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「先生」と呼ばれる意味、呼ばれない意味を考える

長い間、専門を極めようと努力をしてきた人たちが、立場を変えて講師となり、いざ大人向けレッスンを始めてみると、戸惑うことが多くあると思います。特に音楽の専門教育を受けてきた人である場合、「師匠と弟子」という形で学んできたケースが多く、自分が身を置いていた世界から「一般社会」に踏み出した時のギャップは、計り知れません。

現在、音楽講師をしている妻も例外でなく、教室を開校した当初は、生徒の何気ないひと言に悩んだり、涙したりと、なかなかつらい時期を過ごしました。ひとつひとつ挙げていったらキリがありませんが、生徒に「先生と呼んでもらえない」ということを気にする姿が、特に印象的でした。

なぜそれがストレスになるのか。専門教育を受けた人でないと、その感情の、本当のところはわからないのだと思いますが、本人としては、「先生として認められていないのではないか」という心理的なプレッシャーと戦っていたようです。そばで見ていた私としては、「そんなことないよ」と励ましつつも、生徒が、「先生」という言葉を、意識して使い分けているようには思えなかったので、その背景について考察を始めました。

ひとりひとり、生徒のバックグラウンドを知り、呼び方の変化などをつぶさに観察していく中で、傾向として、わかってきたことは、同じ「先生」でも、「肩書で呼ぶ場合」と、生徒にとってどのような人かという「意味合いで呼ぶ場合」の、双方があるのではないかということです。

子どもの教育に携わる場合には、子どもに対する立場としては、明確に先生となります。経験や実績からしても、年齢からしても、先生という立場であり、そこに余地はありません。例えば、新卒で講師となっても、子どもはもちろん、その子どもの親も、「先生」と呼びます。肩書と意味合いの双方で、先生なのです。

一方、大人の習い事では、生徒のバックグラウンドは千差万別です。音楽教育に理解がある一部の生徒は、肩書として「先生」と、最初から呼んでくれるかもしれませんが、大半の生徒は、その意味合いから、呼び方を変えます(無意識の場合もあり)。

例えば、レッスンを「教育サービス」と捉えている人がいたとしたら、先生とは呼ばずに、「○○さん」と呼ぶかもしれません。また講師としての実績が不足している場合(年齢が若い場合も含む)、ある意味で、人生の先輩方に教えることになりますから、生徒は、講師を「先生」と呼ぶことに抵抗がある場合もあります。ただ、ひとつ言えることは、生徒に悪意は無いということです。

私たちの教室も、開校当初は、教室のコンセプトが固まっておらず、実績も不十分であったことから、講師が「先生」と呼ばれないことは、やむを得ないことであったように思います。でも、それをきっかけとして、「先生」とは何なのか、講師自身が望むレッスンの形は、「教育なのか、サービスなのか」といったスタンスを、真剣に考えるようになりました。

結果として私たちは、音楽という分野に限っては、講師は「先生」を目指す。それ以外は、生徒の皆さんから「学ぶ立場」という整理に落ち着きました。そして、なぜ教室を開いたのかを思い返し、自分のやりたいことはどんなことか、やりがいとは何なのかを突き詰めていく。そうやってコンセプトを固めながら、教室作りを進めた結果、現在では有難いことに、年配の方でも迷いなく、「先生」と呼んでくれるようになりました。(もはや、呼び方は気にならなくなってしまいましたが。)

ある意味で、一般の方々の反応というのは貴重です。業界への忖度(そんたく)の無い反応や意見が、「形だけ」で、本質が見失われているものを明らかにしてくれます。一時的なショックは大きいですが、音楽教室の価値を再構築していくためにも、「大人向けレッスン」を始めてみてはいかがでしょうか。

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