「好きなだけの音楽評論」について〜音楽の感想が恋しい〜
音楽の感想に飢える同志たちへ
この言葉は、僕の敬愛するミュージシャンである佐野元春さんが、1991年ごろのカセットテープのCMに出演した際のものである。なんとも痺れる言葉だ。
まさに音楽は力、それに共感してくれる人はきっと多いだろう。
しかし、ひとつ思うことがある。音楽というものの素晴らしさは、全人類が知ってるようで実はそうじゃないのでは? ということだ。案外、音楽というものを本気で追っている人は少ないのかもしれない。事実、僕は20代だが、残念ながら佐野元春さんについて語れる同年代は少なかった。それを憎むことはないが、少し寂しかったりもする。
だが、現在はネット社会だ。探せばきっと多くの語れる仲間が見つかるはずだ。佐野元春さんだけでなく、他にも多くのミュージシャンについて共有できる人と会えるかもしれない。そう考えるだけでワクワクするものである。
語り合う以外の解決法
だがしかしだ。
意外と語れるコミュニティというものは見つからない。
正直なことを言ってしまうと、「この曲好きなんですよ」「わかるーーーーー!」というやりとりを、探すための労力が半端なくてモチベーションが出ないというのが本音だ。SNSで同じミュージシャンが好きな人を見つける、これが意外と大変、さらにそこから仲良くなって「ここが好きトーク」を繰り広げるのも大変なのである。それを理想としながら、気怠さが勝ってしまうのだ。
結局は、好きな音楽についての仲間というのは(もちろん、語り合うのもとても楽しいが)お互いの好きを知るだけで十分、そこに会話はそこまで要らないんじゃないか、と思ったのだ。
どういうことかと言うと、例えばそのミュージシャンの一番好きなアルバムは? という話になったとする。そこで主張が合えばますます楽しくなるだろう。しかし、食い違えば、お互いの主張は根拠を示しつつ論争へと発展する。もちろん、同じものが好きなので喧嘩にはなるまい(多分)だが、好きなものについて話が盛り上がってきて全力で喋り合うというのは、楽しいかはさておき、めっちゃ疲れるに違いないのだ。
そう、音楽好きが結局一番幸せなのは音楽を聴いている時間であって、それについて語り合うのは「たまにちょっと」ぐらいの願望でしかないのだ。語れる相手は欲しい、この音楽愛を理解してくれる人が欲しい、それはそうだが、そこに体力を消費するのはあんまり望んでないのである。我ながらややこしい。
では、その絶妙な適量の願望をどう満たすか?
ここまで読んでくれた人ならきっと同じ道を通ってきたはずだ。そう、ネットで自分の好きな曲を検索して、その曲の感想や歌詞の考察を語っているブログを眺める、である。
このnoteでの活動について
だが、もう同じ道を辿ってきた人なら、同時に思うはず。
「そんなにね、ないよ? そういうサイト」
分かる、分かるぞ。
スピッツさんが好きな人なら、itukamitanijiさんの『スピッツ大学』
佐野元春さんが好きな人なら、Silverboyさんの『佐野元春マニア』
※現在なぜか自分のパソコンでは見れないのでリンクは貼れません。申し訳ありません。
を見てきた方も多いだろう。これらのサイトでは、そのミュージシャンのすべての曲に関して感想および考察を語っている。僕は管理者の方々と話したことはないが、このブログ内で何回も解釈に感銘したり心の中で反論したりもした、僕は小心者なのでコメントを残したこともないが、もはや同じ音楽が好きな理解者、だなんて勝手に思わせてもらってるくらいだ(いつもお世話になっております)
自分も、この方達を参考に似たようなことをしようと思っている。
一人のミュージシャンだけを書く、という方針をとると、どうしてもこのような先駆者様たちと比べて見劣りしてしまいそうなので、それはしないが、自分が好きな音楽を「好きなだけ」という理由で、「好きなだけ」紹介していこうと思う。
最近読ませていただいた名著、田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい。』を参考に、まず15文字以内でその曲を説明するコピーを冒頭に書き、そこからは自分の熱量そのままに感じたこと・歌詞の解釈などを連ねていこうと思う。
これから頑張っていこうと思いますのでよければ「スキ」、「フォロー」よろしくお願いします。ここまで読んでいただきありがとうございました。
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