけどね。でも、普通に会社とかで15時間も仕事したらふらふらじゃないですか。そういうのとは全然違うんです。
どんどん新しいものが生まれていく、その創造の現場にいられたことはとても貴重な体験だったんだと思います。なにせ、それまで地球上になかったものが創造されてくる場所ですから。それまで地上にはなかったものですよ。それが、その瞬間に生まれてくるんです。問いかけによって。こんなにエキサイティングな体験、他にあるでしょうか。

そういう楽しい日々の連続の中で、学べたことがどれだけ恵まれたことだったのか。そして、それを扱うには当時の私はあまりに未熟だったのだということも、よく分かる。今でも立派にはなれないままですが、でも、それならそれなりにやってみるしかないのですよね。
未熟なままで、立派になれないままで、ぐちゃぐちゃのままで、それで立つしかないし、進むしかないんですよ。そういう諦めが出来るようになったことが、少しだけ成長したところかも知れません。

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日常に絡め取られそうになりながら、何度も自分を忘れそうになりながら、それでもこうして思い出しては戻ってくるのです。神秘に。深淵を覗きたくて。





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