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ありがとうとごめんなさいの話。

「『ありがとう』と『ごめんなさい』は無料(タダ)なんだぞ」これはかつての職場の上司が、生意気だった私に対して、折に触れ言い聞かせてくれていた言葉だ。

20代後半、生意気でプライドだけ高くて嫌な女だった。風俗で働いて、少しだけお金を稼いでいたことと、周りのお客さんがちやほやしてくれるので、それに甘えていた。そのくせ、自分は頭がいいと思いたくて、優秀だと思われたくて…という歪んだコンプレックスと過剰な自意識の塊の…今にして思えば、勘違いした相当に嫌な女だったと思う。


そんな私なので、年功序列を重んじるタイプの当時の直属の上司とは全く剃りが合わず、だんだんお互いに不仲になっていったんだけど、それを見兼ねて助け舟を出してくれたのがM所長だった。M所長は冒頭の言葉を折に触れ私に言い聞かせてくれた。プライベートも仕事もぐちゃぐちゃだった私に、暖かい言葉をかけてくれ、ご飯をご馳走してくれ、仕事がうまく行かないと一生懸命励ましてフォローしてくれた。

ぐちゃぐちゃながらも絵を描き始め、アクセサリーなどを作り、売り始めた時も「いつかお前は輝くから。大丈夫だ。そのうち個展を開けよ」と声をかけてくれたし、失恋で落ち込んでいた時も「そんな奴とは別れてよかったんだ」と励ましてくれた。実家とも疎遠にしていて職場でもうまく行ってなかった私を、M所長は気にかけてくれたのだろう。姉御肌で、面倒見が良くて、頭が良くて、カッコいい人だった。大好きだった。今でも好きだ。

きっとたくさん苦労をしてきたんだろう。なのに、私に対していつも優しかった。冒頭の言葉は、生意気で意地っ張りの私を諫めてくれたのだろう。どれだけかばってくれただろう。思い出したらキリがない。

「『ありがとう』と『ごめんなさい』は無料なんだぞ」これは、不要なプライドばかり高くてそのくせ実力のない、虚勢を張った私に対しての戒めの言葉だ。

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間違っていたりミスをしたら、言い訳せずに素直に謝り、対処する。こうやって書くと当たり前のことだけど、それが出来るようになったのは最近のことだ。でも、それだけで「丁寧に仕事をしている」と思ってくれる人もいるので、案外大事なことなんだなぁと思う。

例えば、自分が誰かと仕事をしてミスに気づいた時にも、指摘すると言い訳してくる人がいて「そういうことじゃないのになぁ」と思う。

こちらはミスを糾弾したいのではなくて、ただ「そこを直して、正しい書類を出してほしい」とかそれだけのことなのに「これは自分のせいじゃない」とかぐちゃぐちゃ言い訳されるのは鬱陶しいなと思う。そういうことじゃないんだ。こちらの目的は「正しい書類が欲しい」なんだ。あなたのことを悪いとかダメだとか全く思ってないんだ。でも、自意識過剰病の時の人というのは、自分が悪くないと主張して論点がずれていくことが多い。そうじゃないのに、といつも思う。だから「すみません。すぐに直して提出します」とかそういうのが欲しい言葉と行動なんだけど。そうじゃなくて変な自分責めを始めたり「そもそも書類がわかりにくい」とか見当違いのこと言い始めたりする人がいるのを見ると、きっとかつての自分もそうだったんだろうなと思う。


今日はそんな日記。







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